05 一度やってみたかったこと
「うーん……」
帰ってきたイコライに話を聞いたソラは、首をかしげつつこう言った。
「そうまでして頑なに接触を拒むなんて……何か、特別な事情でもあるんですかね?」
「やっぱり、ソラもそう思う?」
二人の現在の住居は、短期滞在者向けのアパートだった。家賃は割高で少々手狭。二人はイコライの仕事のために、こうした物件を渡り歩く生活を送っている。
そんな部屋の備え付けの小さなダイニングテーブルで、食後のコーヒーを飲みながら、二人はリズベットを話題にしていた。
「いくらなんでもガードが堅すぎるよなあ。何かトラウマでもあるのかな?」
「……たとえば、セクハラの被害に遭ったことがあるとか?」
「あー、ありそうだなあ……」
戦闘機パイロットは基本的に男性社会。最近ではあまり露骨なのはだいぶ減ったようだが、まだまだ十分にあり得る。
「じゃあ、今度はソラも一緒のところへ呼ぼうか」
「んー、それもどうなんでしょうね?」
「どうって?」
「世の中には色々な女性がいるからですよ」
ソラは語った。
「男性社会でやっていくために、女性であることを捨て、どこまでも男性に媚び、男性の望む女性像を演じ続ける……たとえば、セクハラを笑って受け入れる、とか……つまり、女性だからと言って、女性の味方とは限らないわけです。知り合いの女性に同席してもらえばリズさんも安心するでしょうけど、私は赤の他人ですから、意味がない。そういうことです」
「へえ……ソラは詳しいね」
「ええ、まあ……それで、リズさんの件は、一体どうするつもりなんですか?」
「んー、とりあえず、考えなしで距離を詰めに行くのはもうやめるよ。明らかに嫌がられてるわけだし」
「そうですね、私もそれが無難だと思います」
「でもなあ……」イコライは椅子の背にもたれつつ、大して高くもない天井を仰いだ。「このまま別れるには、惜しいんだよなあ……」
「惜しい?」
「ああ。今日、改めてわかったけど、リズは優秀なパイロットだ。あのレベルの人材が、そうそう見つかるとは思えない。できれば、リズにはこのまま、うちの会社に就職して欲しいぐらいなんだけど……」
「いまのままの態度じゃ、それは難しいと」
「うん。かといって、正社員をちらつかせるのもね。俺の権限じゃないわけだし」
「ギュンターさんに相談してみたらどうですか?」
「あの男に相談か……」
イコライは冷ややかな口調で言った。
「あの人に相談を持ちかけたら、それはきっと相談じゃなくて交渉になっちゃうんだよな。交渉をするなら、こっちに有利なカードが何かないと、何を要求されるかわかったもんじゃない」
「大変な職場ですねえ……」
「敵の方がよっぽど対処が簡単だよ。撃てば--」
撃てば良いんだからね、とイコライが言おうとした、その時、けたたましい警報の音が鳴り響いた。
火災警報だ。
二人は素早く反応した。
「ソラ! 貴重品だけ持って逃げるぞ!」
「はいっ!」
消防隊の迅速な消火活動のおかげで、火は一時間弱で消し止められた。
だが不運なことに、火元はイコライたちの部屋の真上だった……消防隊による大量の放水のせいで、真下にあるイコライたちの部屋まで水浸しになってしまったのだ。
「申し訳ありませんが……」
夜空の下、アパートの前で消火活動を見守っていたイコライたちのもとに、物件の管理人がやってきて、こう言った。
「費用は後ほど保険から支払わせていただきますので、今日はどこかのホテルにご宿泊いただけますか」
他に部屋が空いていないと言われれば、ごねても仕方がなかった。
こうしてイコライとソラは、その日の宿を探しに、夜の街を歩かされる羽目になった。
せっかくだから高級ホテルにでも泊まろうかとイコライは言ったのだが、それはソラが止める。
「ダメですよ。こういうケースで補償される宿泊費には限度額があります。入居時の契約書に、ちゃんと書いてありました」
「……さすが、記憶力良いなあ」
だがその後、二人は携帯で調べたり、ホテルからホテルを渡り歩いたりしたものの、ホテルはどこも満室だった。
この都市は現在戦争中なので、イコライのような軍事関係者が多数滞在している。
それに加えて、戦争中と言っても(連邦政府によって、民間人への攻撃は厳しく禁止されているので)、経済は普通に回っていた。ホテルがどこも満室になるのは当然だった。
「もうラブホテルでいいんじゃないですか?」
繁華街を歩いている途中、ソラが投げやりに言った。
「いまさら遠慮するような関係じゃないですよね、私たち」
「うーん、それも悪くないか……たまには気分を変えて楽しみたいし……」
じゃあそうしよっか……と、イコライが言いかけた、その時だった。
「ん……?」
繁華街の途中、一つの看板が、イコライの目に入る。
「ネットカフェか……深夜割引パックね……」
イコライが看板を見上げて立ち止まると、ソラはその横に立って、不思議そうな顔をした。
「ネットカフェが、どうかしたんですか?」
「いや、急に思い出したんだよ、この前、ケンが言っていたのを」
「……何か、嫌な予感がしますよ?」
「ケンが言うにはさ。やつは一度、ネットカフェに泊まってみたことがあるらしいんだ」
「いや……世の中にはそういう人もいるってことは、知識として知ってますけど。『泊まってみた』ってなんですか? なんでまた、好き好んでそんなことを?」
「貧しい人の気持ちを理解したかったんだそうだ」
「……まあ、ケンさんって、そういう人ですよね」
「ケンによると、リクライニングシートは思ったより快適だったらしいんだが、音楽がうるさかったり、人の気配があったりして、落ち着いて眠れなかったらしい」
「へえ……」
「……なあソラ、今日はちょっとここに泊まってみないか?」
イコライは例によって、突然にそんなことを言い出した。
「俺も『ネットカフェに泊まる』ってのがどんな感じなのか、ちょっと体験してみたい」
「ああもう! そうくると思いましたよ!」
ソラは憤懣やるかたなしという風に叫んだ。
「私は平気ですけど、イコライさんはいいんですか? もしよく眠れなくて、明日のお仕事に差し支えたら……」
「なーに、毎日泊まるわけじゃあるまいし、一日ぐらい大丈夫だよ。よし、ソラが平気なら問題ないな。じゃあ今日はここにしよう」
「あ、しまった失言だった……ね、ねえイコライさん。ちょっと、別の角度から考えてみましょうよ」
「別の角度って?」
「普通、婚約者の女の子を連れて、ネカフェに泊まりますか?」
「ああ……」
イコライは「なるほど、確かにそうだなあ」とでも言いそうな顔をした後、もう一度看板を見上げて、ついでソラを見た。
「じゃあ、ソラは一人でラブホテルに泊まる?」
「っざっけんな! このバカ主人!」
怒りつつ、ソラはもう諦めることにした。イコライはこれで意外と好奇心が強い。それに加えて、一度やると決めたら、絶対にやる性格だ。
「……わかりました。今日は二人でここに泊まりましょう。ただし、一つだけ約束してください」
「なんだい?」
「よく眠れそうになかったら、すぐに出ましょう……イコライさんの身に危険が及ぶようなことだけは、絶対に許せません」
「うん……わかったよ、ソラ。心配してくれてありがとう」
周囲の通行人はみんな、ネットカフェの前で言い争ったり、急に仲直りしたりする二人のことを、胡乱げな目で見ていたのだが……当の二人は、周囲からの視線にまるで気づいていなかった。




