01 派遣の女
「助けて! 助けてくれ!」
男は全身にのしかかるGに耐えながら、無線に向かって叫んでいた。
キャノピーの向こうの風景が回る。酸素マスクのホースが、鉛のように重くなって身体に食い込んできて、思わず、操縦桿を握る手を緩めそうになる。
ダメだ、と男は自分に言い聞かせる。
いま手を緩めたら……死ぬ。
急旋回して、機体を雲の陰に隠した男は、敵機を振り切ったかどうか気が気でなくて、すぐに後ろを振り返った。
だが、すぐに雲の陰から、敵の戦闘機が現れる。真っ直ぐに、こちらに機首を向けてきた。
「クソッ!」
悪態をつきながら、男はAMMを後方発射モードにして、ミサイルリリースボタンを押下。ボタンを押し続けながら、操縦桿を傾けて機体をロールさせる。ロールしながらのAMM発射……機体下面に取り付けられたAMMの射界外となる、機体上面を取られた場合に備えた機動だ。
男の機体に残った三発のAMMが、次々に後方へ発射される。だが、追手の戦闘機も自動迎撃モードのAMMを斉射。両者のAMMが、空中で次々と爆発を起こす。
爆音を背中に聞いて、男は再度振り返る。そこにあったのは、空の中に残る、三個の白い爆煙……敵は……敵はどこだ?
「敵が見えない……! 誰か! 誰かいないのか!」
男は再び無線に叫んだ。さっきから応答がない。戦闘で味方は散り散りになってしまった。自分の他には、誰もいないのか?
男はその時、世界には自分の味方が一人もいないかのような、取り残された気持ちになった。
大空の中、狭いコクピットにシートベルトで縛り付けられて、たったの一人。
飛行機は点にしか見えなくて、その飛行機に乗る人間は、砂粒よりも小さい。
コミュニケーションの手段と言えば、頼りない無線だけ。
孤独を感じない方がおかしかった。
……だが、この時に限って言えば、男は幸運だった。
「ブレイク! レフト!」
「っ!」
緊迫した無線の声に言われて、男は左へ急旋回する。
数秒後、まだ旋回の途中だった男は、上空で爆音が鳴り響くのを耳にした。だが、旋回中の男には爆発の現場は見えなかった。状況がわからない。なんだ? 何が起きている?
「……敵機撃墜。空域の安全を確認」
さっきと同じ声が、今度は落ち着いた調子でそう言ってくるのを聞いて、男はようやく事態を把握した。自分は上空から敵機に狙われていて、この無線の人物に助けられたのだ、と。
機体を水平に戻しながら、男は再び無線に声を吹き込んだ。自分は一人じゃない。たったそれだけのことに、すごく救われた気がした。
「あ、ありがとう」
その時、上空から舞い降りるように近づいて来た戦闘機が、滑らかな動きで機首を水平に戻して、男の斜め前の位置についた。無線の相手の機体だ、とすぐにわかった。
再び声がする。
「礼はいい。このまま帰投しよう。敵の増援があるかもしれないし、味方と合流を試みるのは危険だ」
「あ、ああ……」
その時、ようやく男は 、無線の声が女のものであることを意識した。
「あ、あんた、もしかして派遣の人か? すごいな、やっぱり腕が良い……」
派遣の女パイロットは、少しの沈黙を挟んだ後で、こう言ってきた。
「……おかしな人だな」
「え……?」
「普通、派遣に助けられた社員は、あまり良い顔をしない」
「……」
その日の夕方、基地に戻った男は、格納庫に駐機されている戦闘機のコクピット上に、その「派遣の女」を見つけた。
まず目を引かれたのは、コクピットからあふれ出す、長い金髪だった。肩より少し長いくらいで、変な巻き癖がついているのは、飛行中は束ねてヘルメットの中に収めてあったせいだろう。金髪といっても光沢はあまり強くなく、色合いは黄色が濃い。顔はやや丸顔気味で、すごい美人というわけではないが、それなりに整っていて、愛嬌のある感じ。
現に、肩の力を抜いて射出座席に背中を預け、手にした何かをもぐもぐと食べているその様子は、なかなかに可愛げがあった。
「派遣さん」
言いながら、男は機首の下から、コクピットに座る女を見上げる。
「あんた、何か勘違いしてないか……今日のアラート待機は、別のやつが当番だぞ」
「食事をしてるんだよ」
女は男の方を向こうとはせず、そのままの姿勢で食事を続けながら、返事を寄越した。
「こういう身分だと、食べる場所にも気を遣うのさ……あんたこそ、こんなところで何してる?」
「いや、その、探してたんだよ……さっきはありがとう」
「それはもう聞いたぞ?」
「あ、ああ、そうだよな、すまない……」
それきり、男は黙り込んでしまう。
見かねて、女は合いの手を入れてやった。
「もう少し、肝の据わったやつだと思ったんだけどな……」
「え?」
「言っちゃ悪いけど、あんた、正規の戦闘機パイロット教育を受けてないだろ? そういうやつはさ、大抵は、後ろにつかれるとすぐに脱出しちゃうんだよ。ほんと、ビックリするぐらいすぐに……でも、あんたは最後まで脱出しなかった。だから、もしかして、実は相当肝が据わってるのかなと。いや、肝が据わってるって言っても、どっちかっつーと、悪い意味で言ってんだけどね。無謀とかバカって意味で」
「脱出は考えたさ」男は言った。「でも、できなかった……機体を捨てるわけにはいかなったんだ。機体を捨てたら、借金が残っちまうだろ?」
「確かにね……でも実際、切羽詰まった時に、そこまで考えるやつはあまりいないよ」
「父親が連帯保証人になってるんだ……けど、俺が死ねば借金は帳消し、って契約だから。機体を捨てるぐらいなら、死んだ方がマシだった」
「……なるほどね」
すると、女の方から話しかけられて勇気が出たのか、男は本題を切り出してきた。
「……なあ、一つ聞いていいか?」
「なんだよ?」
「その……さっき夕食の時にな、飛行隊のみんなが言ってたんだ。それが……あんたはあの時、もっと前から、敵がいたことに気づいてたんじゃないか、って話で。でもあんたは、敵を誘い込んで撃墜報酬を得るために、わざと警告を遅らせて、俺を囮にしたんじゃないか、って」
「……」
「……なあ、みんなが言ってることは、嘘だよな?」
その時、派遣の女は、初めてコクピットの外に身を乗り出して、男のことを見下ろした。二人の目が合う。女の目は、森に囲まれた湖のような、濃い緑色をしていた。
ビックリしている男に対して、彼女は、歯を見せて笑った。
「お前、良いやつだな!」
「……え?」
「私が陰口を叩かれてるのが嫌で、聞きに来てくれたわけだろ?」
言ってから、女は立ち上がり、コクピットにかかってる梯子を使って、床まで降りてきた。背の低い女だった。一五〇センチぐらいしかないかもしれない。
「これ。やるよ」
そう言って女は、右手に掴んだ何かを差し出してきた。男が見ると、それは米粒を丸く固めた食べ物だった。
「ライスボール。おにぎりとも言う。ファレスタシアの伝統料理だ。このあたりじゃサンドイッチより値段が安くて、腹持ちが良い」
「あ、ああ……」男はおにぎりを受け取りながら言った。「あんた、ファレスタシアの出身なのか?」
「いや。私はエーメア西部の出身だよ。あんたは?」
「ソウ・サメルサの北部だ」
「えーっと、ジャングルとかがあるとこだっけ?」
「いや、俺は山奥の村出身で」
「そうか……じゃ、そこへ帰りな」
「え……」
女は、急に神妙な面持ちになって、男の目を真っ直ぐに見つめながら言う。
「肝が据わってて、父親想いで、他人の陰口を許せないぐらい優しくて、派遣の私を差別しない……あんたなら、きっと他の仕事で上手くやれるよ。いいか、一度しか言わないから、頼むからよく聞いてくれよ? ……こんな仕事はやめろ」
そう言って、派遣の女は、飄々とした顔に戻って、手のひらについた米粒を舐めると、男に背を向けて歩き出した。
「あんた!」男が、灰色のフライトスーツに包まれた、その背中に声をかける。「あんた、名前は?」
女は立ち止まり、振り返って、こう名乗る……誰も聞こうとしなかった、彼女の名前を。
「リズベット」
リズベットはもう一度、歯を見せて、良い顔で笑っていた。
「リズベット・アドラーだ」




