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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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30 天体観測


 ラルフ・レイソンというのはひどく回りくどい男で、その日、ホテルの部屋でミキが受けた電話でも、こんなことを言ってきた。


「探していた天体望遠鏡が手に入ったんで、ナイトクルーズに出かけようと思うんだが、君たちも来ないかい?」


(……捜索対象の目星がついたから、夜の船内で打ち合わせがしたい、ってことかな)


 そう思ったミキだったが、なんだか、ちょっと意地悪をしたくなった。


「あなた、揺れる甲板の上に天体望遠鏡を設置する気?」

「心配するなよ。制震装置つきだ」

「……へえ、それは優れものですね」

「まあね。じゃあ、六時に港で」


 電話を切ると、ミキはマジマジと携帯電話を見ながらため息をついた。意表を突いたはずの質問に対して瞬時に答えていた。考えすぎとしか思えないバカバカしい盗聴対策の演技でも、ここまで来れば芸術だ。褒めるしかない。


「……ん?」


 と、その時、ミキはすぐ横にいるサヤカの様子がおかしいことに気づいた。

 サヤカは、顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべていたのだ。


「お、お姉さま!」


 サヤカは抗議の叫びを上げた。


「一体、なに考えてるんですか!」

「え、え、何?」


「私たち、仕事でこの島に来てるんですよ! ……なのに……なのに、いつの間に……か、か、……彼氏なんか作ってるんですかああああああああ!」


 などと言って、おんおんと顔を覆って、号泣し始めるサヤカ(二二歳)。


 泣き崩れ、顔を床に押しつける体勢になって、それでもまだ泣く彼女を、ミキは呆れかえった表情で見下ろしながら、こう言った。


「ごめん、今度こそ、これを言わせてもらうね……お前はバカか!」



 誤解だとわかった途端に「ヤッター! ヤッター! ヤッター!」などとみっともなく叫び出したサヤカを連れて、私服姿で港にたどり着いたミキは、思わず目が点になった……ラルフのクルーザーの甲板に、天体望遠鏡が置いてあったからだ。


「ん……おやおや」


 望遠鏡の下で寝そべっていた、黒猫型ロボットのアポロが、完全に人をバカにした目になって言ってくる。


「おいラルフ、見てみろよ! この女、最高に変な顔してるぜ!」

「……あの」


 だが、それに反論することもせず、ミキは言った。


「これ………もしかしてついてるの……制震装置……?」

「さあ、どうだろうな」


 アポロの声を聞いて船内から出てきたラルフが、興味なさそうに答える。


「そんなことはどうでもいいだろう。中へ入ってくれ」


 船内の、例の電子機器が目一杯に詰め込まれた部屋に入ったミキとサヤカに対して、ラルフは画面でいくつかの映像を見せながら説明した。


「まず、市街地に設置されている監視カメラは、ケン・ウェーバーらしき人間を一切捉えていなかった。そこで、目標は監視カメラのない郊外に潜伏しているものと考えられた。だが、山狩りは地元警察が既に実施済み。念のため、こちらで改めて赤外線スキャンで島全体を探ったが、これも反応なし……となると、ミキ中尉の言った通り、どこか郊外の家屋にかくまわれているというのが、一見あり得なさそうに見えて、実は最もあり得そうな推理になる」


「前置きはいいです」


「こりゃ失礼……そこでここ数日、郊外に点在する集落や家屋の動向を継続監視したところ、怪しい邸宅が一つ、浮かび上がった」


 そう言ってラルフが端末を操作し、画面に表示させたのは、その邸宅を上空から捉えた画像だった。

 それを見た瞬間、ミキは思わず目を見張る。

 だが、ラルフはミキの異変には気づかなかったようで、淡々と説明を続けた。


「この邸宅には、一日に一回、毎日同じ車が出入りしていた。調べたところ、医者の往診だとわかった。ちなみに、この邸宅は帝政時代の貴族のもので、いまも当時の貴族の末裔が所有および居住している……解放戦争当時、この貴族は、最後まで帝政側に立って戦ったそうだ」


 その時、ふとサヤカがある言葉を口にした。


「サン・ヘルマンの戦い……ですか」

「ああ。相当にひどかったらしいな」ラルフが相づちを打つ。「戦いもそうだったが、特にその後が……」


 サン・ヘルマンは、解放戦争当時、解放軍……後の世界連邦軍……の手によって、大きな被害を受けた。

 サン・ヘルマン島の島民たちは、いまでも当時のことを恨んでいて、いつか連邦政府に反旗を翻す日が来ることを待ち望んでいる……。

 それが、サン・ヘルマンにまつわる「噂」だった。

 ともあれ、ラルフは話を続けた。


「この元貴族は、いまでも連邦政府を恨んでいるのかもしれない。医者の往診が、脱出時に負傷したケンの手当のためだとしたら……話が出来すぎている気はするが、少なくとも、点と線はつながっている」


 言い終えたラルフは、画面から目をそらし、ミキとサヤカに向き直った。


「数日後、時機を見計らって、アポロがこの邸宅に潜入。内部を調査する……それでいいな、ミキ中尉」


「……え……ええ」

 その時、ラルフはミキの返答を聞いて違和感を持った。

「どうした? 身体の具合でも悪いのか」


「え? 何のこと?」

「……ならいいが」


 気を取り直してラルフが説明を再開したのを見て、ミキはほっと胸をなで下ろす。危ない危ない、動揺を表に出していた、と。


 だが、ミキが隠しきれないほど動揺したのは、無理もなかった……ミキは昔、その邸宅を訪れたことがあったからだ。イコライ・ブラドの実家を。



 ラルフという男には偏執的なところがあって、彼はナイトクルーズをした振りは絶対にしなければならない、つまり、下船する前に船で島の上空を一周しなければならないと強く主張した。


 ミキはなんとか断れないかと思ったのだが、サヤカが

「ナイトクルーズ……天体観測……悪くない響きですね。お姉さま、ぜひやりましょう」

 などと言い出したので、諦めて大人しく従うことにした。


 しばらくの間、サヤカは天体望遠鏡の前ではしゃいで、ミキをその騒ぎに巻き込もうとしたのだが、やがてミキがつれないと知ると、サヤカは望遠鏡を覗き込んだまま静かになった。


 時折、望遠鏡の角度やピントを調整する以外は、身動き一つせず星に見入っている彼女を見て、ミキは、サヤカに星を愛でるような一面があったのか、と驚く。


 きっと、天体観測なんて、生まれて初めてなのだろう。


(ああ……そういえば、私もやったことないな……天体観測)


 そっとしておいてやろう、と思ったミキは、甲板の反対側へと回った。


 と、そこでは、月明かりの下で甲板に腰を下ろしたラルフが、膝の上に寝そべるアポロの背をなでていた。


 なんとなく、間が持たない感じがして、ミキはラルフに話しかけることにした。


「猫型ロボットのスパイなんて、よく考えましたね」

「ん……」


 ラルフは少し振り返ったが、すぐにまたアポロに向き直った。アポロはというと、空気を察したのか、いつもの憎まれ口を叩かず、じっと目を閉じて、背中を撫でられるがままにしている。


「いや……実を言うと、最初はスパイにする気なんかなかったんだ。ただの普通の猫型ロボットで、それを後から、スパイに使えると思いついたんだ」


「え? じゃあ、そもそもどうして猫型ロボットを?」


「ただ単に、昔から猫が好きなんだよ。だから、学校のサークル活動で猫型ロボットを作った。それがアポロの原型だ」


「へえ……」


 ミキはなんだか興味が沸いてきて、ラルフの横に腰を下ろした。水平線まで続く星空。足元から響いてくる、クルーザーのエンジン音。


 ミキは目だけを動かしてラルフの横顔を見る。が、ラルフはアポロの背を撫でるのに夢中で、特にミキを意識している様子はなかった。

 これなら大丈夫だろう、と思って、ミキは話を続ける。


「大学で猫型ロボットを作るなんて、優秀だったんですね」


「ん……自慢するわけじゃないけど、いまのは高校時代の話だよ。大学の専攻は電波工学と情報セキュリティで、ロボット工学は趣味で勉強した」


「すごい」

 ミキはさすがに目を丸くして驚く。


「本当に優秀なんですね……私なんか、高校の頃から戦闘機に乗ってたから」

「へえ……でも、君だって優秀だろう。当ててみようか。君、エリシアムで首席を取ったろう」


「ふふ。驚きませんよ。あなた、調べたんでしょう?」

「なんだ。戦闘機以外でも勘が働くんじゃないか」


 言い合って、二人ともクスクスと笑った。


「……でも、ラルフさん。そんなに優秀なら、フリーランスもいいでしょうけど、どこか大きい組織に所属してみようとは思わなかったんですか。あなたならきっと、トントン拍子で出世できるのに」


「んー……大企業で出世すると、大勢の部下とか、お客さんとかの関係もできて、途中で辞めにくくなるだろ? それが嫌なんだ」


「途中で辞める……? ああ、いま流行りのセミリタイアですか」

「そう」


「へえ。それじゃあ、セミリタイアしたら、どうするんですか? 遊んで暮らす?」

「いや……実は、猫の楽園を作ろうと思っているんだ」

「……は?」


 ミキはその答えを聞いて呆気に取られたが、ラルフは大真面目な顔で先を続けた。


「まず、貯めた金を使って、ノル・サメルサあたりにまとまった土地を買う。そして、行き場をなくした猫を世界中から引き取って、広大な土地で、何の心配もなく余生を過ごさせたいんだ」


「それは……動物愛護……的な?」


 戸惑うミキだったが、ラルフは至って平然としている。


「そうだ。毎年、世界中で数え切れないほどの猫が殺処分されているのは知っているだろ? 愛玩用の猫型ロボットが発売されてからは、特にひどい。このままじゃ、猫は絶滅するかもしれない」


「ええ、知ってますよ、それは知ってます」

「そういう猫たちを救いたいんだ、俺は」


「……あの」

「ん?」

「どうしてそこまで……猫を?」


「好きだからだ」

「……そうですか」

「あ。そんな夢は叶わないと思っているな?」

「そ、そんなことはないです」


 だんだん話が面倒くさくなってきたなあ、あっち行こうかなあとミキが思い始めるが、ラルフは続けた。


「……まあ、莫大な資金が必要になる話だから、確かに叶わない夢かもしれない。だから、俺の夢にはプランBがある……もし、金を貯められなかったら、俺は一匹で良いから、本物の猫が飼いたい」


「ええ?」反射的に、疑問がミキの口を突いて出る。「それぐらい、今すぐにでも叶えられるんじゃ?」


「甘いな。猫を飼うというのは、そんな簡単なものじゃないんだ」

「……ああ、そうですか」


 ミキは今度こそ席を立とうと思ったが……どうしても好奇心を抑えきれず、下らない答えだったらお気に入りの猫型ロボットと一緒に仲良く船から叩き落としてやろう、と思いながら、こう聞いた。


「どうして、そう思うんですか?」

「……まあ、ちょっとしたトラウマだよ」


 そう前置きして、ラルフは話し始めた。


「俺は子供の頃から猫が好きで、十歳の誕生日に、両親に頼み込んで、ようやく猫を飼わせてもらえることになった。ところが、引き取ってきた保護猫は、人間から虐待された経験のある猫で、何かあるとすぐ凶暴になって手がつけられなくなるやつだった」


「それでも俺は、よく世話をしたと思うよ。大人になったいまだからわかる。十歳の男の子ができることの全てを、あの時の俺はやったと思う……けどある日、その猫の調子がおかしくなって、俺と両親は、病院に連れて行くために猫を捕まえようとした。でもやっぱり大暴れされて、俺たちは身体中のあちこちにかみ傷とひっかき傷を作られた末に、うんざりして諦めてしまったんだ」


「……ところが、次の日の朝に起きたら、その猫は部屋の隅で冷たくなっていた……悲しかったよ。そして悔しかった。あの時、俺は何としても猫を病院に連れて行くべきだったのに、その決断ができなかった。ネットで検索すれば、暴れる猫を無理矢理捕まえる方法なんて、いくらだって出てきたのに、俺はネットで検索することを思いつかなかったんだ」


「……」


「つまりだな。猫を飼う人間には、それなりの資質が求められるんだ。決断力とか賢さとか、そういうものの全てを高い水準で求められるんだ。ある意味で、猫の飼い主になることは、軍隊の将軍や提督になることと同じだと俺は思っているよ。だって、自分が判断ミスをすれば、命が失われるんだから」


「そして、俺が思うに、俺はまだそうした資質を備えていない。俺にはまだ、猫を飼う資格がない。でも、いつかはそれを得たいと思う……だから、いつか本物の猫を飼うことは、俺の夢なんだ」


「……」


 想像したよりはるかに真剣な話が出てきて、ミキは言葉を失う。


 だが同時に、こうも思う。


 この人には、この人なりの夢がある。

 けれど、自分には何があるだろう。


 出世したい。

 戦闘機パイロットとして武功を立てて、出世の階段を駆け上って。

 飛行隊の隊長を務めた後は、戦闘機を降りて地上勤務……そこでも活躍して、さらに昇進。


 そしていつかは……

 いや。

「いつか」なんてない。

 行けるところまで、行くだけだ。


 それが自分の夢。

 ……でも、もしそれが叶わなかったら?


 自分には、この人みたいな「プランB」はあるだろうか?


(……結婚、とか?)


 考えてすぐに、それはないなあ、とミキは思い直す。


 たとえば、自分だったら、夫が引き取ってきた何百匹もの猫の世話を手伝うなんて、死んでもごめんだ。


 自分の人生は、自分だけの物。

 誰かと分け合いたくなんかない。


(……もし仮に、私のことが死ぬほど好きで、私の夢を応援してくれて、自分からは何も要求してこなくて、おまけにとびっきりに優秀な男がいたら、結婚してあげなくもないけれど)


 でも、そんな都合の良いものを結婚とは呼ばないだろう。

 だからきっと、自分は結婚しない。


 ……とはいえ、ずっと一人だったら寂しいんじゃないか、とは思わなくもない。


 ミキはふと、ラルフの膝の上で眠るアポロに目を落とす。


 この男には、猫がいる。

 でも、自分には……


「私も、ロボットでも買おうかな……」

「え? いまなんて?」

「なんでもない」


 言って、今度こそミキは腰を上げた。


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