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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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27 マリア・タラノヴァの戦争Ⅳ -視察-


 だが、そんな思いを抱いたところで、マリアにはどうすることもできず、艦隊の出撃準備は着々と進んでいった。


 フランシスはこの時期、艦隊の主力となる各艦の視察を頻繁に行った。


 視察と言えば、多くの提督は、大勢のスタッフを引き連れて艦に乗り込み、その艦の艦長に案内をさせる、といったスタイルをとるのだが、フランシスの視察はそうではなかった。


 彼はただ、作戦参謀のユスフと補給参謀のバシル、そして副官のマリアの三人だけに供を命じ、自身は愛用のステッキを手の中でもてあそびながら、艦内をあてどなくウロウロと歩き回るのだった。それは提督の視察団というにはあまりにもこじんまりとしていたために、兵の一部は、先頭に立っているのが提督だということに気づかず、いぶかしげな目でジロジロと見てくる者までいるほどだった。


 視察では、フランシスは作業中の乗組員に気づかれないところに立って、その様子を注意深く観察するのが常だった。そんな彼はたびたび「んー?」などと声を上げたかと思うと、乗組員に話しかけにいくことがあった。聞けば「問題を抱えている部署や個人というのは、何となく、空気でわかるもの」なんだそうだ。


 フランシスは相手にいくつか質問をして、巧みに問題を聞き出すこともあれば、無理に聞き出さないこともあった。そして、問題を聞き出した時にはそれなりに適切に思えるアドバイスをしてやり、聞き出さなかった時には、穏やかな声でこう言ってやった。


「何にしても、戦闘が始まったら、他のことは全て忘れろ。納得いかないこともあるかもしれないが、考えるのは後回しにするんだ。そして、嫌いなやつとも力を合わせて、一緒に戦え。そうしなきゃ生き残れない。生き残るのは大事なことだ。命より大事なものなんて、そうそうないんだ……わかったか?」


 そう言われて、乗組員が肯定の返事と共にぎこちない笑いを返すのを見届けると、フランシスは穏やかな顔で相手の肩を叩いて、その場を立ち去るのだった。


 そんな時、マリアは見逃さなかった……そうやってフランシスに励まされた乗組員たちの目には、いつも必ず、強い光が宿ることを。


(そんな、簡単に騙されないでよ……!)


 だが、マリアはそれでも、苦々しくこう思うだけだった。


(「命より大事なものなんてない」って……そんなこと言いながら、みんなを戦場に追いやっているのは、他でもないフランシスでしょう……!)



 だが、そんなフランシスが話しかけた中に一人、こんな乗組員がいた。


「提督」と、ある駆逐艦の機関科の伍長は言った。「命より大事なものはない、と言いながら、提督は我々に対して、死地に赴くようお命じになります。それは矛盾ではないでしょうか。やはり、我々が命を賭けて戦うのは、なんらかの命より大事なもの、いわゆる大義のためではないのですか? ならば、提督が本来語るべきなのは、その大義が何であるかなのではないでしょうか?」


「ほう」


 だが、フランシスは真正面から歯向かってこられたというのに、さして気分を害した風でもなく、むしろ愉快そうに笑っていた。


「君はなかなか骨のあるやつだな、伍長」


「ごまかさないでください。自分は真剣なのです……答えてください、提督。我々が命がけで戦う大義とは、何なのでしょうか」


「そんなものはない……と言ったら、君はどうする? 持ち場を放棄して、逃げ出すとでも言うのか?」


「……いえ、そうはしないと思います」

「それはなぜだ?」

「それは……」


「いや、答えなくていい。大事なのはそこじゃない。大事なのは、君が逃げ出さず、最後まで持ち場を守って戦うであろうことが、とても立派だということだ。俺たち軍人にとって、本当に大切なのは、戦争の大義なんかじゃない。本当に大切なのは、将兵一人一人が、より良い人生を生きることなんだ。そして、指揮官たる俺の仕事は、それが可能になるような軍隊を作ることなんだ」


「大義の善し悪しを考えるのは、政治家や有権者に任せておけ。非番の時は俺たちだって有権者なんだから、当然そういうことも考えるべきだが、勤務時間中の俺たちは軍人なんだ。軍人とは道具だ。道具ってのは、立派に役目を果たせば、それでいいんだ。そして、俺が思うに、戦争の大義が何であろうと、命がけで勇敢に戦う軍人としての人生は、どんな時代でも『良き人生』なんだ」


「もちろん、大事なのはそれだけじゃない。たとえば、道具だからって、人間であることを完全に捨てて、無益な殺生をしてはならない。なぜなら、それは『より良き人生を生きる』ことに反するからだ」


「もっといえば、軍務に服することだけが良い人生とも限らない。ある面白い人の話がある。その人は召集令状を受け取るなり、すぐに破り捨てて、深い森の中を何日も歩き通して、脱走に成功したんだそうだ。だが、俺はその人のやったことを非難するつもりはない。なぜなら、それもまたその人にとっては『より良い人生の生き方』だったんだろうと思うからだ。ちなみに、その人は後に児童文学の作家として成功したそうだ」


 言われた乗組員は、若干戸惑った表情を浮かべた。


「……なんだか、つかみ所のない話です」

「わかりにくかったか」


「いえ……提督に深いお考えがあることは、よくわかりました。いまの自分には、それで十分です」

「いまの話で、迷いなく戦うことができそうか?」


「はい、できると思います……迷いが生まれそうになったら、こんな自分にも熱心に語りかけてくださった、提督の顔を思い出します」

「そうか……よろしく頼む」


 そう言ってフランシスはその伍長と別れ、次の視察場所へと向かった。


 後に続くマリアたちの先頭に立って、艦内の狭い廊下を、風を切るように勢いよく歩くフランシス。


 マリアが、その黒いケープに包まれた背中から目をそらして、横を見ると、ユスフはますます強い賞賛の眼差しでフランシスを見ていて、バシルもまた、感服したようなため息をもらしていた。


 だが、マリアだけは、未だに頑なだった。


(何が「より良い人生」だよ……私にとっては、子供のために生きて帰る以外に、良い人生なんかない……!)



 そうは思ったが、マリアだってもういい歳をした大人だ。戦時下において軍隊に刃向かったらどうなるかぐらい、心得ている。周りを見渡してみても、深い森なんか見当たらないし。


 問題を起こしたりすれば、訴追されて、愛する息子、アンドリューに会えなくなることだって十分に考えられる。何をどうしたところで、変えられない現実というものがあるのだ。


 それに、自分にだって、決して短くない社会人経験がある、とマリアは思った。嫌な上司や気にくわない同僚と、適度に距離を取りながら付き合うことぐらい、できる。


 だから、自分はただ黙々と、副官の仕事、秘書の仕事をこなしていけばいいだけだ……そう思っていた。


 だが、ある日のこと。


「俺のことが嫌いなのか、マリア大尉」


 フランシスのオフィスの前室、副官に与えられた席について、PCに向かってタイプをしていたマリアは、出先から一人で戻ってきたフランシスにいきなりそう聞かれて、上手くごまかせていると思っていたのは自分だけだった、と思い知ることになる。


 とりあえずマリアは、ディスプレイの後ろから覗き込むようにして聞いてきたフランシスと目を合わさず、


「……なんのことでしょうか、提督」

 と、冷たい声で言ったのだが、フランシスはというと、淡々と先を続けてきた。


「うん。いつからか、君の態度がやけに冷たいような気がしてな。ユスフに聞いたら、自分もそう思うと言うし、バシルに聞いたら、何か嫌われるようなことをしたんだろう、とまで言われた」


 マリアは、自分でも気づかぬうちに態度に出てしまっていたと気づいて、まずいと思ったが、それと同時に、


(だからって「俺のことが嫌いなのか」はないでしょう……「はい、嫌いです」とでも答えると思ってるの?)


 などと、フランシスの常識を疑ったりもした。そういえばこの人って四十超えてるのに独身だったな、なるほど、なるほどな、とも思った。


「気のせいですよ、提督」

 マリアは微笑んでしらばっくれた。

「私は以前から、集中して仕事をしていると、顔が強張ってしまう癖があるんです。それで勘違いされたのでしょう」


「ふむ……ならいい。だったら、別件でもう一つ聞きたいんだが」

「はい?」

「……民間企業にはよく、成果報酬制度というのがあるだろう。あれはどういうものなのかな、実際のところは?」

「……は?」


 唐突に意外すぎる質問が飛んできて、マリアは思わず唖然としてしまった。


 だが、フランシスにとってマリアのその反応は想定内だったらしく、フランシスは淡々と先を続けてきた。


「敵の指揮官が成果報酬を気にしているから、そこにつけ込む、というのが作戦の一部なのは話したとおりだ。しかし……実を言えば、学校を卒業してからずっと軍隊でやってきた俺には、成果報酬制度というのが今ひとつよくわからないんだ」


「いや、軍隊にも昇進や降格はあるが、それでも、成果に応じて給与や賞与の額が直接変動するようなことはない……だから聞きたいんだが、成果報酬によって、人の行動というのは、どれぐらい影響を受けるものなんだ? そんなもの、気にしなければ済むことじゃないかと俺は思ったりもするんだが、やはり、普通はそうはいかないものなのか?」


 ……は?

 民間企業でよくある成果報酬が、よくわからない?

 だから聞きたい?

 この私に?


 ……マリアは、意外なことが立て続けに起きてびっくりしていたが、とりあえず、聞かれたことに答えることにした。


「成果報酬制度は……人の行動に、大きく影響を与えます。本当に、ちょっと驚くぐらいに」

「おお。やっぱりそうか」


 フランシスは、その返事を待っていた、とばかりに笑っていた。マリアはそれを見て苛立ったが、今度は顔には出さなかった。

 フランシスは重ねて聞いてきた。


「具体的には、たとえばどんな風に?」

「たとえば……『先月の営業成績が悪かったから、今月初日の売上を実際より一日早く計上して欲しい』って経理に頼み込む営業の社員とか、『部門共通費の配賦が不公平だ』って会議で訴える管理職とか、そういうのをよく見かけました」


「ふむ……そうだとすると、不正をしてまで売上を早く計上したり、配賦基準をいじったりする人間も出てきたりする?」


「は、はい。私のいた会社では、過去にデータベースに不正アクセスして、配賦基準を書き換えたのが発覚して処分された人がいた、と聞いたことがあります。売上の計上時期をずらす不正に至っては、日常茶飯事でした」


「そうか……! やはりそうなんだな。いや、よくわかった。ありがとう、マリア大尉。君の言う通りなら、きっとこの作戦も上手く行くだろう」


「……いえ」


 浮かない顔のマリアとは対照的に、フランシスは意気揚々と前室を通り抜け、オフィスへと入って行く。


 その背中を見送ったマリアは、いまのは何だったんだろう、とぼんやりした頭で考えた。何かが引っかかるような感じがして、ずっとその感覚が残り続けた。

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