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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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14 微笑み

「いや、お前らね? 俺に感謝しろよ? たまたまハンティングクラブが臨時休業で帰ってきた俺がね、子供の頃に地元のボーイスカウトで教わったやり方で、医者が来るまでの間に応急処置をしていなかったらね、あの男は死んでたからね? メイドさんとの痴情のもつれだかなんだか知らないけど、屋敷の中で死人が出たとあっちゃ、高貴な家名に傷がつくってもんだろ? ま、これで被害は最小限で押さえられたわけだ。俺のおかげでな! ……ところで、あの男は誰なんだ?」


「カイト」

「ん?」

「とりあえず、シャワーを浴びて着替えてこい」

「ああ、うん、そうだな」


 カイトはイコライに言われて、肘から指先にかけて血まみれになった自分の両腕を見てうなずき、廊下を歩いて浴室の方に去っていった。


 イコライには、カイトが例によってみんなの緊張を和らげるためにあえて軽口を叩いたことがわかっていた。が、それにしてもつくづく間の悪い男だと思った。


 応接室は、さながら野戦病院の一角のように変わり果てていた。処置のためのスペースを空けるために部屋の隅に押し込められた家具には、誰かが止血を手伝った後の手で触ったのか、ところどころに血がついている。


 床に敷かれた高級絨毯には、どす黒い巨大な血だまりが広がり、いまも周囲に鉄の匂いが立ちこめている。


 部屋を出て直ぐの廊下では、座り込んだままのララを、ソラが隣に座って慰めていた。


 いまは、家の伝手を使って呼び出した医者が、ケンの治療に当たっていた。ついさっきその医者から、幸いにも急所を外れていたので、命に別状はない、と言われたところだった。


 なんでも、人間の身体で撃たれると死に至る部分は二〇%しかなく、拳銃はライフルなどと比べると威力も弱いため、拳銃で一発撃たれただけなら、生き残る人は意外と多いのだという。


 ただ、その三〇代ぐらいの男性医師は、こう付け加えることを忘れなかった。


「まあ、生き残る確率が高いのは『すぐに救急車を呼んだ場合』の話ですからね……彼は運が良かったんですよ」


「先生。本当にお恥ずかしい限りです。申し訳ない」

 イコライが、その場を代表して謝罪をした。

「ですが、伝統あるブラド家でこのようなことがあったなどと、世間に知られるわけにはいかなかったのです。救急車を呼ぶわけにはいかなかった。なにとぞ、ご内密に」


「……救急車を呼ばなかった理由は、本当にそれだけですか?」

 察しの良い医者だな、とイコライは内心で思ったが、無表情の顔はぴくりとも動かさなかった。

「先生。俺は先生に、迷惑をかけたくないんです」


 すると、医師は小さくため息をついたが、それ以上、詳しい事情を聞こうとするのをやめた。イコライが言外に伝えたかったことは、どうやら伝わったらしかった。医師が来る前に、応急処置のためにケンのフライトスーツを脱がしてあったので、決定的な証拠は見せていなかった。


「……わかりました。イコライくん。私はね、君のお父さんが作った奨学金のおかげで医者になれた。その恩は忘れていない……でもね。こんなことは一度きりにしてくれよ」


「わかっています」

「では、あと少し処置をしたら、私は帰ります。当分の間、診療所が終わった後の時間に、往診に来ましょう」

「ありがとうございます」


 医師が部屋の中に戻ったあと、イコライは、床に座り込んでいるソラたちに向き直った。


「ソラ……ララを部屋に送っていってもらえるか。もうしばらくそばにいてやってくれ」


 言われて、ソラはララをなだめて、立ち上がらせた。ララはまだうつむいて、すすり泣いていたが、足取りはしっかりしていた。

 すれ違う瞬間、イコライはララに声をかけた。


「ケンが死ななくてよかったよ……お前も、そう思うだろ?」


 ララは返事をせず、そのままソラと共に歩いて行った。


 しばらくして、イコライは医師の指示を受けて、即席の担架を作って、ケンを客間のベッドに運び込むのを手伝った。玄関まで医師を見送ったあと、イコライはすぐさま、客間にとって返す。


 ケンは、旧帝国様式の豪奢なベッドの上に、仰向けで横たわっていた。わりと元気で、肩で風を切って入ってきたイコライに対して、、右手を上げて答えてみせる。


「ケン。具合はどうだ?」

「まだ痛むし、身体全体がだるいが、だいぶ楽になった。問題ない」

「そうか……いや……なんと言っていいか」


 ケンの前に立ったイコライは、気まずそうな顔をする。事態の深刻さを考えれば、そんな顔でさえ、呑気に思われても仕方なかったのだが。


「いつもはあんな子じゃないんだよ、ララは。わかってくれ」

「わかるよ。俺が百パーセント悪い」

「いや、違う、そういう意味じゃなくて」

「何も違わないだろ」


 ケンは小さく息を吐いて、言った。


「痛みにうなされている間、ずっとこう考えていた……俺はなんてバカなやつなんだろう、って。もう少しでみんなの説得が成功しそうだったのに、感情が高ぶった俺は、身勝手極まりないことを散々ぶちまけたあげく、彼女を怒らせて、撃たれて……これで死んだら、百年先まで笑われると思った」


「……いや、生き残っても笑われると思うけどな。ほんと、余計なこと言うから撃たれたんだよ、お前」

「……」


「冗談はさておき……確かに、お前の言ったことは、銃を持ってる女の子が目の前にいる時に言うべきことじゃなかったな……でもさ。俺はそんなに悪くなかったと思うぜ。だって、銃を向けられてる極限状況で、自分が助かることよりも、正直な気持ちを伝えることを優先させるなんて……俺はますます、お前のことを気に入ったよ」


「買いかぶり過ぎた……お前は物事を、あまりにも良い方向に考えすぎている」

「そうかな? それはそうと、これからのことを話そう……実を言えばな、考えようによっちゃあ、お前が撃たれたことはむしろラッキーだったんだ」


「はあ? どういうことだ?」

「母さんは、お前をかくまうことに反対だった。でも、これで認めざるを得なくなったんだ。いまお前を警察に突き出せば、ララは逮捕される可能性がある。おそらく検察で不起訴になるか、裁判で無罪になるだろうが、どっちにしてもララが人を撃ったって事実は島中に広まることになる。母さんとしても、それは嫌なはずだ」


 その時、イコライは、邪気を欠片も見せず、まるで、いたずらに成功した子供みたいに、得意げな笑みを浮かべていた。

 それは、ケンが初めて見るイコライの「影」の一面だった。ある種の状況、たとえば戦闘中においては、イコライはどこまでも身勝手に、いや、時として、残酷にさえなる。


 だが、この時のケンは、イコライはたまたま少し興が乗っただけだろうと思って、それを気にも留めなかった。


「親不孝なやつだ……まあ、助かった俺が言うのもおかしいか。それで、これからどうする?」


「お前は死んだことにする。お前が持っていた装備、たとえばサバイバルキットとかを、捜索が手薄になったころを見計らって海岸のどこかよさそうなところに置いてくる。そうすれば、雲海に飛び降りて自殺したように見えるだろ?」


「そう上手くいくかな……?」

「なーに。心配するな。誰も本気でお前を捜しちゃいないさ」


 イコライは、重ねてうっすらと笑みを浮かべながら言った。


「大昔、俺たちのひい爺さんの時代じゃ、戦争には大義ってものがあった。みんなが、何か大切なもののために戦争をしていたんだ。もし今もそんな時代だったら、みんながお前を憎んで、血眼で捜していたかもしれないな」


「でも、最近の戦争はそんなんじゃない。いまの時代じゃ、戦争は色々あるビジネスのうちの一つでしかないし、軍人はたくさんある職業の一つでしかないんだ。みんな、給料分の仕事をしたら、後はいかに手を抜いて怠けるかしか考えちゃいないさ」


「……SHILFにとっての戦争は、そうじゃないぞ」

「かもな。でもここはSHILFの島じゃない。だからみんな、お前が死んだかもしれないっていう証拠が見つかれば、喜んで飛びつくはずさ。手を抜くための格好の口実ができた、ってな」


 ケンは、イコライの楽観ぶりに戸惑ったようで、疑いの目を向けてくる。


「……よくわからないんだが。いまの連邦政府というのは、そこまで腐敗しているのか?」

「……あのな、ケン」


 イコライは言った。少しだけ、声を低くして。


「世界連邦は、確かに存在する……だけどあれは、領土を持たない国家なんだよ」


 それを言う時、イコライの目が鋭く光ったように、ケンには見えた。


「サン・ヘルマンはれっきとした独立国だ。連邦政府とは上手に付き合ってるだけで、決して支配されてるわけじゃない」

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