300.誰からだろ
ティナとユーリアスが庁舎を駆け回った追走劇から、数日が経っていた。
練兵場での鍛錬を終え、額に汗をにじませながら戻ってきたティナは、自室の前に立つ二人の男の姿を目にする。
ブラジェイとユーリアスだ。
「あれ?どうしたの?」
そう声を掛けると、二人は悪戯を仕掛ける前の少年のように、ニヤッと意味ありげな笑みを浮かべた。
「ティナ。お前の部屋のドアに、なにか掛かってるぞ」
「早く見てみろよ。アスと楽しみにしてたんだからよ」
「え?」
小首を傾げながら二人の間をすり抜けると、ドアノブに小さな袋が下がっているのが目に入る。濃い緑色の紙袋で、丁寧に結ばれた取っ手のリボンが目を引いた。
「なんだろ」
不思議に思いながら取り出すと、中から現れたのはラッピングされた包み。淡い色の包装紙に可憐な飾り紐がかけられていて、手にした瞬間から胸がわずかに高鳴る。
「おい、ティナ。おめぇ今日、誕生日だったか?」
長い付き合いだというのに今さら誕生日を確認してくるブラジェイに、ティナはぷくりと頬を膨らませる。
「違うよ、もう。九月はとっくに過ぎてるでしょ!」
「メッセージカードがついてるぞ。どれどれ……」
「ちょ、アス! 勝手に……!」
ユーリアスが素早くカードを奪い取ると、ブラジェイも興味津々とばかりに覗き込む。
「なになに? 『ウサギのような貴女へ』……」
一瞬の静寂。次の瞬間、二人の視線が合うと強烈に吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
「ぶははっ!! ウサギだぁ?? マンモスだろ!! いや、インプか……イノシシだな、イノシシ!!」
「もう、ブラジェイ!!」
「……女豹、だな」
「アス〜〜ッ!!」
思いつく限りの例えをぶつけ合っては爆笑する二人。ティナはたまらず、拳で二人の頭をぐりぐりと押し付ける。だが笑いは一向に収まらなかった。
「もう、怒るよ!」
「怒ってんじゃねぇか。中身はなんだ? 開けてみろよ」
悪びれもなくせき立てられ、ティナは観念したように袋を開いた。
「あ、マグカップだ。可愛いー!」
顔を輝かせたティナの手の中に現れたのは、白地に愛らしい絵柄の入ったカップだった。その模様を見た瞬間、二人は再び肩を震わせる。
「う、う、ウサギの……」
「マグカッ……ぷぷぷーーーーっ!!」
またしても笑いの渦に呑まれ、二人は涙を滲ませて転げ回るように笑い続けた。
「ヒィー、ヒッ、ヒ……ティナが、そんな少女趣味な、うさ、うさぎのマグヒィーッヒッ!!」
「おいティナ、絶対メリルかミレーネの部屋と間違えられてるぞ!」
「もう! 失礼な!! で、これ誰から?!」
ティナは涙が滲むほど笑い転げる二人を睨みつけ、ユーリアスの手からカードを奪い取った。
「……書いてない」
一瞬で笑みが消え、ティナの表情が翳る。
「誰からだろ」
「さぁな。世の中には物好きもいるもんだぜ」
ブラジェイがまたぶぶっと吹き出し、笑い声を漏らす。その横顔をじとっと睨みながらも、ティナは改めてマグカップを見つめた。
「これ、本当に私にくれたのかなぁ……。今日が誕生日の女の子を探し出して、渡した方がいい?」
不安混じりに呟くティナへ、ユーリアスは首を横に振る。
「貰っとけ。プレゼントする相手の部屋を間違える馬鹿はいないだろう」
「なによ、ユーリアスがメリルかミレーネと間違ってるって言うから気になったんじゃない!」
「間違ってたとしてもそいつの自業自得だ、使ってやれ。おい、行くぞジェイ。笑い過ぎだ」
「だってよ、ティナが……ヒィーーッ、ヒィーーーーッ!」
「もうっ!!」
ティナがバシッとブラジェイの背を叩くと、二人はそのまま立ち去っていった。
だが数歩も進まぬうちにまた顔を見合わせ、同時に噴き出し大爆笑を響かせながら歩いていく。
「……もうっ」
再び怒りの言葉を口にしたティナだったが、ふと手元に目を落とすと、その表情は自然と柔らいでいった。抱えたカップをそっと胸に寄せ、大切に抱えながら部屋の中へ足を踏み入れる。
軍から与えられている部屋は狭いが、一人きりで落ち着ける空間だ。週に一度は家に戻り、母と過ごす時間もあるが、日々の生活の大半はここで営まれている。
ティナは机の上にマグカップを丁寧に置くと、椅子へ腰を落とした。練兵場での鍛錬の疲労がまだ残っているのか、掌に伝わる陶器のひんやりとした感触が、ひときわ心地よく感じられた。
「……ウサギ、かぁ」
ティナは小さくつぶやき、頬をゆるませる。
自分をそんなふうに形容する者がいるなど、考えたこともない。けれど、大笑いしていた二人とは違い、その文字からはどこか温かな気配が伝わってくる気がした。
彼女はもう一度カードを取り出し、窓辺の光にかざす。癖のない、しかし丁寧に書かれた筆跡。──けれど、誰のものなのかは見当もつかない。
「……気になるなぁ」
ティナは両手でマグカップを包み込んだ。
掌に伝わる陶器の感触が、胸の奥をじんわり温める。
まるで誰かにそっと認められたようで、思わず口元がやわらかくほころぶ。
「えへ……ありがとう」
その言葉は、届け先もないまま、カップに描かれたうさぎの絵へと託された。
頬にほんのり熱を帯びながら、ティナはマグカップを机の上へとそっと置く。
自分を見てくれる誰かがいる──その想いが、胸の奥でふわりと満ちていった。




