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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
カルティカの涙〜フィデル国の異母姉編〜

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298.キスしちゃってんだよね……!

 あの日から六年。

 ティナの左腕には、今も一本のフィタが巻かれていた。

 布は擦り切れ、ところどころ糸がほつれ、か細い命脈のように頼りなく残っている。だが不思議と、まだ切れることなくティナの手首を彩っていた。


 今まさに目の前の男──ユーリアスに『どうせ強欲な願いでもかけたんだろ』とからかうように言われ、ティナは思わず言葉を詰まらせてしまっていたが。


(よくよく考えれば、そこまで強欲じゃない! 気がする! たぶん!)


 ティナは一人、心の中でうむうむと納得する。

 しかしフィタにかけた願い事を、彼に言うつもりはなかった。

 告げればきっと、からかい半分に笑い飛ばされる。そう考えてティナはそっと口をつぐんだ。


「どうした、ティナ」


 向かいの席で食事をとっていた金髪の青年が、当然のように問いかけた。

 淡い光を帯びた瞳がフッと細まり、その端正な顔立ちに磨きがかかる。ティナはパンをかじり、頬を膨らませた。


「なんでもなーい!」

「ふぅん?」


 すっかり大人の余裕を出しながらユーリアスは笑い、フォークを口に運んでいる。

 ティナは視線を逸らし、フィタを巻かれてからの年月を思い返す。六年という歳月の間、彼と共に過ごした時間は数え切れないほどあった。そのどれもが心を占めるが、一番強烈に記憶に焼きついているのは──


(私、アスとキスしちゃってんだよね……!)


 当時のことを思い出すと心臓が跳ね、パンを喉に詰まらせそうになる。

 顔を上げた瞬間、真正面からユーリアスと目が合った。澄んだ青い瞳に射抜かれ、ティナは慌てて横を向く。

 その狼狽を見透かしたように、彼は口の端をゆるく吊り上げた。


「なんか思い出したな、ティナ」

「思い出してないー!」

「嘘つけ。ティナの態度はすぐにわかる」

「ぐぬー!」


 からかうように真っ直ぐ見つめられ、ティナは思わず唇を歪める。

 その容貌は、出会った頃と変わらぬ瑞々しさを保ちながら、今やさらに磨きがかかっていた。


(男がこんなに綺麗なの、反則でしょー!!)


 心の叫びを飲み込み、視線を皿へと落とす。

 そんなティナに、ユーリアスは愉快だと言わんばかりに声を上げる。


「ほら、ティナ。言ってみな。なんでも聞いてやるよ」

「言・わ・な・い!」

「強情かよ」

「うるさいなぁ、もう!」


 頬を赤らめ、ぷんすかと膨れっ面をするティナ。二十九歳とは思えぬその表情に、ユーリアスは小さく笑った。


 ちょうどその時、扉がきしむ音が店内に響く。

 心地よい外気と共に、二人の騎士が入ってきた。


「ああ、ここにいましたか。ユーリアス殿」


 姿を見せたのは、ファビアンとラシュハルト。かつてベルフォードの白翼騎士団に所属していた二人だ。ブラジェイが彼らを引き抜いてから、もう五年の月日が経っていた。


 ファビアンは肩で結んだ淡い栗色の髪を揺らし、蜂蜜色の瞳でにこやかに微笑む。その立ち居振る舞いには常に余裕があり、女性を喜ばせる術を自然と心得ている。

 軽やかな気配を纏うその姿は、場の空気を和らげた。


 対するラシュハルトは、鋼のように短く整えた灰銀色の髪を持ち、深緑の瞳に真摯な光を湛えていた。精悍な顔立ちは近寄りがたいほど凛々しいのに、女性と目が合えば途端に頬を赤く染める。

 その不器用さが、逆に誠実さを際立たせていた。


 ユーリアスはそんな二人に目を向ける。


「どうした、ファビアン」

「ブラジェイ殿が探しておりましたよ。緊急の要件だそうで」

「やれやれ」


 軽く肩をすくめ、ユーリアスは立ち上がった。


「悪いな、ティナ。ちょっと行ってくる。あとはこいつらに付き合ってもらえ」

「ん、わかった。いってらっしゃい!」


 そう言って、ユーリアスは財布からいくらかを取り出し、ファビアンに預けてから店を後にした。

 ティナがなにか言おうとするより早く、ファビアンはにっこりと微笑みを浮かべ、滑らかに着席する。


「我らが将帥の代わりに、ティナ殿のお相手を務める栄誉をいただけるとは、僥倖ですね」

「あは、僥倖って! 大袈裟だなぁ〜もう」


 ティナはそう言いながらも、頬に笑みを浮かべた。

 柔らかく気分を持ち上げてくれるその物腰は、いつも心を軽くしてくれる。


「本当のことですよ。美しい淑女と同じ卓につける機会など、滅多にあるものではありませんから」


 その言葉に、真面目に隣へ腰を下ろしたラシュハルトがじろりと睨みを利かせる。


「ファビアン……お前というやつはどこまでも……」

「お前も本当はそう思っているのだろう? ラシュ」


 ファビアンに話を振られ、ラシュハルトは目の前の人物へと目を向けてしまった。

 ティナは童顔ではあるが、出るところは出ているし、紛れもなく女性だ。そんなティナと目を合わせた瞬間、ラシュハルトの顔はカッと赤くなる。


(ラシュってば、相変わらずだなぁ~)


 ティナは目を細め、彼へと笑みを返す。


「そりゃ、ファビアンはちょっと大袈裟だけどさ。褒めてもらえるのって、照れちゃうけど嬉しいんだ。だから大丈夫だよ、ラシュ!」

「……ティナ殿がよろしいのであれば良いのですが……」

「うんうん! じゃ、せっかくだから乾杯しちゃおー!」


 水の入ったコップを掲げると、三人は軽くグラスを合わせた。

 澄んだ音が小さく弾け、和やかなひとときが広がっていく。


(この二人とも、なんだかんだと色々あったなぁ)


 グラスを口に運びながらティナはまた、そっと遠い日々へと思いを馳せるのだった。


ちょうど100万字になりました!

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!

100万字祝いに一言感想など頂けましたら、とても喜びます✨

残り100万字くらいで終わる予定ですので、これからもどうぞよろしくお願いします!

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