295.なに、願ったのかな……
「あ、あのさ、アス」
「ん?」
ティナは前を向いたまま、少し声を震わせて後ろのユーリアスに話しかける。
手綱を握る彼の指先が視界に入った。背中に密着する体温が、冬の空気の冷たさをかき消すほど熱く感じられる。
「昨日……なにを言おうとしてたの?」
吐き出すのに、決死の思いを振り絞った問いかけ。昨夜の言葉の続きが、胸の奥で燻る火のように気になって仕方がなかった。
心臓はどくんどくんと高鳴り、思わず息を整えながら待つ。
しばらくして、ユーリアスの声が肩越しにそっと落ちてきた。
「いや……あれはもういい」
「いいって……気になるよ!」
一度聞くと心を決めてしまった以上、是が非でも聞きたくなってしまう、ある種の好奇心のような感情。
答えを曖昧にしたままでは落ち着けるはずもなく、胸の奥でどくどくと鼓動ばかりが高鳴っていく。
もしも本当に告白だったら──そんなことなど、一切考えていない。
「だってお前、青二才って言うだろ」
「え!? 言わないよ!?」
「本当かよ……」
かっぽかっぽと馬の蹄が乾いた道を叩く。揺れるたびにユーリアスの眉間に影が寄る。
さすがのティナも、人の告白を「青二才だ」などと茶化すつもりはなかった。
「気になるから! 言って!」
「まったく……笑うなよ」
「笑わないよ!」
振り向いて真剣に告げると、その顔が思いのほか近くて、胸がどきんと大きく鳴った。
ユーリアスはわずかに頬を紅潮させ、気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「あの時、おれが言いたかったのは──」
どくんどくんと音を立てる鼓動。
恥ずかしそうなユーリアスの瞳。
馬の背が揺れるたび、お互いの体が強く触れ合う。
「……アス」
「ティナ……」
名前を呼ばれた瞬間、胸が熱くなる。その声に応えるかのように、ユーリアスはついに口を開いた。
「もっと俺のこと、頼れよ……っ」
「……ん?」
眉を寄せ、もう一度見上げるティナ。その目の前のユーリアスの頬は、確実に赤く染まっていた。
「……それだけ?」
「それだけってなんだ。ティナもジェイも……頼らなさ過ぎるんだよ。俺はそんなに頼りないか?」
顔を赤く染め、むすっと口角を下げるユーリアス。
その口からこぼれたのは、『頼りないか?』という言葉。それは昨日とまったく同じ内容だった。
「あのね、アス」
彼の不安を受けたティナは、半ば呆れるようにして言葉を続ける。
「私もブラジェイも、アスのこと、ちゃーんと背中を預けられる仲間だと思ってるよ?」
「……そういうんじゃなくてだな。お前らは過去を俺に言わな──っ、いや、なんでもない!」
言葉を最後まで紡ぎきれないユーリアスに、ティナはぽかんと目を向ける。
「つまりアスは、もっといろんなことを頼りにしてほしいってこと?」
ティナの問いかけに、ユーリアスは唇を引き結んだ。そんな彼の様子に、パチクリと目を瞬かせる。
「しかも『お前ら』って……私とブラジェイ?」
「~~っ!!」
声を詰まらせるユーリアス。ティナは思わずプッと噴き出した。
「あはっ! あははははっ!! 嫉妬して拗ねちゃったんだーー!! もーー、やっぱりアスは青二才だなぁ!! あは!」
「くそ、だから言いたくなかったんだ」
恥ずかしそうに視線を逸らすユーリアスに、ティナはしばらく笑い続けた。
しかし徐々にその笑いを収めると──ふと、心に寂しさが灯る。
「でも……私も同じだよ? 私も、なにもできてない。ブラジェイは……強い、人だから」
ブラジェイは、過去の苦しさを口にすることはない。
ティナ以外の誰かに話している姿も、想像がつかなかった。もちろん、本当のところはわからないが。
(アスは、その苦しさを私とブラジェイで共有してると思って、嫉妬したのかもしれないけど──実際は、私もアスと同じ。ブラジェイの心の中には、入り込めてないよ……)
しゅんと沈む視線に、ユーリアスはふうっと息を吐いた。
「そんなことないだろ」
その一言で胸の沈みがふっと消え、顔を上げる力が湧いてくる。目を細めるユーリアスの優しい視線が、心に温もりを灯した。
「少なくとも俺の目には、二人は信頼し合ってるしな」
「えへ、ほんと?」
にぱっと笑うティナに、ユーリアスは一瞬、呆れたような顔を向ける。
しかしすぐに、拗ねたように口角を下げた。やはり、まだ十分に頼られていないと思っているのだ。
(私から見れば、ブラジェイとアスの方が、よっぽど仲良くて信頼し合ってるんだけどなぁ)
ふふっと笑いながら、ティナは手をそっとユーリアスの頭に伸ばす。
「大丈夫だよ、アスは頼りになるなる!」
よしよしとその金髪を撫でると、ユーリアスは口を尖らせ、少しばかりムッとした表情でティナを見下ろした。
「バカにしてるだろ」
ティナはくすくすと笑いながら、そんな彼を楽しむ。
「してないよ? かわいいかわいい」
ぷくくっと笑みを漏らすティナに、ユーリアスは大きく息を吐く。
「いつまでもそうしていられると思うなよ。飛ばすぞ」
「え? わっ!」
突然の加速で、ティナはぼすんとユーリアスの胸の中に押し付けられ、心臓が跳ね上がる。
どくん、どくんと伝わる鼓動と体温が、二人の距離をさらに近づけた。
(っていうか……アスに告白されると思ってた私、どんだけ!! 恥ずかしーーぃ!!)
ユーリアスの左耳にある三日月のピアスが、背後から差す朝日にきらりと光る。金色の髪も透けるように輝き、ふわりとした毛先が淡く光をまとって揺れる。
その輝きを見つめながら、ティナは胸の奥で小さく疼く感情を宥めた。
(なんで勘違いしちゃったかなー。 アスは、ずっと変わらず、リザ一筋なのにね)
ティナは顔を胸から離し、前を向く。包まれる腕の温もりを感じながら、彼の手首に巻かれたそれを見つめる。
今にも千切れそうなフィタが、冬の風に揺れていた。
(なに、願ったのかな……)
薄明かりの道に伸びる自分たちの影を追うように、ティナは視線を落とす。
背中に寄せるユーリアスの体温を感じながら、二人は馬を駆り、フィデル国へ向かってゆっくりと走り出した。




