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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
カルティカの涙〜フィデル国の異母姉編〜

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294.こんなの慣れてるんだろうな

 翌朝、四人は起きると、フィデル国へ向けて出発の準備を始めた。

 ストレイアの兵服を脱ぎ、旅人らしい簡素な装いに着替える。

 遺跡の外に出ると、塗られた光苔の淡い光に照らされていた内部よりも、外の闇のほうがずっと濃く、空気は凍るように澄んでいた。吐き出す息が白く揺れ、夜明けを待つ森の影に溶けていく。


 ティナの馬には昨日と同じようにミカヴェルが乗り、ブラジェイとユーリアスはそれぞれ己の馬に跨る。


「ティナ、おめぇは今日、アスの方に乗っけてもらえや」


 不意に告げられたブラジェイの言葉に、ティナはぱちりと瞬きし、馬上の彼を見上げる。


「え、なんで?」

「二日も続けて二人分の重さを背負わせたら、俺のヴァルゴが参っちまうだろ」

「私の体重なんて大したことないでしょ! ブラジェイだけで二人分あるんだから! いつも大変だねー、ヴァルゴ」


 皮肉半分で笑みを浮かべながら、ティナはブラジェイの馬──ヴァルゴランの首筋を撫でた。馬はブルンと喉を鳴らし、嬉しそうに身を震わせる。


「ったく、いいからさっさとそっちに乗れ」

「もう、わかってるってば」

「それと──」

「まだなんかあるの!?」


 ユーリアスの方へ行きかけたティナは、勢いよく振り返る。ブラジェイは表情を変えず、短く言い放った。


「乗るのは後ろじゃねぇ、前だ。もうミカヴェルに逃げる気はねぇってわかったからな」

「え? うん、わかった」


 どうしてそんな釘を刺すような言い方をするのか理解できず、首を傾げながらティナはユーリアスの元へ向かう。


「アス、いい?」

「ああ」


 差し出された手は迷いなく、当然のように伸びてきた。女扱いされているみたいでくすぐったく感じながらも、その手を取る。

 ユーリアスが鐙を軽く避けてくれたタイミングで足を掛けると、引き上げる力に導かれ、ティナの身体はあっけなくすとんと彼の前へと収まった。

 すっぽりと包み込むように、背の高いユーリアスの体がすぐ背後にある。


「よろしくね、リュシアン」


 白馬のたてがみに指を滑らせると、馬は満足げに嘶いた。鐙を返すと、ユーリアスが細めた瞳でティナを見つめる。


「ティナは本当に動物が好きだよな」

「えへへ。うん、犬も猫も馬もだーいすき! いつか竜に乗ってみたいなぁ」

「ディアモントにあるレイノル竜騎士団の竜は、基本的に主と認めた竜騎士しか乗せないみたいだけどな」

「え! そうなの!? なーんだぁ……」


 肩を落としたティナに、ブラジェイの低い声が飛ぶ。


「おい、くっちゃべってねぇで行くぞ。今日はなるべく国境を越えておきてぇからな」

「うん」

「わかってるさ」

「ならいい」


 ブラジェイが馬を歩ませ、ミカヴェルも後に続く。

 ユーリアスは自然な仕草でティナを包むように腕を回し、手綱を握った。


「!!」


 思いがけず背後から抱き寄せられるような体勢に、ティナは息を呑む。

 視線を上げれば、真っ直ぐ前を向く端正な顔。背後から注ぐ夜明け前のわずかな光に、整った輪郭がくっきりと浮かんでいる。


(近ッ!!)


 慌てて目を逸らすも、胸の奥で跳ねた鼓動は収まらず、耳の奥まで熱を打ち込んでくる。


(むうー! 青二才のくせに、顔だけはいいんだからー!)


 内心でぶつぶつ文句を垂れながらも、彼を取り巻く他の女子たちと同じように舞い上がってしまっていることが、どうにも納得いかない。

 しかしその一方で、胸の奥ではちくりとした痛みが滲む。


(アスはモテるだろうし、こんなの慣れてるんだろうな)


 背に触れる体温。背後から回された腕が生む安定感。

 馬の歩みに合わせて伝わる細かな振動に、彼の存在感が否応なく意識に染み込んでくる。


「乗り心地は大丈夫か? ティナ」


 耳のすぐそば、吐息がかすかに触れる。温もりを含んだ声に、ティナの頬が熱を帯び、思わず俯いた。


(え、ちょ、な、なんでこんなにドキドキしてるの……!?)


「だ、大丈夫だから!」

「そうか。疲れたら言えよ」


 囁き声が耳たぶにまとわりつく。息遣いも心臓の鼓動さえも、耳に響くほどの距離。

 肩や腰に伝わる密着感。冬の空気が凍えるほど冷たいはずなのに、背中だけは熱に灼かれている。

 今まで青二才としか思っていなかった相手だというのに──昨夜から、ユーリアスに触れるたび、鼓動がおかしい。


(そうだ、昨日アスが変なこと言うから……!!)


 ──いいから、もっと俺のこと──


 そう言って途切れた言葉。頬を包んだ手。真剣な青い瞳。

 そして、ブラジェイに「あいつはいい奴だ」と告げられた夜の記憶。


(待って、それって……まさかアス、私のこと──!?)


 一度その可能性に辿り着いた途端、頭の中は雪崩れるように一色になった。

 景色は流れていくのに、心は一歩も進んでいかない。


(どうしよう、確かめる? でも、好きだって言われたら──)


 鼓動は耳鳴りのように反響し、今にも音になって漏れ出そうだ。

 だがこれ以上、この状態で二人乗りを続けるのは無理だと判断したティナは。


 息を吸い込むと、思い切って口を開いた。

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