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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
カルティカの涙〜フィデル国の異母姉編〜

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292.好きってバレちゃってる!?

 ぐがー……ぐごー……。


 静けさを切り裂くように、規則正しい大音量が狭い小部屋を支配していた。柔らかな床が、そのたびにゆらゆらとたわんでいる。


「……うるさい」


 むっくりと身を起こしたティナは、眉間に皺を寄せ、音の主へにじり寄った。

 眠りこけたブラジェイの顔は無防備で、戦闘時の鋭い眼差しが嘘のように穏やかだ。だが、だからといって容赦する気にはならなかった。

 ティナは手を伸ばし、思いきり鼻をつまむ。


「ふがっ、ふがふが……」


 妙ちくりんな声をあげても、夢の底に沈んだ本人には届かない。指を放した途端、すぐにあの轟音が戻ってきて、小部屋を揺さぶった。


「はぁ……もう」


 肩を落として溜め息をついた時、横で寝ていたユーリアスがわずかに目を細め、肩を小刻みに揺らしていた。笑いをこらえているのは明らかだ。


「まさか、容赦なく鼻をつまむとはな」


 からかうような声音に、ティナはむっと唇を尖らせる。


「だって、うるさすぎるんだもん。寝られないよ」

「確かにな。外へ出るか。少しは静かだろう」


 その提案に、ティナは観念したように頷き、二人はそっと小部屋を抜け出した。


 通路は光苔の青白い輝きに包まれ、夜でも明るい。冷ややかな空気が頬を撫でて通り抜け、張りつめた神経を少しずつ解きほぐしていく。

 ティナは壁に背を預け、腰を下ろした。その隣に、ユーリアスも静かに座り込む。片足を立て、その膝に肘を預ける姿は、いちいち決まっている。


「しかし……ブラジェイが、あんなにいびきをかくとはな」

「うん、普段はそんなにかかないもんね。特に野宿の時は……」


 ティナは膝を抱え込み、顎をちょこんと乗せる。声は小さく、けれど確信を宿していた。


「ブラジェイは、ずっと警戒してるから。物音ひとつでも気づけるように、眠ってても耳を張ってるんだと思う」


 思い浮かぶのは、これまで共に過ごした幾つもの夜。見張りの番でなくとも彼は剣を抱いたまま座り込み、眠るというより浅いまどろみに身を委ねるばかりだった。

 わずかな気配にもすぐ顔を上げ、刃に手をかける。その姿は、常に危機感を持つ戦士そのもの。

 グリレル村での惨劇と、救えなかった後悔が、ブラジェイをそうさせているのだ。


「つまり今は、それほど安心してるというわけか」


 ユーリアスの言葉に、ティナは小さく頷く。


「うん。ここは隠し部屋で、外から誰も来られないでしょ? それで心を緩められるんだよ。……だからね、いびきをかいてくれるのは、むしろ嬉しいんだ。うるさいけどね」


 苦笑混じりに言ったティナの横顔を、ユーリアスはちらりと見やった。


「ティナは、随分とジェイのことを理解してるな」

「え、そう? ま、幼馴染みでずっと一緒にいるからね〜」


 ティナがあはっと明るく笑ったその瞬間、ユーリアスは真っ直ぐに顔を向けた。


「……それだけか?」

「え?」


 言葉の重みを感じて、ティナは思わず見返す。

 光苔の淡い光が彼の眼差しを照らし出し、その真剣さに胸の奥がざわめいた。心臓が大きく跳ねる。


「ティナはどうなんだ?」

「どう、って……??」


 わざとらしくとぼけてみせるが、鼓動は隠しようがない。


(え、もしかして……ブラジェイのことが好きってバレちゃってる!?)


 その思い当たりに、頬に熱が集まっていく。

 ドクドクと心臓を波打たせていると、ユーリアスは胸を痛めるように声を絞り出す。


「そうやってずっとジェイを気にしているのは……過去に関係しているってことくらい、俺にもわかる」


 ブラジェイへの恋心を見抜かれていたわけではないとわかり、安堵と同時に力が抜ける。けれど昔を思い出すと、自然と眉が下がった。


「ジェイだけじゃない。ティナにも色々あったんだろ?」


 静かに、けれどどこか柔らかさを含んだ声音。

 ティナは胸の奥を突かれるように言葉を詰まらせ、視線を床へ落とす。


「……うん、まあ……いろいろね」


 抱え込んだ膝をきゅっと握りしめ、腰のカルティカをそっと撫でる。痛みに似た感覚が胸を締めつけた。

 その様子を見つめるユーリアスの瞳は、光苔の光を反射し、鋭さと優しさを同居させていた。


「だから……ティナがいつもジェイのことばかり考えてるのも、無理はないさ」


 その言葉に、ティナは思わずバッと顔を上げる。


「ちょ、そ、そんなにずっと考えてないからね!?」


 慌てて否定すると、ユーリアスはフフンと鼻を鳴らす。


「なに慌ててるんだ? それはジェイも一緒だって話なんだが」


 思いがけない一言に、ティナは瞬きを繰り返し、きょとんと首を傾げた。


「……ブラジェイも?」


 耳を疑うような言葉に、ティナの頭の中でいくつものはてなマークが弾け飛ぶ。

 考えてみても、彼の不器用な仕草やぶっきらぼうな言葉から、そんな気配を感じ取ったことなど一度もない。むしろ逆で、ティナの方が一方的に気を揉んでいるはずだが、ユーリアスは当然のように言う。


「どう見てもそうだろ」

「全然だけど!?」


 否定の叫びは裏返り、響いた自分の声にティナ自身が赤面する。だが、ユーリアスの口元にはうっすらと笑みが浮かび、挑発するような光が瞳に宿っていた。


「全然、か……まぁ、確かにそう見えるかもな」

「見えるんじゃなくて、実際にそうなの!」


 頬をふくらませるティナ。その愛嬌に、ユーリアスはわずかに目を細める。


「けど……お前たちはどこか、似たもの同士だよな」

「え? 私とブラジェイ? どこが???」


 首をかしげ、眉を寄せるティナ。その無邪気な問いに、ユーリアスは真剣な眼差しで向き合った。


「ティナ。俺は頼りないか?」

「……へ?」


 唐突すぎる問いに、ティナは目を瞬かせる。けれど、彼の頬がほんのり赤く染まっているのを見て、はっとした。

 この問いは、ユーリアスの心、そのものだと。


「あはっ! もう、青二才だなぁ〜不安になっちゃったの? かわいいかわいい」

「お前な……」


 かわいいと言われてむっとするユーリアス。ティナはそれを面白がるように、にまにまと笑みを浮かべる。


「大丈夫、頼りにしてるよ〜ちょっと青いけどね!」

「ティナ」

「ん!?」


 不意に、ユーリアスの左手がティナの頬をむぎゅっと捕らえた。

 顔を強引に向けられ、視線がぴたりと重なる。


「……アス?」


 真剣な瞳。どんな女でも惑わせる甘やかな顔立ち。

 光に透けて輝く金髪が、凛々しさに拍車をかけている。


「いいから、もっと俺のこと──」


 縋るようでいて、切実に懇願するような表情。

 その迫力に、ティナは喉がひりつくほどの緊張を覚え、思わずごくりと息を呑んだ。



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