284.もう、それは最終手段だよ!?
ティナ、ブラジェイ、ユーリアスの三人は、冷たい空気が漂うストレイア王国の森へと足を踏み入れた。
目的は一つ。ミカヴェルの居場所を突き止め連れ帰ること。
手紙の内容から、彼が隠れているのは森だと見当をつけていた。幾つもの森を調査し、最終的に辿り着いたのは──魔の森と呼ばれる、木々が密に生い茂る場所だった。
「まさか、新年をストレイアで過ごすことになるとはな」
はぁっと吹いたユーリアスの息が白くほどけ、左耳の三日月のピアスを一瞬だけ曇らせる。
降りはしないが、凍てつく寒気が肌を刺し、枯れた枝葉が足もとで心許なく砕けた。
「うー、さすがに寒いね。夏ならアスの風魔法で、快適に過ごせるんだけどなぁ〜」
「俺の魔法を扇子がわりにするんじゃない」
「アスのケチ! 青二才!」
「誰がケチで、誰が青二才だ! 夏の間、さんざん俺の魔法を利用してきたくせに」
ユーリアスは口元を引き結び、むすっとした表情で視線を逸らした。
目を合わせようとしないその仕草は、まるで拗ねた子どものようだ。やっぱり青二才だ、と心の中でニマニマする。
「あは、そうだっけ。じゃ、また今年の夏もよろしく〜」
「……調子のいいやつめ」
肩を並べて進む二人のやり取りに、横を歩くブラジェイが堪え切れず吹き出した。乾いた樹々の間に、低く太い笑い声が心地よく反響する。
「わははっ、諦めろアス。ティナは昔っからこういうやつだ」
「ちょ、それはどういう意味かな〜? ブラジェイ!」
「そのまんまの意味だぜ?」
大きな掌が遠慮なくティナの頭をわしわしと撫でる。ティナは「もう〜」と口を尖らせながらも、頬の緩みまでは隠せない。
ユーリアスはそんな二人のやり取りを、片目だけ細めてニヤニヤと眺めている。
「ま、ともかくだ。もうそろそろ目的地に着くはずだ」
ブラジェイの言葉に気持ちが引き締まる。森を抜ける風の音が、ひときわ大きく聞こえた。
ティナは息を整え、確認するように尋ねる。
「予定通り、私たちはストレイアの兵士という設定で踏み込むんだよね?」
ティナの問いに、ユーリアスは静かに頷いた。
服装は、すでにストレイアの兵服に着替えている。ティナがこっそりと拝借したものだ。
「そうだ。フィデル国の者だと疑われたら、通報されて国境の警備が一気に厳しくなる。ミカヴェルを無事に連れ帰ることが最優先だ。だから二人とも、ここではストレイア兵になりきれ」
ユーリアスの真剣な言葉に、ブラジェイとティナは笑みを浮かべ、胸を張る。
「っへ、誰に言ってやがる」
「大丈夫だよ、任せて!」
「……不安しかないんだが」
自信満々の二人を、ユーリアスは半眼で見るしかなかった。
森の奥、冷たい空気が肌を刺す。踏みしめる落ち葉の音が小さく響き、風が木々の間をざわめかせる。
三人は慎重に足を進め、やがて、視界にひっそりと佇む小さな家が浮かび上がった。煙突からは細く白い煙が上がり、家の中からは人の気配が感じられる。
「……よし、私が確認してくる」
ティナが低く囁き、身体をかがめて枝や落ち葉に気を遣いながら家へ近づく。
小さな体で、息を潜めて窓の影に身を寄せた。
クロエの情報では、ミカヴェルは茶髪で、今年三十二歳。
窓越しに室内を見つめるティナの目は、それまでと一転して鋭い。室内の物の配置や光の反射、影の揺れをすべて読み取ろうとしていた。
息を潜めるたびに心臓がわずかに高鳴る。
ユーリアスは森の陰で腕を組み、眉間に皺を寄せつつも、ティナの動きを静かに見守る。
ブラジェイは口元に薄く笑みを浮かべながら、心配そうな素振りは一切見せず、むしろ余裕さえ漂わせていた。
数秒後、ティナはそっと後ろに下がる。そして森の闇に溶けるように、ふわりと二人の前に戻った。
「家の中には六人いたよ。その中の眼鏡をかけた、髪の長い男が、年齢的にも髪色的にもそうだと思う」
報告を聞き、ユーリアスは小さく目を細めて頷く。
「よくやった、ティナ」
対するブラジェイは肩をすくめて、鼻で軽く笑った。
「おめぇは気配を消すくらいしか、能がねぇからなぁ」
「うっさい、ブラジェイ!」
ティナは腰に手を当てながら、んべっと小さく舌を出す。
ブラジェイはそれを意に介さず、ヘッと口角を上げた。
「ま、どれがミカヴェルかわかりゃぁ怖いもんはねぇな。力づくでも連れ帰りゃあいいんだからよ」
「もう、それは最終手段だよ!?」
ティナの言葉を聞いているのかいないのか、ブラジェイは真っ直ぐに家の方へと足を向ける。
「よっしゃ、んじゃ行くか。ボロ出すんじゃねーぞ、ティナ」
「ブラジェイの方こそね!」
二人は言い合いながら、ずんずんと競うように歩き始めた。
「……不安しかないんだが」
ユーリアスは同じ言葉を繰り返し、息を整えると二人の背に続いた。
家の前にやってきたブラジェイは、ためらいなど微塵も見せずに拳で扉をノックする。
中で椅子が引かれる音、足音が続き、扉は開かれた。家主らしき男が顔を出し、驚いたような顔を見せる。
暖炉の熱がわずかに漏れ、乾いた煙の匂いが鼻をくすぐった。
「……兵士の方、ですか?」
訝りながら出された声音には、訪問者が来ることの稀さがわかる。
「ああ、俺らは中央から派遣された兵だ。ちょっと話があるんだが、いいかい、親父さんよぉ」
ぶっきらぼうで荒っぽい物言いに、ティナは内心「あちゃー」と思いながらも、顔には出さずに背筋を伸ばした。
すると、奥の椅子から赤髪の少年が勢いよく立ち上がり、ずかずかと前へ出る。鋭い赤眼が三人を順に睨んだ。
「なんなんだ、てめぇらはよ……」
背の高いユーリアスと体躯の大きなブラジェイを前にしても、少年は一歩も退かない。むしろ敵意を前面に突き立て、こちらの威圧を押し返す気迫すらあった。
「我が家に何用でしょう。魔物退治のことならば、毎月二十日に報告している通りですが」
少年の父親が探るように言葉を添える。背後の人影が揺れ、暖炉の火がぱちりと弾けた。
「その案件とは別んことだ。お前ら、隠してることがあるだろ」
「ちょっと、言い方……!」
真正面から叩きつける物言いにティナは肝を冷やし、とっさにブラジェイの腕に触れて制そうとする。
しかし返ってきたのは、悪びれぬ声だった。
「いいじゃねぇか。どうせ力づくでも連れてくんだ」
「それは最終手段だって言ったでしょ、もうっ」
「ったくお前は小うるせぇんだからよ。だから連れてきたくなかったんだ」
「なによぉ。ブ……じゃない、そっちがいっつも無茶ばっかりするからでしょ!」
「やめろ、二人とも」
言い合いが熱を帯びる前に、ユーリアスが低い声で切り込み、場を鎮める。その視線は冷静で、刃のようにまっすぐだった。
「すまないな。こちらも少し気が立っている。大人しく彼を引き渡すなら、強行手段は取らない。安心してくれ」
「……彼?」
父親の眉間に皺が寄る。隣で少年がユーリアスを睨みつけ、足を半歩前に出した。
「誰だよ。俺か?」
その問いに、ユーリアスはふっと笑う。──彼らはミカヴェルをフィデルの人間として認識していない。確信が胸の奥で音もなく灯り、ユーリアスの視線は家の奥へと滑った。
そこには悠然と座る、長髪眼鏡の男の姿。腰まで届く長い髪を後ろに流し、紅茶を口に運ぶ仕草は、余裕すら漂わせていた。
少年がユーリアスの視線を追うように振り返り──そして、唇を震わせる。
「……ミカ……?」
「あはは、見つかっちゃいましたかねぇ……十一年、隠れおおせたんですけど」
軽く転がすような声音。柔らかな笑いの下に、底知れない冷ややかさが潜む。
──ミカヴェル・グランディオル。
ティナたちが追い求めた男と、ようやく相対した瞬間だった。




