277.うわー、生意気そう〜
十年前にグリレル村が襲われた後、ティナとブラジェイは迷うことなくカジナル軍へと身を投じた。
ブラジェイはその豪胆さと剣の才をすぐに認められ、戦闘隊で着実に名を上げていく。
ティナも彼の隣に立ちたいと強く望み、無理を押し通して同じ隊に加わったが──実際には斥候や金策に奔走する日々だった。
とりわけ古代コムリコッツ遺跡の探索では驚くほどの成果を挙げ、一人で部隊の月予算を賄えることもあるほど。やがて軍の誰もが、ティナのことを半ば愛称のように「金策担当」と呼ぶようになった。
そんな二人の生活が二年を過ぎた頃。
カジナルの五聖執務官の一角が退き、その後任に──クロエが選ばれた。
女性初の五聖政務官。しかも二十七歳という若さでの就任。
世間が驚きにざわめく中、彼女は一切の迷いを見せず、すぐに動き出した。
フィデル国をひとつにまとめるために。
避けられぬ戦いに備え、この国に秩序と平和をもたらすために。
クロエはフィデル国内の諸領を巡り歩き、領主や有力者たちと膝を突き合わせた。時に厳しい眼差しで圧をかけ、時に穏やかな微笑みで懐へ入り込む。
だが、彼女がどれほど手を尽くしても、各地の領主たちとの交渉は容易ではなかった。
長年培われた利害や縄張り意識は根深く、言葉ひとつで解けるほど軽いものではなかったのだ。
その一方で、ブラジェイは軍備や人材に目を光らせ、優れた者を見つけては惚れ込んだようにカジナルへ引き抜いた。
領主からすれば大きな損失であり、火種を残す行為だったが、こちらはクロエが見事に収めてしまう。
「奪った」のではなく「必要に応じて譲り受けた」という形にすり替え、時に軍資金や物資を差し出しては、領主の顔を立てていく。
ティナはその舞台裏を駆け回り、資金を工面し、物資を融通し、時には人の縁を繋げて摩擦を和らげた。
表で剛柔を操るクロエと、直感で人を見抜くブラジェイ。その二人の隙間を縫うように、ティナは縁の下から動き続けていた。
そんな忙しい日々を過ごしていたある日のこと。
庁舎の門前に、一人の青年が現れた。
まだ十九歳の若者。ティナとブラジェイより二つ下の年頃。
だが、その目に宿っていたものは年齢に似合わぬ深さだった。
「五聖執務官のクロエに会わせろ。話がある」
門前で兵士に食ってかかる姿は、あまりに剣呑で、すぐさまブラジェイが呼ばれた。
すでに信頼厚い戦闘隊の精鋭としてのし上がっていたからだ。
「クロエは会いてぇからって、すぐ会える人物じゃねぇよ」
肩の力を抜いた調子で告げるブラジェイ。しかし相手の男は、獣のように鋭い眼差しでブラジェイを射抜いた。
「……お前、誰だ」
「カジナル軍戦闘隊、第一隊長ブラジェイだ。そっちは?」
「答える必要はない」
「ふぅん……まぁいいけどよ。そんなに殺気飛ばしてちゃ、会わせられるもんも会わせられねぇぞ」
飄々と笑うブラジェイの隣で、ティナは腕を組み、男をまじまじと見た。
(うわー、生意気そう〜)
金髪で整った美形だというのに、眉間には深い皺を刻んで歯を噛み締めている。若さ特有の荒々しさと、燃え尽きそうな執念。その姿に、ティナは一瞬むず痒いような反発を覚えた。
「俺は、クロエに文句を言いに来た」
「文句?」
ブラジェイが片眉を上げる。相手を試すような静かな眼差しの奥に、戦場で培った余裕が光る。
「俺の恋人は……お前らの戦略のせいで死んだ」
吐き捨てる声には、痛ましいほどの怒りと哀しみが混ざっていた。
荒い息が短く途切れ、胸の奥で震える感情が声に押し出される。握り締めた拳は、爪が肉に食い込むほど硬く震えていた。
「そりゃ、どこの話だ?」
「北のベルフォードだ」
ベルフォードは近年、ストレイア王国との小競り合いが絶えない国境の地だった。二年前のグリレル村壊滅以降、カジナルは国威を示すため度々行軍を繰り返し、国境の出入りは厳しく制限されるようになった。
かつて、国境近くに住む者や商人たちは暗黙の了解のもと自由に行き来していた。その慣習が、厳しい制限によって突然途絶えたのだ。
それにより北のベルフォード領へと人が集中し、密入国者と地元民との衝突が絶え間なく起こる。小競り合いの火花は、日ごとに大きく燃え広がっていった。
北のベルフォード領の防衛は、現地に委ねられていた。しかし、領地を統べる五聖執務官は白翼の騎士団を擁しながらも、積極的な鎮圧には手を出さない。ストレイア王国が軍を動かす事態を恐れ、全面衝突を避けるため静観していたのだ。
その結果、戦闘の火種は現地で静かに、しかし確実に累積していった。やがて、予想を超える犠牲がひとつ、またひとつと積み重なっていく。
そして、その犠牲の一人に──彼の、恋人がいた。
「クロエが余計なことをしてなきゃ、リザは……リザリアは、死なずにすんだんだ!!」
愛する者の名を呼ぶその悲壮な声が、わからないわけではない。
けれど、クロエもグリレル村の悲劇を繰り返すまいとした、防衛策を講じた結果だったのだ。
ティナの胸の奥で、反発が小さくはじける。
「それ、本気で言ってる? なにも……なにも知らないくせに!」
飛びかかろうとした瞬間、横から大きな手で制された。
「落ち着け、ティナ」
ブラジェイが低く諭す。
その目は、青年の腰に下がった剣をじっと見つめていた。構えはしていない。しかし全身に漂う重心の安定感。そして、抜き撃ちに自信がある男の目が、そこにはあった。
「言いたくねぇのはわかるけどな、名前くれぇは名乗っとけ。今のまんまじゃ、説得力が足りねぇぞ」
しばし沈黙したのち、青年は固く結んでいた唇を開いた。
「……ユーリアスだ」
「ユーリアス。剣はやるのか?」
「腕試しがしたいなら、買ってやってもいい」
「へぇ、言うねぇ。じゃあ裏の練兵場行くか」
あまりに軽く決まった腕試しに、ティナが思わず声を上げる。
「ブラジェイ、本気で相手するの?」
「ま、どうせ負けねぇしな」
そう笑ったものの、始まってみれば、ユーリアスは驚くほどの粘りを見せた。
木剣を握った瞬間、青年は風のように距離を詰める。踏み込みは鋭く、振り下ろされる斬撃には鍛え抜かれた腕と脚の力がみなぎっていた。
ティナは息を呑む。だがブラジェイは一歩も退かず、その一太刀を正面から受け止め、木剣ごと弾き返した。
「間合いが甘ぇんだよ」
低い声が練兵場に響き渡る。圧倒的な威圧感に、空気が震えた。
苛立ちを隠さぬユーリアスが連撃へ転じる。左右の振りを交え、突き上げを混ぜた怒涛の攻め。だがブラジェイは半歩ずつ体をずらし、木剣の側面で軽く受け流していく。
「その突き、悪くねぇな。けど力みすぎだ」
「黙れ!」
最後の一撃を振り抜いた瞬間、ブラジェイが前へ踏み込み、木剣を強引に弾き飛ばす。
乾いた音とともに、ユーリアスの木剣が地面に転がり、その喉元へ切っ先がぴたりと迫った。
「……終わりだな」
息一つ乱さず告げるブラジェイ。
対照的にユーリアスは肩を上下させ、悔しさに唇を噛み切らんばかりだった。
「まだだ──」
「いいや。十分わかった」
ブラジェイが木剣を肩に担ぐと、ニヤッと口元を歪めて笑った。
「お前、悪くねぇ。カジナル軍に入れ」
「は?」
「クロエに会いたいなら、なおさらだ。軍にいりゃあ、そのうち嫌でも顔を合わせる」
青年は黙り込む。なおも睨みつけてくる瞳は荒々しく揺れたが、やがて鼻を鳴らして言った。
「……わかった、入ってやるさ。俺が内部から変えていく。もう二度と、リザのような犠牲者を出させはしない!」
その宣言は未熟で、けれど真っ直ぐで、痛いほどの熱を帯びていた。
こうして十九歳の生意気盛りは、カジナル軍に加わることとなる。
ティナは彼を歓迎する気など一片も持たなかったが──八年続く縁がここから始まることを、この時はまだ知らなかった。




