275.ダメって言ってもついてっちゃうんだからね!!
グリレル村が襲われた──その理由は、ストレイア王国の第一王女が殺害されたことへの報復だった。
そう聞かされた瞬間、ティナの胸は熱く沸き立ち、握った拳の中に爪が食い込むのも忘れていた。
しかも、王女殺しがフィデル国の者だと確定したわけでもない。
それなのに、なぜ罪もない村が焼かれ、なにひとつ罪のない人々が斬り捨てられなければならなかったのか。
村にいた数人の子どもたちは、交流会のためにカジナルを訪れており、偶然にも難を逃れた。不幸中の幸いと言えるだろう。
だが、親を失った彼らの胸中を思えば、その幸運さえ残酷に映る。渦巻く怒りが、熱となってティナの胸に滾っていた。
「どうしてグリレル村だったの……っ」
その疑問は、納得を求めるというより、心の奥から悲鳴のように溢れ出た。
クロエは瞼を伏せ、わずかに息を吸い込む。
そして言葉を探すように間を置き、選び取った音を吐き出した。
「……理由は単純だ。奴らの拠点から、一番近い村だったからだろう」
ティナの眉間が寄る。
「一番近い? でもグリレルに着く前に、兎獣人の集落があるよ?」
「そうだね。だが、奴らにとっては意味がないんだよ」
答えるクロエの声音は、冷えた鉄のように部屋に響いた。
「兎獣人は、フィデルの民ではあっても、人間社会の政治や軍に深く関わっていない。報復として見せしめにするには、価値が低いんだ」
ブラジェイが鼻を鳴らす。その響きには苛立ちが混ざっていた。
「つまり、人間を殺さなきゃ意味がねぇって理屈かよ」
「そうだ。そして一番近い人間の集落は……このカジナルシティになる」
クロエはそこで一度言葉を切る。
そして薄い沈黙の後、低く続けた。
「だが、ここは都市が大きすぎる。軍本部もあり、正面から制圧など到底不可能だ」
ティナの心臓が、不穏な鼓動を打ち始める。
その先の言葉が、予感として突き刺さる。
「……だから、次に近い村が」
「ああ……グリレル村だった」
その短い肯定は、刃のように鋭く胸に刺さる。理由を知ったところで、怒りも虚しさも消えはしなかった。
「しかしこれは、王国としての判断ではなく、個人の恨みによる犯行だ。組織的ではあったがな。ストレイア側は、今回グリレル村を強襲した集団を既に捕まえ、処分している」
淡々としたクロエの声が、余計に現実の冷たさを際立たせる。
「なるほどな。つまり捕虜の解放は、あいつらなりの詫びってわけか。だがよ……村一つ潰しといて、たった三十人返したくらいで帳消しになると思ってんなら、そりゃあ大間違いだぜ」
ブラジェイは吐き捨てるように言い、視線を地面へ落とす。
その瞳には怒りの色だけではなく、深い闇が沈んでいた。
ティナは唇を噛みしめ、拳を握る。それでも胸の奥の熱は冷えなかった。
「……ねぇ、じゃあ、このまま終わらせるつもりなの? 村の人たちは、みんな殺されたんだよ?」
声が震えるのは、怒りのせいか、悔しさのせいか。
クロエはティナの視線を真っ直ぐ受け止め、深く息を吐いた。
「気持ちはわかるよ。だけど……今回の件は、ストレイア王国としても想定外だった。王の命令でも、軍の作戦でもない。完全に個人の復讐だ」
「だからって!」
ティナは声を荒らげる。けれど、クロエは静かに首を振った。
「だからこそ、これ以上ストレイア王国が動くのは難しいんだ。犯人はもう自国内で処罰されているしね」
「じゃあ、これで終わりってこと!?」
ティナの叫びに、クロエは不本意さを隠せず顔を歪める。
「ストレイア王国は捕虜の解放と、事件から一週間以内の即時解決によって、無関係と誠意を示しているんだ。これ以上は〝憶測で攻め立てている〟と思われて、逆に外交上の立場が悪くなる。フィデル国としても合意せざるを得ない状況なんだ……わかってくれ」
ティナは言葉を失った。理屈は理解できる。けれど、村ひとつ壊滅させられ、村人たちが味わった恐怖と痛みと絶望を思うと、納得できる対処ではない。
「つまりよ……ストレイアは、そいつらを勝手に処分して終わりって腹か」
ブラジェイの声は、喉の奥から絞り出された鉛の塊のようで。
クロエは短く息をつき、視線を彼に向けた。
「……そうなる」
短い返答に滲むのは、苦味と諦めの入り混じった色。
その奥に、どうにもならない現実の重みが見える。
「ふざけんなよ」
ブラジェイが低く笑った。笑いなのに、背筋が冷えるような音だった。
「村を消しといて、最後は『もう済んだこと』かよ。野盗よりタチ悪いじゃねぇか」
「ブラジェイ……」
ティナが目を向けると、その拳は硬く握られ、微かに震えていた。
「……わかっている。あたしだって納得してやしないよ。でもこれ以上の追及は、国同士の争いに直結する」
「だから引けって? 理屈じゃそうだろうよ。でもな──」
ブラジェイの脳裏に、無数の木の墓標が蘇る。
すべてが赤く染まったあの日、あの時。忘れられない光景が胸を抉り、燻り続ける。
「理屈で腹の虫が収まるかよ」
吐き捨てる声は低く、冷静さの中に怒りが宿っていた。
ティナは唇を噛み、視線を地面に落とす。
クロエがギリッと奥歯を噛みしめ、ブラジェイを射抜くような目を向けた。
「だったらどうする、ブラジェイ。復讐に生きるのかい? ストレイア王国を滅ぼせば満足するのかい!?」
強い問いかけに、ブラジェイはまっすぐクロエを見返えした。
「滅ぼす? 上等じゃねぇか」
にやりと口角を上げる。
それは宣戦布告の鋭さを持った笑みだった。
ティナとクロエは同時に息を呑み、驚きの色を瞳に浮かべる。
「……本気で言ってるのかい、ブラジェイ」
「さすがに冗談、だよね……?」
ブラジェイは笑みを消し、真っ直ぐな声を落とす。
「冗談じゃねぇ。こんな悲劇を二度と起こさせてたまるか。争い続ける国じゃ、なにも良くはならねぇ」
内に籠るブラジェイの熱を感じ取りながら、クロエは息を殺すように問いを重ねた。
「それで、どう動くつもりなんだい?」
「──俺は、カジナル軍に入る」
その響きは、宣言というより覚悟そのものだった。
クロエの瞳が細まり、ティナは動揺に胸をざわつかせる。
「どうして、いきなり……軍って……ストレイアと戦うってこと!?」
「じゃあティナはこれからずっと、何事もなく平和にやっていけると思ってんのか?」
「それは……」
喉の奥で、無理という言葉が重たく渦を巻く。
何百年も前から続く抗争。
その炎は、今もこうして無辜の人々を焼き尽くしている。
ブラジェイの表情は微動だにせず、しかし瞳の奥で火が燃え続けていた。
「平和に……なんて、簡単にできるもんじゃねぇ。だが俺たちがなにもしなけりゃ、また誰かが同じ目に遭う。グリレルのようにな」
ティナは目を伏せ、下唇を噛んだ。
「この国を争いのない平和な国にすることが……シャノンや村のみんなへの、なによりの供養だろうがよ」
ブラジェイはそう言ってニッと笑う。
笑みの奥に滲むのは、諦めではなく固い意志。
それが容易でないことは、全員が理解していた。
そして、これ以上は彼を止められないことも──。
「じゃあ、私も軍に入る!!」
唐突な宣言に、空気が一瞬凍る。
ブラジェイは眉をひそめ、ティナを睨みつけた。
「おめぇまで軍に入らせるわけにゃいかねぇな。命の保障なんかねぇぞ」
「わかってる。でも入る。決めた。ダメって言ってもついてっちゃうんだからね!!」
きっぱりと言い放つティナの声は澄んでいて、揺らぎがなかった。
呆然と口を開けるブラジェイ。
クロエは堪えきれずに吹き出す。
「あっはっは! あんたの負けだよ、ブラジェイ。ティナは一度言い出したら聞かないからね。諦めて仲良く軍に入りな」
ブラジェイは長く息を吐き、「ったくしゃーねぇなー」と頭をガリガリと掻いた。
そしてティナに向き直り、瞳の奥に真剣な光を宿す。
「頼むから、俺の前で死ぬことだけはするな」
その視線があまりにも真っ直ぐで──ティナの胸は、ドクンと高鳴った。
腰のカルティカをぎゅっと握り、心の奥で固く誓う。
(大丈夫だよ、シャノン……絶対にブラジェイをひとりぼっちになんて、させないから……!!)
静かな決意が、胸の奥でじわじわと熱を持って燃え広がる。
二人の視線が交わり、言葉にせずとも確かに交わされた約束がそこにあった。
クロエはその様子を見て、口元にゆるやかな笑みを浮かべる。
「ならば、始めようか。この国を平和にする戦いを。これから二人には、カジナル軍でバリバリ働いてもらうよ!」
ティナは深呼吸をして、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には迷いはなく。ただ、新しい未来への光だけが、映っていた。




