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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
カルティカの涙〜フィデル国の異母姉編〜

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276/391

274.このカルティカを、少しの間

 それから──


 グリレルに駆けつけていたクロエと兵士たちが、静かに広場へと歩み寄ってきた。

 言葉を交わすこともなく、全員が胸に手を当て、目を瞑って黙祷する。澄んだ朝の空気に祈りの沈黙が染み渡り、風が木々の枝葉をやさしく揺らしていた。


 クロエはやがて顔を上げ、淡々と告げる。事後処理と調査がある、と。

 その表情は厳しく、それでいて悲しみを隠すような色を帯びていた。言葉を残す間も惜しむように、彼女は兵を伴って、すぐにカジナルシティへと戻っていった。


 残されたのはブラジェイとティナ、そして数名の兵士たち。

 彼らは黙々と、村人全員のための墓を掘りはじめた。掘った穴へ、静かに眠る遺体を埋めていく。土の匂いと、花の甘い香りが入り混じる中、鍬の打ち下ろされる音だけが規則正しく響く。


 かつては笑い声と歌であふれていた集会所の広場は、いつしか静謐な墓場へと姿を変えていた。

 そこに立ち並ぶのは、十字に組まれた簡素な木の墓標。ブラジェイとティナは、その一本一本に村人の名前を刻みつけていく。


 しかし、木は雨風に晒され、やがて朽ち果てるだろう。

 誰がどの墓に眠っているのかも、きっとわからなくなってしまう。


「いつか……ちゃんとした石の墓標を作ってあげたいね……」


 ティナがぽつりとつぶやく。声は小さく、それでも胸の奥にひっかかる願いを隠せない。

 だが、ブラジェイは首を縦にも横にも振らなかった。


「んなこと、気にしねぇなぁ。わざわざ作られる方が、嫌がると思うぜ。未来永劫残して、なんになるんだってな。ここの連中は、そういうやつらだ」


 ティナは少し黙って、視線を墓標へと落とす。


「そう……かな」

「ああ。偲ぶ奴がいる間だけで十分だ。墓標なんてもんはよ。……なぁ」


 問いかけるようなブラジェイの声と同時に、やさしい風が墓場をすり抜けていった。

 木々の葉がさらさらと鳴り、どこか遠くから小鳥の声が一瞬だけ聞こえては消える。


 すべての墓に名が刻まれ、数本ずつの野花が添えられると、ブラジェイはシャノンの墓へと歩み寄った。

 土の下に還った彼女の姿はもう見えない。

 その前で、彼は静かに目を閉じた。


 唇がわずかに動く。だが、なにを言っているのかは誰にもわからない。

 謝罪なのか、仇討ちの誓いなのか。それともシャノンだけが知る別れの言葉なのか──。


 ティナにはその姿が、悲しみや怒りに押し潰されているようには見えなかった。

 すべてを受け入れ、ただ安らかに眠ることを願う背中。柔らかな陽の光に包まれた、それは静かな祈りの形だった。


 ティナはそっと腰のカルティカに手を伸ばす。返すつもりでいた短剣だ。


(シャノン……このカルティカを、少しの間だけ預からせてもらって、いいかな……)


 柄に指を絡めると、ひやりと冷たい金属の感触が掌に広がる。

 今この場で墓に返せば、剣は土に埋もれ、やがて錆びていくだろう。

 けれど、この剣はまだ眠るべきではない──そう、胸の奥でなにかが告げた気がした。


 墓標はやがて朽ち、誰の墓かもわからなくなる。

 その時、ブラジェイがシャノンを偲ぶためのものが、必要になるかもしれない。


 ──そして、ティナ自身も。

 この出来事を忘れないように。

 自分の手で命を奪ってしまった、ロビのためにも。


 ティナはそっと鞘を撫で、腰へと差し直した。

 その瞬間、風が再び広場を抜け、墓標の花をさらって遠くへ運んでいく。

 空へと舞い上がっていった花びらを、ティナは静かに見送っていた。



 ***



 一週間後。


 カジナルシティの庁舎の一室に、ブラジェイとティナの姿があった。

 窓の外では市民の喧噪が遠く響くが、この部屋の空気は固く張り詰めている。


「村を襲った野盗は、ストレイア王国の者だと判明した」


 クロエが言葉を発した。

 ブラジェイが倒した野盗の服装や所持品から、確かな証拠が見つかったのだ。国境を越えて戻っていく集団も、実際に目撃されていた。

 報告を聞き終えたブラジェイは、静かに眉をひそめる。


「なんでストレイアの野盗が、グリレルを襲ったんだ? 大した財産もねぇってのによ」


 ブラジェイの声は低く、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。

 隣でティナも、ぎゅっと唇を噛みしめる。

 グリレルの人々が命を落とす理由など、どこを探しても見つからない。理由のない暴力ほど、やりきれないものはない。胸の奥に、じわりと怒りと悔しさが広がっていく。


「そのことで……ストレイア王国から正式な書状が届いた」


 クロエの声は落ち着いていたが、わずかな緊張が混ざっていた。

 あの独善的で高圧的な国家が、わざわざ書状を寄越すなど、滅多にないことだ。


「ストレイア王国から?」


 ブラジェイの眉間の皺が深く刻まれ、鋭い視線はクロエを射抜く。


「ストレイア王国軍のトップである、筆頭大将アリシアからだよ。我が国の捕虜が三十名解放されて戻ってきた」

「……どういうことだ、そりゃあ……」


 ブラジェイの表情が険しさを増す。呼吸が浅くなり、肩がわずかに揺れた。


「二人とも、四年前になにがあったかは知っているかい」


 唐突のクロエの問いに、ティナとブラジェイは顔を見合わせた。互いの目に「心当たりはない」という色が浮かぶ。


「四年前……私たちが十五歳の時? なんかあったっけ……」

「特になんも思い浮かばねぇな。でかい事件なら覚えてると思うが……」


 しばしの沈黙ののち、クロエが淡々と答えを与えた。


「フィデル国内での話ではないからね。ストレイア王国でのことだ」


 その言葉に、二人の表情がわずかに揺れる。忘れていた記憶の底に、かすかな影が差し込んだ。


「あ、なんか知ってるかも! 確か、ストレイア王国のお姫様が、亡くなったんだよね……第一王女だっけ」

「襲われたのは確か、第一夫人の派閥だったか?」


 ブラジェイの推測を、クロエがきっぱりと正す。


「第一王妃のリーン系だよ。第一王妃マーディア、第一王女ラファエラ、第二王子シウリスの三人が襲われ、ラファエラが死亡した事件。この主犯が捕まっていない」

「それと今回の件での捕虜解放が、どう繋がってくんだよ」


 ブラジェイは目を細め、視線を細剣のように鋭くした。クロエはひとつ頷き、声を低める。


「この事件は、どの国の者の犯行かも不明のままだ」


 しんと落ちる沈黙。ブラジェイとティナは、ただクロエの言葉を待った。


「そして王女ラファエラだけでなく、王族の護衛をしていた騎士も殺されている。その亡くなった騎士の関係者が、どうやらフィデル国の仕業だと思い込んでいたようだ」

「……っ、なに、それ……っ」


 ティナの声が、怒りと驚きでわずかに震えた。思わず身を乗り出し、拳を握る。


「つまり、グリレル村が襲われたのは、その報復ってこと!? 村のみんなは、なんにも関係してないのに!?」


 クロエは黙って頷く。

 ティナは悔しげに、奥歯を噛みしめた。


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