268.大事な二人が結婚するんだもん
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ブラジェイが、短剣カルティカをシャノンに渡してから、三日が過ぎた。
その日、ティナは庁舎の重い扉を押し開け、中へ足を踏み入れた。空気はまだ陽のぬくもりをたたえていたが、石造りの建物の中には、ほんのりと夕暮れの匂いが漂い始めていた。
差し込む光が、室内をやわらかく照らし、書類の影が静かに机の上に落ちている。
「やっほー、もらってきたよー」
明るい声が響いた瞬間、机の奥で書類に目を落としていたクロエが顔を上げた。
「ティナ、ちょうどよかった。今必要な書類だったんだ」
彼女の口調は淡々としているが、その目元にはほんのりと安堵の色が滲んでいる。
「いつも悪いね。忙しかっただろう」
「この三日間、走りっぱなしだよ! 疲れたー!」
ティナは肩を大げさに落とし、勢いよく息をつく。
「頼れる届け屋は、どこでも重宝されるものだよ。ティナは早いし確実だから、助かってる」
「人使い荒すぎ! 一段落したら、しばらく休みをとってグリレルに行くからね、私」
言葉を交わしながら、ティナは愛用の肩掛けバッグから書類の束を取り出し、手際よく机の上に並べていく。
紙の擦れる音が、窓の外から届く馬車の車輪の音と溶け合うように響いた。
「グリレルか。そういえば、あの男がプロポーズしたという話だったね」
「そうなんだ。幼馴染みのシャノンにね!」
ティナの頬が自然と緩む。言葉にするだけで心が温かくなるのは、大切な人たちの門出が近い証拠だ。
クロエはシャノンと会ったことはないが、ブラジェイのことはよく知っていた。ブラジェイは街に立ち寄るたび、庁舎に顔を出しては、ちょっとした仕事を引き受けているからだ。
魔物退治の依頼や物資の護送など、荒事も含めて器用にこなす。性格はざっくばらんで、クロエのような切れ者とも不思議とウマが合ったらしい。
護衛が必要な時には、クロエ自ら彼を指名することも多かった。
「大事な二人が結婚するんだもん。なんかプレゼント買って持っていかなきゃ!」
「ふふ、プレゼントか。なんにするかは決めたのかい?」
クロエの問いに、ティナは肩をすくめて、むうっと唸った。
「それが、まだ迷い中なんだよねぇ。シャノンには役に立つものがいいかなって思うんだけど、ブラジェイにはちょっと驚かせたいっていうか。ブラジェイって反応が素直じゃないからさ、泣かせてみたいと思わない!?」
ティナは前のめりになりながら、目を輝かせて言う。その姿はまるでいたずらを思いついた子どものようで、クロエは大きな笑い声を上げた。
「あっはははは! あの男が泣くようなことがあれば、天が割れっちまうよ!」
「あは! じゃ、割ってもらっちゃおう!」
からかい合うようなやり取りに、庁舎の空気が和やかになる。ティナの言葉に乗せられるように笑ったクロエは、ふと視線を遠くに向けた。
「それにしても、腕は立つがまだまだガキだと思っていたブラジェイが、結婚とはね」
「クロエは結婚しないの? 私たちの六歳年上だから……いま、二十五歳だよね!」
年を言われたクロエは、笑って肩をすくめる。
「そうだね……あたしは今、五聖執務官を目指してるからね。それどころじゃないってのが本音かな」
その一言に、ティナの目がぱっと輝く。
「クロエが五聖!? わー、すっごく楽しみ! 五聖初の女性執務官になれるよ!!」
「ああ、なってみせるよ……あいつと、約束しているからね」
クロエの声は、ほんの少しだけ柔らかくなった。遠くを見るような、それでいて目の奥に灯る火。それは、志を支えてくれる人を思う眼差しだった。
ティナは誰のことだかわからず、首を傾げる。
「あいつ? ブラジェイのこと?」
「いや……私の、幼馴染みさ」
「へぇ、初耳! どんな人?」
問いかけるティナに、クロエは一呼吸おいて、ぽつりと答えた。
「頭のいい男だよ……すごく、ね」
「へぇ〜〜、男の人なんだぁ〜〜」
ティナはむっふーと口元を押さえながらも、笑いを堪えきれない様子で身をくねらせる。クロエは呆れ顔で、そんな彼女を一瞥した。
「まったく、なんなんだ、その含み笑いは」
「いやー、やっぱりクロエには頭のいい人が合うんだろうなって。クロエもめちゃくちゃ頭いいしね!」
「あたしなんか、あの男に比べれば赤子同然さ」
「そんなに? わぁ、会ってみたいなぁ。カジナルにいるの?」
ティナの問いに、クロエは一瞬だけ視線を落とし、ゆっくりと首を横に振った。
「いや……どこにいるかは、わからないんだ」
その答えの意味がわからず、ティナはきょとんとしながら目を向ける。
「わからないって……どこかに行っちゃったの?」
「ああ……七年前にね。ヤウト村の鉱山紛争に関わっていたんだよ」
「ヤウト村……ストレイア王国の……そ、っか……」
ティナはその言葉だけで、すべてを察した。なにも言わず、ただ静かに俯く。
庁舎に差し込む陽が、少しずつ色を深めていく。まるで記憶の中に残るやさしい光のように、静かに場を包んでいた。




