表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
カルティカの涙〜フィデル国の異母姉編〜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

269/391

267.ここはやっぱり、私の原点だなぁ

 ティナは目を細め、小川のほとりに立った。陽を映してきらめく水面の向こうには、かつて幾度となく笑い声を響かせた風景が、そのままの形で広がっている。

 朝の光を反射して揺れる水の帯。その上を、小さな虫たちがふわりと舞い、遠くの林からは小鳥のさえずりが静かに届いていた。


 時間が歩みを止めたように変わらないままの小川。

 ティナがふっと息をつく隣で、ロビが思い出すように声を落とした。


「ここで魚つかまえようとして、二人してびしょ濡れになったりもしたよね」


 その懐かしさを噛みしめるような声に、ティナが笑う。


「したした! ロビ、転んで川に落ちたよね〜! あれめちゃくちゃ笑った!」

「笑ってたの、ティナだけだからね……」


 ロビが眉を下げて苦笑するのを横目に、ティナはひとしきりと笑ったあと、ふと真剣な面持ちで水面を見つめた。


「ここはやっぱり、私の原点だなぁ」


 そのつぶやきは、ごく自然な呼吸のように空気に溶けた。

 けれどロビは、その言葉の裏に込められた思いをすぐに察したようで、目を細めて静かに頷いた。


「嬉しかったよ。ティナが久しぶりに来てくれて」

「えへっ、ほんと?」

「ほんと」


 ロビの声には、まっすぐな気持ちがこもっていた。それを受け取って、ティナは照れたように笑った。


「都会だと、色々あるだろ? ……もっとこっちに帰ってきて、いいんだからね」

「ん……ありがと、ロビ」


 その言葉に、二人の間を一瞬、優しい静寂が包む。

 小川のせせらぎが、優しく川渕を撫でていく。ティナはその流れを目で追いながら、小さく呟いた。


「今、ちょっと気になってることがあってさー」

「なにが?」

「ブラジェイのこと」


 ティナはふと視線を落としながら口にした。


 ──あの短剣、カルティカ。

 人前では決して渡そうとしなかった彼の姿が脳裏に浮かぶ。

 ブラジェイのことだから、照れ隠しに見せかけて、妙なところで意地を張っているのでは──そんな不安が、ほんの少しだけ胸をよぎる。


 すると、ロビの表情がわずかに変わった。眉がピクリと動く。


「今朝ちょっと兄貴と話したんだ」

「ん? なにを?」

「……なんか、兄貴に『ティナを散歩にでも連れ出せ』って言われて」

「え、えぇぇ!? それって……」


 ティナの声が裏返る。思わぬ展開に驚きつつ、胸の奥がざわめいた。期待と、少しの緊張が入り混じる。


「もしかして、ブラジェイ……今日、シャノンにプロポーズするつもりじゃない!?」

「多分ね。兄貴、包みを持って出て行ったし。短剣みたいなの」

「それ、絶対カルティカ!! もう決まりじゃない!? 完全にプロポーズだよ!!」


 思わず両手で頬を包むと、ティナの顔がぱぁっと赤らんだ。

 嬉しさと興奮が混ざり合って、勢いよく声を上げる。


「ちょ、ちょっとロビ! ねえ、覗きに行こっ! 今から! 行こ行こっ!」

「……え? ええ!? さすがにそれは……」


 ロビは困惑気味に一歩後ずさるが、ティナはその腕をぐいっと掴んで引っ張った。


「だって気になるでしょ!? ほら、行くよ! 急がないと間に合わないかも!」

「いや、でもそれってちょっと……!」

「お願い! 一生に一度の瞬間を、こっそり見届けるだけだから! ね? ちょっとだけ! ねっ!」


 懇願するティナの瞳が、陽光を受けてきらきらと輝いていた。

 その勢いに気圧されたロビは、観念したように肩を落として、ため息をひとつ。


「……もう、わかったよ。ほんとにちょっとだけだよ?」

「やったーっ!! ロビ大好き!! よっし、行こうー!」


 ティナの声が弾ける。小さな体が勢いよく跳ねるように駆け出し、戸惑うロビの手をぐいと引いた。森の奥へと続く細道を、二人は風のように駆けてゆく。葉擦れの音が耳をかすめ、小鳥たちのさえずりが遠ざかっていった。


 向かった先は、森の中にある小さな開けた場所。ブラジェイが好んで足を運ぶ、静かなところだ。

 きっとそこだと、ティナは確信していた。


 草の葉が揺れ、木の影が優しく二人を包み込む。息を殺して木陰にしゃがみ込むと──その視線の先には、目的の人物たちの姿。


 ブラジェイが、シャノンの前に立っている。


「いた……!」


 ティナとロビは声を殺しながら、木の陰からじっと様子を窺う。


 シャノンは少し驚いたような表情で、その場に立ち尽くしていた。風が彼女の髪を揺らし、木漏れ日がその輪郭をやわらかく縁取っている。


 そして、無言のままブラジェイが差し出したのは──カルティカだった。


 その瞬間、ティナの喉がかすかに鳴る。空気が、張り詰める。


「結婚、すんだろ」


 ブラジェイは、それだけをぽつりとぶっきらぼうに呟いた。


「……」

「……」

「……ちょ、ちょっと! 今の言い方、なに!? もっと他にあるでしょーがー!! 愛してるとか、生涯守るとかさぁ!」


 たまらず本音がティナの口から飛び出し、ロビが慌てて塞ぐ。


「しっ! バレるから!」

「でも、あんな言い方! 全然ロマンチックじゃないし、そっけなすぎ!」


 さすがのロビも、「うーん……」と眉を寄せて言葉に詰まる。


 だが──


 木の隙間から見えるシャノンの表情は、驚きでも、戸惑いでもなかった。


 ほんのりと、小さく微笑んでいた。まるで、心の奥からふっと浮かび上がったような、あたたかい笑み。


「……あ。笑ってる」


 ティナがぽつりと呟く。


「なんか、嬉しそうだね」


 ロビの声にも、どこか安堵の色が混じっていた。


「……うん。そっか。あれでよかったんだ」


 そう言って、ティナはしゃがんだまま膝の上で頬杖をついて、その幸せそうな横顔を見つめ続けた。木々の間をすり抜ける風が、二人の間をそっと撫でていく。


(なぁなぁなんかじゃ、なかったね。シャノン)


 胸の奥がじんわりと温かくなる。

 大好きな友達の幸せを、ちゃんと見届けられて──


「……いいな、シャノン」


 そう小さく呟いたティナの声は、風の音に溶けていく。


 ──その時だった。


 ブラジェイが一歩、シャノンに近づいた。静かに、しかし確かな足取りで。そして、ゆっくりと顔を近づけていく。


「わわ、見ちゃだめ! 行こ!」


 ティナは慌てて立ち上がり、ロビの手を引いてその場を離れる。二人の間に流れる空気を、壊さないように。

 森を抜けると、陽光が木々の間から舞い降りてきた。風が髪を揺らし、世界が少しだけ明るくなったような気がした。


「キスのひとつやふたつで、そんなに逃げなくても」

「だってあれは、二人だけの空間でしょ?」

「見に行こうって言ったのティナだけどね……」

「あはっ、そうだった」


 そう言いながらティナは、てへっと笑ってぺろっと舌を出した。

 ロビは肩をすくめながらも、どこかあきれ顔で隣を歩き続ける。

 ティナはちらっと空を見上げて、ほっと息をついた。


「……でもよかった。シャノンも嬉しそうで……」

「うん。あんな兄貴の言葉でも、ちゃんと伝わるんだなって思った」

「ほんとそれ!!」


 思い出して、ティナはぷっと吹き出す。


 ──結婚、すんだろ。


 プロポーズとも言えないその決めつけのような一言が、頭の中で何度もリフレインする。


「でも……うん、ブラジェイらしいよね!」

「まぁね」


 二人は顔を見合わせ、自然と微笑みがこぼれる。


 ぶっきらぼうで、不器用で、言葉足らず。

 それでも、シャノンの笑顔がすべてを物語っていた。


「次は──僕たち、かな」


 ロビのその言葉は、ふいに風の中に混じるように静かだった。

 ティナは目を丸くして、首を傾げ、腕を組む。


「まずは相手を探さなきゃな〜。全然その予定ないし!」

「……そう、だね」


 ロビが大きく息を吸い、口を開きかけたその時──


「あっ! やばっ、時間!」


 ティナが突然声を上げて、太陽の位置を確認する。


「もう帰らなきゃ! シャノンによろしく言っといて! じゃっ!」


 シュピッと手を上げて挨拶すると、ティナはぱっと踵を返して走り出す。村の出口に向かって、風のように。


「……えっ、ちょ、ちょっとティナ!?」


 ロビが呼び止める間もなく、ティナの姿は木々の影に消えていった。

 その背中を、しばらく見つめていたロビは、小さく息を吐く。

 口にしかけた言葉は、そのまま喉の奥にそっとしまわれた。


「……ほんと、変わってないな」


 苦笑交じりの彼の呟きに、不思議と悔いは混じっていなかった。

 木漏れ日がきらきらと揺れる中、ロビは静かに歩き出す。


 ふと、脳裏に浮かぶのは、いつだって前を向いている幼馴染みの笑顔。

 それがあまりに眩しくて──ロビの唇は自然と綻んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


ざまぁされたポンコツ王子は、真実の愛を見つけられるか。

サビーナ

▼ 代表作 ▼


異世界恋愛 日間3位作品


若破棄
イラスト/志茂塚 ゆりさん

若い頃に婚約破棄されたけど、不惑の年になってようやく幸せになれそうです。
この国の王が結婚した、その時には……
侯爵令嬢のユリアーナは、第一王子のディートフリートと十歳で婚約した。
政略ではあったが、二人はお互いを愛しみあって成長する。
しかし、ユリアーナの父親が謎の死を遂げ、横領の罪を着せられてしまった。
犯罪者の娘にされたユリアーナ。
王族に犯罪者の身内を迎え入れるわけにはいかず、ディートフリートは婚約破棄せねばならなくなったのだった。

王都を追放されたユリアーナは、『待っていてほしい』というディートフリートの言葉を胸に、国境沿いで働き続けるのだった。

キーワード: 身分差 婚約破棄 ラブラブ 全方位ハッピーエンド 純愛 一途 切ない 王子 長岡4月放出検索タグ ワケアリ不惑女の新恋 長岡更紗おすすめ作品


日間総合短編1位作品
▼ざまぁされた王子は反省します!▼

ポンコツ王子
イラスト/遥彼方さん
ざまぁされたポンコツ王子は、真実の愛を見つけられるか。
真実の愛だなんて、よく軽々しく言えたもんだ
エレシアに「真実の愛を見つけた」と、婚約破棄を言い渡した第一王子のクラッティ。
しかし父王の怒りを買ったクラッティは、紛争の前線へと平騎士として送り出され、愛したはずの女性にも逃げられてしまう。
戦場で元婚約者のエレシアに似た女性と知り合い、今までの自分の行いを後悔していくクラッティだが……
果たして彼は、本当の真実の愛を見つけることができるのか。
キーワード: R15 王子 聖女 騎士 ざまぁ/ざまあ 愛/友情/成長 婚約破棄 男主人公 真実の愛 ざまぁされた側 シリアス/反省 笑いあり涙あり ポンコツ王子 長岡お気に入り作品
この作品を読む


▼運命に抗え!▼

巻き戻り聖女
イラスト/堺むてっぽうさん
ロゴ/貴様 二太郎さん
巻き戻り聖女 〜命を削るタイムリープは誰がため〜
私だけ生き残っても、あなたたちがいないのならば……!
聖女ルナリーが結界を張る旅から戻ると、王都は魔女の瘴気が蔓延していた。

国を魔女から取り戻そうと奮闘するも、その途中で護衛騎士の二人が死んでしまう。
ルナリーは聖女の力を使って命を削り、時間を巻き戻すのだ。
二人の護衛騎士の命を助けるために、何度も、何度も。

「もう、時間を巻き戻さないでください」
「俺たちが死ぬたび、ルナリーの寿命が減っちまう……!」

気持ちを言葉をありがたく思いつつも、ルナリーは大切な二人のために時間を巻き戻し続け、どんどん命は削られていく。
その中でルナリーは、一人の騎士への恋心に気がついて──

最後に訪れるのは最高の幸せか、それとも……?!
キーワード:R15 残酷な描写あり 聖女 騎士 タイムリープ 魔女 騎士コンビと恋愛企画
この作品を読む


▼行方知れずになりたい王子との、イチャラブ物語!▼

行方知れず王子
イラスト/雨音AKIRAさん
行方知れずを望んだ王子とその結末
なぜキスをするのですか!
双子が不吉だと言われる国で、王家に双子が生まれた。 兄であるイライジャは〝光の子〟として不自由なく暮らし、弟であるジョージは〝闇の子〟として荒地で暮らしていた。
弟をどうにか助けたいと思ったイライジャ。

「俺は行方不明になろうと思う!」
「イライジャ様ッ?!!」

側仕えのクラリスを巻き込んで、王都から姿を消してしまったのだった!
キーワード: R15 身分差 双子 吉凶 因習 王子 駆け落ち(偽装) ハッピーエンド 両片思い じれじれ いちゃいちゃ ラブラブ いちゃらぶ
この作品を読む


異世界恋愛 日間4位作品
▼頑張る人にはご褒美があるものです▼

第五王子
イラスト/こたかんさん
婿に来るはずだった第五王子と婚約破棄します! その後にお見合いさせられた副騎士団長と結婚することになりましたが、溺愛されて幸せです。
うちは貧乏領地ですが、本気ですか?
私の婚約者で第五王子のブライアン様が、別の女と子どもをなしていたですって?
そんな方はこちらから願い下げです!
でも、やっぱり幼い頃からずっと結婚すると思っていた人に裏切られたのは、ショックだわ……。
急いで帰ろうとしていたら、馬車が壊れて踏んだり蹴ったり。
そんなとき、通りがかった騎士様が優しく助けてくださったの。なのに私ったらろくにお礼も言えず、お名前も聞けなかった。いつかお会いできればいいのだけれど。

婚約を破棄した私には、誰からも縁談が来なくなってしまったけれど、それも仕方ないわね。
それなのに、副騎士団長であるベネディクトさんからの縁談が舞い込んできたの。
王命でいやいやお見合いされているのかと思っていたら、ベネディクトさんたっての願いだったって、それ本当ですか?
どうして私のところに? うちは驚くほどの貧乏領地ですよ!

これは、そんな私がベネディクトさんに溺愛されて、幸せになるまでのお話。
キーワード:R15 残酷な描写あり 聖女 騎士 タイムリープ 魔女 騎士コンビと恋愛企画
この作品を読む


▼決して貴方を見捨てない!! ▼

たとえ
イラスト/遥彼方さん
たとえ貴方が地に落ちようと
大事な人との、約束だから……!
貴族の屋敷で働くサビーナは、兄の無茶振りによって人生が変わっていく。
当主の息子セヴェリは、誰にでも分け隔てなく優しいサビーナの主人であると同時に、どこか屈折した闇を抱えている男だった。
そんなセヴェリを放っておけないサビーナは、誠心誠意、彼に尽くす事を誓う。

志を同じくする者との、甘く切ない恋心を抱えて。

そしてサビーナは、全てを切り捨ててセヴェリを救うのだ。
己の使命のために。
あの人との約束を違えぬために。

「たとえ貴方が地に落ちようと、私は決して貴方を見捨てたりはいたしません!!」

誰より孤独で悲しい男を。
誰より自由で、幸せにするために。

サビーナは、自己犠牲愛を……彼に捧げる。
キーワード: R15 身分差 NTR要素あり 微エロ表現あり 貴族 騎士 切ない 甘酸っぱい 逃避行 すれ違い 長岡お気に入り作品
この作品を読む


▼恋する気持ちは、戦時中であろうとも▼

失い嫌われ
バナー/秋の桜子さん




新着順 人気小説

おすすめ お気に入り 



また来てね
サビーナセヴェリ
↑二人をタッチすると?!↑
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ