265.本当に私は幸せだなぁって思うんだ!
ブラジェイの家を出ると、ティナは歩いて五分ほど離れた隣、シャノンの家の扉をくぐった。
いつも変わらず迎えてくれる彼女の両親に、挨拶と感謝の言葉を伝え、慣れた足取りでシャノンの部屋へと向かう。ドアを開けた瞬間、ふんわりとした布団と木の香りに包まれ、心の奥がゆるむ。
ティナはそのまま勢いよく布団に飛び込み、ぽすんと軽快な音を立てて背中を沈ませた。体いっぱいに広がる柔らかさを感じながら、天井を見上げて思い切り伸びをする。
「は~~~、やっぱシャノンん家って落ち着く~! こっちの空気、深呼吸するだけで元気出る感じするんだよね!」
心からの実感だった。身体の中に溜まっていた街のざわめきやら焦りやら、見えない埃みたいなものが、すぅっと洗い流されていく気がする。
「田舎くさいってこと?」
すぐ隣で横になっていたシャノンが、いつもの調子で突っ込みを入れてくる。けれどその声色には、どこか意地悪な優しさが滲んでいた。
「違うから! シャノンの部屋が好きってこと!」
ティナの即答に、シャノンは苦笑しながらも愛しげにティナの額を指先で軽く弾いた。
ぺしんっという小気味よい音と同時に、ティナが「へぷっ」と変な声を漏らす。
「まったく、調子いいんだから」
「えー、ほんとなのにぃー!」
むぅっと頬を膨らませるティナ。けれど、シャノンと目が合った瞬間、その表情はたちまち緩み、おかしさを堪えきれず、ぷっと吹き出してしまう。
二人の笑い声が、部屋に弾けた。
シャノンは「もう〜」と言いながら、笑いで溜めた涙を指で拭いながら語りかける。
「ティナ、仕事始めてからさ、こっちにあまり来なくなったじゃない?」
「あー、うん……来たいんだけど、そうしょっちゅうは難しくって」
仕事を始めてから、確かに以前のようには来られなくなった。日々の忙しさに流されて、気がつけば数週間が過ぎていることもある。
「ブラジェイは週に最低二回はカジナルに行ってるから、そうでもないだろうけど……寂しいんだからね、私もロビも」
ふいに告げられた言葉に、ティナのまなざしが驚きで揺れた。
寂しいという感情が幼馴染みの中に宿っていたことに、ティナの胸はじんわりと沁みていく。
「そうなの? シャノン、私がいないと寂しい??」
「なんでそんなに嬉しそうなのよ」
「えへへ。だって、やっぱ嬉しいよ。そう思ってもらえるの!」
ティナがにっこりと笑えば、シャノンもそれに釣られて小さくため息をついた後、ゆるく笑みを浮かべる。そんな顔を見ると、ティナはますます嬉しくなった。
「私さ。シャノンがここにいるって思うと、なんか安心するんだよね。カジナル以外にも帰れる場所があるって、本当に私は幸せだなぁって思うんだ!」
「ティナったら、それ言うの何回目?」
すっかり聞き慣れた様子で、シャノンは少し困ったように眉を下げる。
それでも彼女の声には、どこか照れくさそうな喜びが見え隠れしていた。
「だって、しょうがないでしょー! そう思うんだもん!」
「ふふっ。でも嬉しい。いつでも帰ってきてね、ティナ」
「うん! あーでも、シャノンがブラジェイと結婚しちゃったら、私はどこに泊まったらいいんだろー! 困った!」
言葉は軽くとも真剣に悩んでいると、シャノンはさも当然のように口を開いた。
「そんなの、ロビの家に泊まればいいじゃない。おばさんたちだって喜ぶよ?」
「そっかー。うーん、でもシャノンとこうして話せないのは、ちょっと寂しいなぁ」
そう言って考えを巡らしながらも、ティナは、にひっと顔を上げた。
「っていうかさ! 今普通にブラジェイとの結婚、受け入れたよね!?」
そう指摘すると、シャノンの頬がぱっと赤く染まる。
「そりゃ……なんかもう、村のみんなが勝手にそう思ってるっていうか……そんな感じだし」
「実際、どうなの? プロポーズとか、された!?」
ティナの興味は膨らむばかりだった。目を輝かせながら身を乗り出すと、シャノンの表情がすっと曇る。
「それ……ないのよね。多分、私たちは……なぁなぁで結婚して、なぁなぁで暮らしていくんだと思う」
ぽつりと落とされたその言葉に、ティナの胸がちくりと痛んだ。
シャノンの声には、不安がにじんでいる。
幼なじみだからこそ、彼女の微細な揺れにも気づけてしまう。
「なぁなぁじゃ、いやだーって顔してるよ? シャノン」
「……もうっ、そんなところばっかり気にして」
言葉では否定しながらも、シャノンの頬はまた赤くなり、まるで気持ちを隠すように枕に顔をうずめる。
しかしそんなシャノンを見ると、ティナの頬は逆に自然と緩んでしまった。
「あは。シャノン、かわいい。本当にブラジェイが好きなんだね!」
幼馴染みにそう言われるのは恥ずかしかったのか、シャノンはますます顔を真っ赤にして枕を抱きしめる。
その仕草がなんとも愛おしくて、思わずぎゅっと抱きしめたくなるほどだった。
「でも……私、なにも言われたことない……」
「なにもって……好きとか言ってくれないの!?」
ティナが思わず声を張ると、シャノンは小さく頷きながら答えた。
「冗談っぽくはあるけど……真剣に言ってくれたことは、ないの」
その言葉に、ティナの脳裏には容易にブラジェイの姿が浮かんだ。
照れくささを誤魔化すように、ぞんざいな口調で「へーへー、好きだっての!」と流す様子が、まるで目の前に再現されるようだった。
「むぅ、ブラジェイめ……私のシャノンをこんなに不安にさせて、許すまじ……!」
「もう、ティナったら」
それでも、ティナの言葉にシャノンがくすくすと笑ってくれたことで、ほんの少し安心した。そしてにぱっとティナも笑顔を見せる。
「大丈夫だよ、シャノン。ブラジェイだってさすがに結婚ってなると、なぁなぁでなんて終わらせないよ。そう思わない?」
「そう……かな」
「うん、きっとそう! たぶん!」
「もう、どっちよ!」
二人の声が重なって、また笑い声が広がる。
そのやり取りの最中、ティナの頭にふっと思い浮かんだのは、今日持ってきた──あのカルティカのこと。
(あれ……絶対、プロポーズに使うつもりだー!)
にやけそうになる顔を必死に堪える。
あれを渡されたシャノンが、どんな顔をするのか。想像だけで心が弾んだ。
「さ、今日はもう寝るわよ。お腹出して寝ないようにね、ティナ」
「はーい」
昔から変わらない、しっかり者のお姉さん気質。
そういうところも好ましいと思いながら、ティナは布団の中へと潜る。
「こうしてシャノンの横で寝るの、やっぱりほっとするなぁ。あー、寝たくない~、しゃべってたい~~」
「こら。明日は早いんだから、さっさと寝なさい。明日、ロビに朝から起こされるよ?」
「やだ~~起こされたくな~~い。ずっとこうしてたい~~~」
「はいはい、寝る。静かにして、ティナ。しゃべったらもう一発ぺしんだからね」
「ぴえん……優しくして……」
「口を閉じる!」
「えへへっ」
最後にもう一度、二人の笑い声が布団の中で弾けた。
外の夜は静かに、静かに、深まっていく。
ティナとシャノン。仲良しの二人のために、時間は優しく流れているようだった。




