261.あーうるせーうるせー
ティナは、十六の頃から働いていた。
最初は母の手伝いから始まった、ごくささやかな仕事。各所に書類を届けたり、伝言を預かったり。
けれど、気がつけば彼女はカジナルシティのあちこちを軽やかに走り回り、必要とあらば領内の村々へも足を伸ばすようになっていた。
ロビとシャノンは、グリレル村で農作業に精を出していた。
ブラジェイはというと、村で採れた農産物を都市に卸しに来るついでに、ちょっとした用心棒のような仕事や日雇いのアルバイトで外貨を稼ぐ。
そして、必要な物資を揃えては、またグリレルへと帰っていく──そんな暮らしを繰り返していた。
幼い頃に比べれば、四人が顔を合わせる機会はぐんと減った。それでも、ティナが仕事でグリレル村を訪れることはあったし、ふと思い出したように村を訪ねれば、変わらぬ笑顔で迎えてくれる幼馴染みたちがいた。
そうして過ごしていた十七歳の時に、ブラジェイは恋人のシンシアを亡くしたのだ。
静かに再発していた病は、気づかれないまま進行していたのだという。
突然すぎる別れに、ティナも深く息を呑んだ。
けれどブラジェイは、彼女がいなくなっても、まるでなにも変わらないかのように振る舞っていた。
その表情に陰りはなく、仕事も暮らしぶりも、以前と変わらないまま。
少なくともティナの目にはそう映っていたし、同じ村に暮らすロビもシャノンも、きっと同じ印象を抱いていただろう。
〝ブラジェイは変わらない〟。
誰もがそう思っていた。
けれど──恋人を失った彼を心のどこかで案じていたのは、きっと皆、同じだったはずだ。
それから一年後。
若者が少ないグリレル村では、ごく自然な流れで、ブラジェイとシャノンが〝婚約者のような関係〟として見られるようになっていた。
もともと、二人は村の大人たちから、当然のようにそうなるものと思われていたのだ。
本人たちにそういう意識は長らくなかったが、十八歳になったブラジェイとシャノンは、気づかぬうちに互いを意識し始めていた。
その話をロビからこっそり聞いた時、ティナは素直に喜んだ。
大切な幼馴染みの二人が結ばれるなんて、これほど素敵なことはない。
ほんの少しだけ胸の奥をかすめた寂しさも、シャノンの嬉しそうな笑顔を見たら、どこかへ飛んで消えてしまった。
ある日の午後、陽射しがやわらかく村を包む頃。
ティナがグリレル村を訪れると、集会所の前にちょっとした人だかりができていた。
「なんかあったの?」
そう声を掛けながらふと見ると、ブラジェイが倒れかけた屋根板を軽々と担ぎ、手際よく修理を進めている。
高所にも怯むことなく登り、慣れた手つきで工具を操るその姿には、無駄な動きひとつない。
「あやつは本当になんでもできる男じゃから、助かるのう」
村長のその一言に、ティナは思わず頬をゆるめた。
頼られるのが当たり前のような人間。
それがブラジェイという男なのだ。
けれどその時。
穏やかな空気を裂くように、ひときわ厳しい声が飛んだ。
「こらぁっ、ブラジェイ! あんたまた命綱つけてないでしょ!」
シャノンだ。
両腕を胸の前できつく組み、仁王立ちでブラジェイを見上げている。
鋭いまなざしは、心配の裏返しだと、誰の目にも明らかだった。
「大丈夫だっつってんだろ。足元も安定してるし、俺が落ちるわけ──」
「そういう過信が一番危ないの! いつかほんとに怪我するよ、わかってる!? 村であんたが倒れたら、誰が運べるっていうのよ!」
「お前か?」
まるで意地悪な子どものように返すブラジェイに、シャノンの頬がむっと膨らむ。
「運ばれて川にでも捨てられたいの?」
ひときわ静かに落とされるシャノンの声。ブラジェイは屋根の上で眉を片方だけ上げる。
「おお、怖ぇ怖ぇ」
おどけたように言いながら、再び工具を握り直し、屋根の上でトンテンカンと作業を再開する。
「人の話を聞きなさぁぁあい! い・の・ち・づ・な!!」
「あーうるせーうるせー」
その返しは、半ば苛立ち、半ば照れ隠し。
やり取りを見守っていた村人たちは、みな口元を緩めた。子どもがじゃれ合うようなその光景は、この村に昔から溶け込んでいる、温かな日常そのものだった。
ティナも、気づけば笑っていた。
呆れの息が小さくこぼれる。それでも胸の奥には、ほっとするような熱が広がっていく。
相変わらずシャノンは口うるさくて、ブラジェイが危なっかしいことをすると、すぐ眉を吊り上げて注意した。
ブラジェイは「うるせーうるせー」と応じながら、その目尻にはどこか柔らかな色を宿している。まるで、口げんかを通して互いの無事を確かめ合っているかのように。
ティナは、そんな二人が好きだった。
いつかきっと、結婚するだろう。
つらいことがあった分、ブラジェイには幸せになってほしいと──
きっとなれるはずだと、ティナはこの時、信じて疑わなかった。




