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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
カルティカの涙〜フィデル国の異母姉編〜

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259.あなただって小さいよ!

 ストレイア王国と敵対している、フィデル国の正式名称は──フィデル五聖執務国。


 その名が示すように、国には五つの都市が存在し、それぞれに政務官が一人ずつ任命されている。五人は合議制を取り、国政の全権を担っていた。


 だが、隣国ストレイア王国と剣を交えようとしているのは、そのうち二つ──国境に面したカジナル領とレオストラ領だ。

 北部のベルフォード領にも時折小競り合いは起こるが、規模は小さく、干戈を交える頻度も稀である。


 残るベルモント領とヴァルシード領に至っては、もはやあからさまと言っていいほど軍事支援に後ろ向きだった。


 さらに、この国は単一民族ではない。エルフ、ドワーフ、獣人族──多種多様な種族が入り混じり、それぞれの文化を持って共存している。

 豊かさと引き換えに、国として一枚岩になることは難しく、対ストレイア戦へ踏み切るには、あまりに足並みが揃わなかった。


 それでもなお、崩れかけた均衡を保ち、国を一つにまとめようと懸命に動いている者たちがいる。


 五聖執務官の一人にしてカジナル領主、クロエ・アグライア。

 そしてグランディオル家の名を継ぐ参謀軍師、ミカヴェル・グランディオルだ。




 


 カジナルシティの庁舎の庭先。

 陽光が差し込む中、ティナは腰を下ろした石段の上で、短剣の刃先に慎重に砥石を滑らせていた。

 室内では研ぎ粉が飛んでしまうし、陽の下で刃の反りを見る方がずっとやりやすい。

 そんな理由もあって、彼女はよくこの場所を使っている。


「うん、きれいに研げた!」


 空から差し込む陽光を跳ね返して、まぶしく光る。

 ティナはその輝きに満足して頷き、白い歯を覗かせて笑った。


 傍らにいたユーリアスが、その輝きよりもティナの笑顔に目を細める。


「大事に使ってるな、その短剣」

「うん。これは……この〝カルティカ〟は、シャノンの形見だからね」


 その名を口にした瞬間、ティナの笑顔に、ほんの少しだけ陰が差した。


「俺と出会う前の話か……思えば、ティナたちの話を詳しく聞いたことはなかったな」


 風が吹き、ユーリアスの金色の髪がさらりと舞う。

 彼の言葉に、ティナは小さく頷いた。


「うん……色々、あったからね。ブラジェイも言いたがらないし」

「……そうか」


 その声は、余計な詮索をしない優しさに満ちていた。


 そして数秒の沈黙のあと、ユーリアスはそっとティナの頭に手を置いた。

 ポン、と軽く叩くような、けれど穏やかな仕草。


「まぁ、無理やり聞き出す趣味はないさ。ただ……抱えきれない時には、聞いてやる度量くらいはあるつもりだ」


 金髪が風にそよぎ、彼の整った顔立ちが一層映える。

 そのまっすぐな眼差しに、ティナの顔がぱあっと明るくなった。


「ありがとう、アス! うん、その時には聞いてもらうね!」


 それに軽く頷くと、ユーリアスは静かにその場を離れていった。


 ティナは残された自分の手の中で、短剣──カルティカをもう一度強く握る。


 大事な幼馴染み──シャノンの、形見を。




 ***


 ティナの母、ミュートは、かつて由緒ある家の令嬢だった。


 だが十七の年、身ごもった相手の素性を親に明かさぬまま子を宿したことで、家から勘当される。

 屋敷を追われ、誰の助けもないまま生まれてきた娘──それがティナだった。


 行政の保護を受けながら、ミュートは娘を一人で育てた。

 それでも母として、できる限りのことをしようと彼女は決意していた。

 与えられた仕事は誠実にこなし、カジナルシティの行政役人の補佐として、着実に信頼を積み重ねていった。


 ここ、カジナルシティの中央広場では、週に一度、地方農産物の直販市が開かれていた。

 周辺の村々が誇る野菜や果実、珍しい加工品を荷車に積み、色とりどりの屋台が並ぶその光景は、市場というよりも、ちいさな祭りのようだった。ざわめきは途切れることなく、甘い果実の匂いや揚げたての香ばしい匂いが風に乗って、広場を満たしていく。


 その日のミュートは、物資の受け入れから衛生検査の立ち会い、迷子の案内板の設置にまで関わっており、まさに広場を飛び回るように動いていた。

 そしてその足元には、一緒についてきた四歳のティナの姿があった。

 母のそばを離れないという約束で。


 けれどその約束は、そう時間も経たぬうちに、風のように消えていた。


「わぁ、このニンジン……顔みたい! あ、こっちはキュウリがくにゃってしてる!」


 見慣れぬ形の野菜たちに目を輝かせながら、ティナは次の屋台へ、さらにその隣へと吸い寄せられるように歩き出す。土の匂いと、人々の声と、色鮮やかな収穫物が入り混じったこの場所は、幼い彼女にとって宝箱のようだった。


 けれど──ふと足を止めて顔を上げたとき、そこにいるはずの母の姿は、どこにもなかった。


 周囲を埋め尽くす人波。雑多な話し声。背の高い大人たちの間を見上げても、見覚えのある髪も服も見つからない。

 ティナは一歩も動けず、ぽつんと広場の真ん中で立ち尽くした。


 けれど、泣きはしなかった。

 小さな肩をこわばらせながら、背伸びをして、目を細めて、それでも母の姿を探そうと、必死に首を動かしていた。


 ──そんなときだった。


「ったく、ちっちぇーのが一人でウロウロしてんじゃねぇよ。どこから来た?」


 ティナがびくっとして振り向くと、見慣れない男の子が野菜籠を片手に、ちょっと呆れたような顔で立っていた。


「あなただって小さいよ!」

「お前よりゃでけぇよ」


 その返しにティナがむっと頬を膨らませたのを見て、男の子──ブラジェイはふっと笑った。


「で? 親は?」

「……わかんない」

「チッ、しゃーねぇな。こっち来いよ。放っといたら、ほんとにどっか連れてかれんぞ」


 言葉遣いはぞんざいなのに、袖を引く手は不思議と優しい。

 言われるままに歩いていくと、彼は荷車の裏手にあるマットの上にティナを座らせた。


「そこ動くなよ。あとで親、探してやっから」


 そう言って、彼は再び荷物の野菜を並べ始めた。

 文句を言いながら、世話は焼いてくれる。そんな不思議な男の子。


 それが、ティナとブラジェイの出会いだった。



 その後、彼の両親がティナの母を見つけてくれた。そこから二家族は交流を深めていくことになる。


 毎週顔を合わすうちに仲良くなったブラジェイとティナは、そのうち自然と、彼らが暮らす村──グリレル村に足を運ぶようになった。


 緑豊かな丘と、風にそよぐ麦畑。町の喧騒とは無縁の、小さな農村。

 土の匂いも、朝の風も、夜に聞こえるカエルの声すら、すべてが新鮮だった。


 村には子どもが少なく、遊びに行くと、春が来たかのようにみんなが笑顔で迎えてくれる。

 そのあたたかさもまた、ティナにとっては嬉しかった。


 ブラジェイのひとつ下の弟ロビは、やさしくておっとりした子だ。

 草むらを歩けば、すぐにしゃがみ込み、虫や花に見とれて動かなくなるような、素直で感受性の強い性格だった。


「ティナちゃん、これ見て! オクラの葉っぱがハートの形だったよ!」


 小さな手を広げて、きらきらした瞳で見せてくれる。その笑顔は、今も脳裏に焼き付いている。


 そしてもう一人。ブラジェイの隣の家のシャノンは、明るくて気配りができ、まるでお姉さんのようにみんなを引っ張ってくれるしっかり者だった。

 誰かが泣けば真っ先に駆け寄り、ケンカが起これば間に入って止める。

 遊びのルールを決めるのも、誰がなにをやるか決めるのも大抵シャノンの役目だったし、なにかあればすぐに「ハイハイ、まずは落ち着いて!」と手を叩いて、みんなを並ばせようとする。


「面倒くせぇ……」と、ブラジェイはいつも眉をひそめていたけれど、ティナも、ロビも、そんなシャノンのことが大好きだった。


 泥だらけになってみんなで野原を走り回った日々。


 小川でトカゲを捕まえてはしゃぎすぎて、ロビを泣かせた日もあった。


 あまりに跳ね回りすぎて、井戸水を頭からかぶって、シャノンに本気で怒られたこともある。


 そして、転んで膝から血がにじんだとき。

「しゃーねぇな」と言いながらも背負ってくれたのは、いつもブラジェイだった。


 四人で過ごした時間は、今も胸に残る宝石のような記憶だ。

 あの頃の空、風、笑い声。すべてが、今も胸の奥に、確かに残っている。


 ティナは手の中の短剣──カルティカを、そっと握りしめた。

 あの日々はもう戻らない。けれど、それでも、この刃の中には確かに宿っている。

 シャノンが遺してくれた、なににも代えがたい、記憶の証が──。


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