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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜筆頭大将編 第一部 始動〜

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252/391

250.期待しているからこそよ?

 王都の門が遠く霞む地平に姿を現し始めた頃──アンナは乗合馬車を降りた。

 傍らには、静かに歩調を合わせるイークス。郊外の丘の中腹には、墓標がいくつも肩を並べている。


 周囲はすっかり秋の気配に包まれていた。空は高く、澄んだ風が色づいた草を揺らし、どこかもの悲しい香りを運んでくる。


 アンナは、ひとつの墓の前で静かに膝をつき、手を組み合わせた。隣でイークスも、心得ているように伏せている。

 祈りの最中、不意に吹き抜けた風が漆黒の髪を撫でていった。


「すっかり、秋ね……」


 呟く声はどこか寂しさを含み、しかし穏やかだった。十月も半ばを過ぎたこの季節は、毎年、アンナの胸にわずかな切なさを運んでくる。


「今年も、命日に来られなくてごめんなさい。また、来るわね……グレイ」


 そっと視線を上げ、彼の名が刻まれた石を見つめる。アンナの瞳は、そっと遠い時間を抱きしめていた。


 丘を下りると王都に入り、裏山へと向かう。

 緩やかな斜面を登り、ひと息ついて振り返ると、眼下には黄昏に染まりはじめた王都が見えた。

 アンナはそっとイークスの首輪を外す。


「楽しかったわね、イークス。また……来年、行けると思うわ」


 彼女の言葉に、イークスはくぅんと小さく鼻を鳴らす。イークスもアンナも……微かな予感を、胸のどこかで感じていた。


 ──また来年も、こうして祈りを捧げ続けていくのだと。グレイの命日ではない日(・・・・・・・)に。


 日は傾き、空の端が淡く朱に染まり始めていた。アンナはひとり、王宮へと足を向ける。


 門をくぐると、アンナに気づいた騎士たちの敬礼が続いた。

しかし旅装を脱ぎ、柔らかな衣服をまとった穏やかな姿のせいか、筆頭大将と気づかぬ者も、いくらか見受けられた。


(髪の色は戻しているのだけれど……それでも気づかれないなら、フィデル国でも気づかれたりはしないわね)


 わずかに残っていた不安を消し去って、アンナは自分の執務室の扉を開ける。


「アンナ様!!」


 待ち構えていたように立ち上がったのは、ルティーだった。目を見開き、ぱっと表情が綻ぶ。


「おかえりなさいませ! ご無事でよろしゅうございました!」

「ただいま、ルティー。大袈裟よ。少し旅行してきただけじゃないの」


 苦笑交じりに返すアンナの言葉に、ルティーは少し頬を赤らめて、それでも真剣なまなざしで問いかける。


「お怪我は大丈夫でしたか? 傷が開いたりは……」

「ふふ、いつの話をしているの? もうすっかり大丈夫よ」


 柔らかなアンナの口調に、ルティーはほっと息を吐いた。その仕草に、少女の真心が滲み出ていて、アンナは微笑ましく思う。


「ルティーも、変わりはなかった?」

「はい。いつも通り、勉強をして過ごしていました」

「せっかくなんだから、お出かけでもすればよかったのに」

「いえ……私には、学ばなければいけないことがたくさんありますから……」

「……そう」


 律儀な返答に少し眉を下げながら、アンナは懐から小さな袋を取り出す。


「これ、旅行のお土産よ」

「わぁ……ありがとうございます!」


 目を輝かせながら、両手で受け取るルティー。袋の口をそっと開いた彼女は、ほんの少し首を傾けた。


「これは……干し葡萄? それに……小さな瓶?」

「葡萄のお菓子と、香油よ。葡萄の種から絞ったものなんだとか。肌に塗ると保湿にいいらしいの。これから冬が来るし、使ってね。若いうちからのケアが肝心よ」

「気にしてませんでした……ありがとうございます、使わせていただきます!」


 嬉しそうにふわりと微笑むその表情に、気になる様子はなにひとつなかった。

 いつもとまったく変わりのないルティーの態度に、アンナは安堵して机に向かう。


「なにも置かれてないわね」

「すべてトラヴァス様が引き受けてくださっているので……この二週間分の動向報告書を、アンナ様が戻り次第、届けに来るとおっしゃっていましたが」


 ルティーがそう言った瞬間、ノックとほぼ同時に扉が開いた。


「アンナ、帰って来たって!?」

「お前はちゃんとノックをしろ、カール」

「したっつの!」


 そこにいたのは、赤獣カールと氷徹トラヴァスの姿。


「帰って早々、騒がしいわね、もう」


 呆れつつもどこか笑顔で息を吐くアンナに、ルティーも楽しげにくすくすと笑っている。


「今回は、どこ行ってきたんだ?」

「まぁ、色々とね。古代遺跡を巡ってきたわ」

「っぶ!」


 途端にカールが吹き出す。


「病み上がりに行くような場所じゃねーじゃんか!」

「無茶はしていないだろうな、アンナ」


 今度は真面目なトーンで、トラヴァスが問いかけた。


「深入りはしていないから安心して。外観を見るだけでも楽しいのよ」

「そうか、ならばいいが。これはこの二週間分のまとめだ。必要なものには印をつけてある。目を通して必要なものにはサインをくれ。明日で問題ないものばかりだ」


 どさりと置かれた分厚い書類の束に、アンナは小さく息を漏らす。


「ありがとう、トラヴァス。これだけまとめるのも大変だったでしょう?」

「問題ない。いつでも筆頭大将になれると自負しているぞ?」

「あら、それは気を抜けないわね」


 二人は目を合わせると、ふっと笑い合った。

 本気半分、冗談半分な二人のやり取りに、剣呑な雰囲気は一切ない。


 その時、終業を告げる鐘の音が王宮の空気を穏やかに震わせた。

 ルティーはタイミングを見計らったように荷物を持ち、軽やかな所作でアンナの前に立つ。


「アンナ様のお顔も見られましたので、私は失礼いたしますね」

「ルティー、よければ一緒に夕食でもどう?」


 その誘いに、ルティーの表情がぱっと明るくなった──が、直後に申し訳なさそうに眉を下げる。


「実は……今日は両親と食事の予定なんです。せっかくお誘いいただいたのに、申し訳ありませんが……」

「いえ、いいのよ、そっちを優先してくれて。楽しんで来てね」

「はい、ありがとうございます。……失礼いたします」


 深く丁寧なお辞儀のあと、ルティーは足音も静かに部屋を後にした。

 扉が閉まると同時に、室内にふっと静けさが戻る。


 アンナは残された余韻のようにその背中を見送りながら、小さく眉を寄せた。


「私に両親がいないから、気を遣わせちゃったのかしら。本当に気にしなくていいんだけれど」

「ルティーは気遣い屋だからな。そうかもしれん」

「あら、トラヴァスもそう思う?」


 淡々とした口調のトラヴァスにちらりと目を向けると、彼はいつもの無表情でルティーの去った扉を見ていた。


「ほんっといい子だよなぁ、ルティーは。なかなかいねぇぜ、あの年でよ」


 カールも全面的に同意する。

 誰が見てもルティーは〝いい子〟で間違いない。


「前回の時は、毎日この執務室でアンナを待っていたがな。今回は後半、しっかり休んでいたようだ。今日はさすがに待ちきれなかったようで、朝からここにいたが」


 トラヴァスの言葉に、今度こそゆっくり休んでいてもらいたいと思っていたアンナは、目を瞬いた。


「……そうなの?」

「ああ。朝一番にここに来て、机を片付けたり、備品を整えたり。『いつ戻られても大丈夫なように』と、随分な念の入れようだった」


 淡々としたトラヴァスの声の中には、しかしどこか優しい響きを含んでいる。

 続けてカールがニッと笑う。


「しかも、時計ばっか見ててよ。『あと何時間くらいで戻られるでしょうか』って、俺が来るたびに聞いてくるんだぜ。ルティーってマジで、アンナのこと好きだよな」

「……そうね」


 胸の奥がじんわりと温まるのを感じながら、アンナは頷いた。

 こんなにも想ってくれる相手がいる。その事実が、心をやさしく包んでくれた。


 それにしても──と、アンナはカールに目を向ける。


「カール……あなた、〝俺が来るたびに〟って、しょっちゅう来てたの? 仕事もそっちのけで?」

「っう!!」


 図星を突かれたカールが小さくうめき声を上げて胸を押さえる。


「言ってやるな、アンナ。カールはルティーよりも子どもなのだ」

「そんなだから将になれないのよ」

「うううっっ!!」


 言葉の矢が突き刺さるたびに、カールは演技過剰にのけぞり、ぎゅっと胸元を押さえてよろよろと移動しながら机に突っ伏した。

 その姿を見たアンナとトラヴァスは、思わず顔を見合わせ、くすりと笑う。


「まだまだ、将への道は険しそうだな」

「遠いわねぇ。実力はあるんだけど、今一歩惜しいのよね」

「おいこら! お前ら、容赦ねぇな!?」


 憤慨するカールに向かって、アンナが微笑を深めながら言葉にする。


「期待しているからこそよ?」

「私はお前が駆け上がってくるのを、今か今かと待っているのだからな。頼むぞ」

「おう、任せとけ!」


 勢いだけは一人前の返事に、アンナはふっと肩を揺らしながら笑った。

 そして、ふと窓の外に視線を移す。沈みゆく太陽が西の空をわずかに染め、青紫に溶けかけた空が夜の訪れを告げていた。


「さて。せっかくだし、今日は三人で夕食でもどう? 久しぶりに、顔を合わせて話すのも悪くないでしょう?」

「お、いいなそれ。腹も減ってきたとこだし! グレイのために、酒買ってきてんだよ。四人で飲もうぜ!」


 当然のように四人と言ったカールの一言に、アンナの胸が静かに締め付けられる。そして、同時に温かいものが、胸の奥にぽっと灯る。


「……そうだな、四人で飲むか」

「きっと喜ぶわ。ありがとう」


 二年前は、笑える日が来るとは思ってもいなかった。

 けれど実際は、こうして笑って話せる人たちがいる。その事実が、アンナの心にゆっくりと沁み込んでいく。


(グレイ、私は元気よ。ちゃんと、支えてくれる人たちがいるの。きっと、あなたにも見えているわよね?)


 その夜、三人は笑い声の絶えない夕餉を囲んだ。

 酒を酌み交わしながら、思い出話に花が咲く。


 窓際では、秋風がやわらかにカーテンを揺らしていた。

 誰も欠けていない──そう錯覚してしまうほど、満ち足りた夜だった。


 こうして、穏やかでやさしい秋の夜が、静かに、深く更けていった。


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