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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜筆頭大将編 第一部 始動〜

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249.生きて、必ずまた会いに行くから

 ルティーの脚の傷は、ゆっくりと、しかし確かに癒えていった。


 痛みはまだ残る。歩くたびにズキリと熱を帯びたように疼くその痛みを、奥歯を噛み締めて堪えては誤魔化す日々。けれど──外から見れば、もう普通に歩いているようにしか見えないはずだった。


(なんとか……アンナ様が帰ってくるまでに、間に合うわ)


 ほんのひととき、胸に安堵の熱が灯る。しかし、その微かな灯りは、次の瞬間、胸の奥に差し込んだ一筋の影によってかき消された。


 ──怒りの矛先が、自分である分には構わない。だが、それが誰かに向く可能性を、どうして見落としていたのだろう。


 ルティーは、騎士の宿舎で暮らしている。かつて、癒しの魔法を暴走させて傷つけてしまった少女──その母親から、理不尽な憎悪をぶつけられ、家族までがその余波に巻き込まれたからだ。


 だからこそ、家を出た。親子の縁を法的に切り、もう関係はないと周囲に示すために。けれどそんな紙切れ一枚で、血の繋がりは消えない。


 その母親は今でも、両親への攻撃を止めていない。両親は決してそのことを口にしないが、顔から滲み出る疲れた様子を見ればわかる。心配をかけまいと、ただ静かに受け止めているのだと。


 それと同じように、ルティーが誰かを見殺しにすることで、その怒りを家族へ向けられてしまうことは、十分にあり得た。


(……私は人から恨みを買うことを、今後もしてしまう。その怒りが、私じゃなく、お父さんやお母さんへ向けられたら……)


 ぞくり、と背筋が冷えた。

 そしてルティーは、ひとつの決意を固めた。



 夜──。

 月も雲に隠れた漆黒の帳の下、ルティーは姿を隠すようにして家へ向かった。


 久しぶりに開けた玄関の扉の向こう。そこにいた両親は、まるで夢でも見ているかのような表情でルティーを迎えた。


「ルティー……! 久しぶりね。会いたかったわ」


 母親が駆け寄り、ふわりと優しくルティーを抱きしめる。その体温が、心の奥の冷たさをそっと溶かしていく。


「頑張っているようだな、ルティー。つらいことはないか?」


 父の手が、変わらぬ優しさでルティーの頭を撫でる。その掌に触れた瞬間、胸がぎゅっと詰まった。


「大丈夫。アンナ様には、すごく良くしていただいてるの」


 そう答えると、二人の顔に、ほっとしたような微笑みが浮かぶ。

 嘘ではない。しかし、すべてを伝えているわけでもない。そんな思いが喉元に引っかかる。


「お父さん。おばあちゃんの具合はどう?」


 ルティーが問いかけると、父はすぐには言葉を返せなかった。苦しげに眉を寄せ、少し目を伏せる。


「あまり……良くないようだ」


 それは、覚悟していた答えだった。


 ルティーの父は元々、遠く離れたファレンテイン貴族共和国の出身だ。観光で訪れたストレイア王国を気に入り、そのまま住み着いて、母と出会った。そして、ルティーが生まれた。


 母方の親族は早くに他界し、ルティーにとって唯一の祖母が、ファレンテインに暮らしている。手紙のやり取りこそ続けていたが、会ったことは一度もない。その祖母から届いた手紙には、病床に伏し、思わしくない状態が続いていると綴られていた。


 そして、切実な一文──〝会いに来てはもらえないか〟と。


 家族でファレンテインに移ることは、実はずっと前からの話し合われていた。だが、軍に所属し水の魔法士としての力を見込まれたルティーの存在が、その流れを止めたのだ。軍が彼女を手放すわけもない。結果として、家族での移住は白紙になった。


「お父さん、お母さん。おばあちゃんのところに行ってあげて」


 その言葉を告げたとき、部屋の空気が張り詰めた。


「なら、ルティーも一緒に……」


 母が当然のようにそう口にした。だがルティーは、そっと首を横に振る。


「私は、行けない……私はここで、使命があるもの」


 両親の表情が、みるみるうちに歪んでいく。悲しみと困惑が入り混じったその顔を直視できず、けれど目を逸らすこともできなかった。


「ルティー……もう軍なんてやめてしまえ……一緒に、ファレンテインに行くんだ」


 父の声は、懇願にも近かった。その温もりに、胸が締めつけられる。けれどルティーは──ほんの一瞬、震えそうになる唇をぎゅっと引き結び、言葉を紡ぐ。


「私は、行けない。軍が水の魔法士を手放すわけがないし……私も、アンナ様のそばにいたいの」


 その言葉に、父も母も信じられないといったように目を見開く。


「だから……お父さんとお母さんは、おばあちゃんのところに行ってあげて」


 ルティーにとっては当然の結論だった。けれど、二人にとっては──娘を置いていくなど、あってはならない選択だ。


「ルティー……!」


 母の目に、涙が浮かぶ。


「気持ちは……わかる。わかるよ。でもなあ……!」


 父の声が震える。握りしめた拳には、どうしようもない苛立ちと無力さが滲んでいた。


「家族より、大事なことがあるのか!? お前はまだ、十二だぞ……! 大人ぶったって、心も体も子どもじゃないか……!」


 言葉の一つ一つが、ルティーの胸に刺さる。けれど、譲れない思いが──この小さな胸の中に、確かにあった。

 ルティーの瞳が、ほんのわずか揺れる。


 父の言葉は痛いほどに正しい。ルティーまだ十二歳。まだ甘えられる年齢なのに、なぜこんなにも大人の決断を迫られているのか、と。


 でも。だからこそ、負けられなかった。


 背筋を伸ばしたまま、ルティーは言葉を絞り出す。


「私、知ってるの……お父さんたちが、私のせいで嫌がらせを受けてきたこと。いくら縁を切っても、私のせいで傷ついてること。……これ以上、巻き込みたくないの」


 その告白に、父の表情が凍りつく。


「そんなことで……! お前を置いて行けるもんかっ……!!」


 怒鳴るような声だったが、それは激情ではなかった。悲しみが、悔しさが、胸の奥底から噴き出した叫びの声。


「第一、そんなに危険な状況だっていうのか!? 父さんたちにまで危害が及ぶってことは……ルティーだって危ないんじゃないのか!?」


 的を射た問いかけに、ルティーの呼吸が一瞬詰まる。──それでも。


「私は大丈夫! だって、王宮にいるんだもの。アンナ様もいるし、私に危険はない。けど、お父さんやお母さんまでは、守ってもらえない……だから!」


 その声は、必死だった。泣きたくなるほどに、叫びたくなるほどに──真剣だった。

 しれでも父は、苦しげにかぶりを振る。


「どれだけ痛くても、苦しくても、親が子どもを置いて逃げるなんて……できるわけないだろ……! 私たちは、お前の親なんだぞ……!」


 母の瞳が優しくルティーを見つめる。


「一緒に行きましょう、ルティー。……おばあちゃんもあなたに会いたいのよ。ルティーだってそうでしょう? 大丈夫、アンナ様にはお手紙を書いて──」

「……いや」


 ルティーがそっと母の手に触れると、わずかに震えているのがわかった。優しくて、少し頼りないけれど、でも、自分をずっと守ってくれた温もり。


「私がいないと……アンナ様を守れない。アンナ様を癒すことが、私の使命なの。それが──私の選んだ道なの」


 その言葉に、母の肩が小刻みに震え出す。


「お願いだから……ねぇ、ルティー。子どもは、親のもとにいるのが当然なのよ……私があなたの年の頃には、もっと甘えていたし、わがままだって……」

「甘えてる。今だって、すごく甘えたい。でもこれは……これだけは、譲れないの」


 震える声に、母が息を呑んだ。ルティーもまた、目元に熱を感じながら、必死にそれを押しとどめる。


「お父さんも、お母さんも、ずっと私のこと見ててくれた……でも、今だけは、お願い。私に、任せてほしいの。自分で決めて、自分で動いて、自分で……守りたいから」


 父が崩れるように床に膝をついた。握り締めた拳が震え、その肩が何度も揺れる。

 声は出ていない。ただ、苦悶のような呼吸音だけが静かに漏れていた。


「なんで……なんで、こんなに強くなってしまったんだ、お前は……! もっと子どもでいてくれてよかったのに……!」


 空気を切り裂くような声が部屋に響く。

 その言葉が、どれほどの痛みを含んでいるのか。ルティーには、わかっていた。


 母がすがるように腕を伸ばし、ルティーの肩を抱きしめる。

 その頬は涙で濡れ、息は乱れていた。


「ごめんね……あなたを、こんなにも……たったひとりで立たせてしまって……ごめん、ごめんね……ルティー……!」


 その声は震え、どこか壊れそうだった。

 ルティーは母の背に腕をまわし、そっと撫でる。力を込めすぎると、母の細い肩が折れてしまいそうで、恐かった。


「……ううん、違うの。お父さんとお母さんが、ずっと愛してくれたから、私、ちゃんと強くなれたの。だから、ありがとう」


 返した言葉は静かで、しかしその芯は揺るがない。


「きっと、大丈夫。ファレンテインに行って。おばあちゃんのそばにいてあげて。私はちゃんと、自分を守る。誰にも、お父さんとお母さんを傷つけさせない。絶対に」


 頬を伝う母の涙を手で拭い、ルティーは微笑む。幼さの残る顔の中には、確かな決意が同居していた。


 二人の背中が、小さく震え続ける。

 まるで、大切なものを手放す寸前のような、そんな震えだった。


「……約束して、ルティー。絶対に、無理はしないこと。絶対に、生きて戻ってくること……!」


 母が、泣きながら何度も繰り返す。

 ルティーは、こくりと何度も頷いた。目尻に溜めた涙が、とうとう一粒、頬を伝って落ちる。


「うん……うん、絶対。私、約束する。生きて、必ずまた会いに行くから」


 言葉よりも、ずっと深く伝わったのは──その声の温度だった。


 父はもう言葉にできず、ただ力いっぱいルティーを抱きしめる。母もまた、何度も何度もその髪を撫でながら、泣き続けた。


 その夜、小さな家の中には、三人分のすすり泣く声が静かに、いつまでも響き続けていた。


 その涙の温度は、三人の胸にずっと焼きついて──消えなかった。

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