238.そんなに立てたらケーキが崩れちゃうわよ
「じゃ、もうカールへのプレゼントも渡しちゃうわ」
アンナがそう言うと、膝の上からするりと滑り出したのは、丁寧にリボンで留められた封筒型の包み。さらりとした手つきでテーブルの上に差し出すと、カールの目がぱっと輝いた。
「お? 俺にもあんの?」
驚きと期待が入り混じった声に、アンナは少し得意げに微笑む。
「当然でしょ。はい、誕生日おめでとう、カール」
手渡された包みをカールが受け取り、まるで少年のようにわくわくしながら包みを開けた。
「……ん? なんだこれ」
中から現れたのは、厚手の革表紙で覆われた手帳だ。焦げ茶色の表紙は落ち着いた質感を漂わせている。
「あなた、記憶力がいいからって、どこにも予定を書き込まないでしょう」
アンナの声はあきれ半分、心配半分で、それでも優しさがこもっていた。
「だって、覚えてられるもんよ」
カールが口を尖らせると、アンナは小さくため息をつく。
「それでも人間、うっかりってことがあるの。これからは、スケジュール帳をつける癖をつけておきなさい。大事なことよ」
「うへぇ……面倒くせぇ……」
口では文句を言いながらも、カールの指先はその表紙を撫でていた。手触りを確かめるように、そっと。
「せめて、うっかりしてはいけないことだけでも、ね。心配なのよ」
その一言で、カールの表情がふっと和らぐ。眼差しに込められた想いに気づいたのだろう。口角がゆっくりと持ち上がって、素直な笑顔が浮かんだ。
「わぁったよ。まぁ、せっかくのアンナからのプレゼントだしな! ちゃんと使うぜ。ありがとな!」
その明るさに、アンナの頬にも自然と笑みが咲いた。
「それじゃあ、私からも……!」
ルティーが声を上げながらバッグを抱き寄せた。その中から慎重に取り出したのは、花柄の紙に包まれたやさしい色合いの包み。
中に入っていたのは、色とりどりの小さな袋──形も包装もバラエティ豊かなお菓子の詰め合わせだった。
「おわっ、これ全部、俺に?」
喜んで受け取るその姿に、ルティーがこくんと頷いた。
「はい! カールさん、甘いものも大丈夫だって聞いて。お店の人に相談して、人気のものを選びました」
「食う食う! なんでも食う! ありがとな、ルティー! 嬉しいぜ」
さっそく袋を一つ開けて、口に放り込むカール。手元に夢中になるその様子に、アンナが軽く眉をひそめる。
「こら、パーティ中よ」
「やべぇ、これうめぇな……!」
「もう」
その小言もどこか呆れと微笑ましさが混ざっていて、ルティーはくすくすと笑い声を漏らした。
「トラヴァスは、カールの分の用意はしてるの?」
アンナが視線を向けると、トラヴァスは一言答える。
「ない」
「そっけな!」
カールが即座に反応し、場がぱっと和やかに笑いに包まれる。
「ふ、カールも私に用意などしていないだろう?」
「そりゃまあ、そうだけどよ!」
言葉を交わす二人のやり取りは、長年の付き合いを感じさせる軽やかな間合いで、その様子にルティーも自然と頬を緩ませた。
「それじゃあ、私はトラヴァスに」
アンナが差し出したのは、薄く上品な箱だった。蓋を開けたトラヴァスの指先に現れたのは、清潔な白のグローブ。
「最近、よくグローブをしているでしょう? 予備があると便利だと思って」
「ありがたく、頂こう」
静かに礼を述べたトラヴァスの顔には、柔らかな光が差すような穏やかさが宿っていた。
その時──バッグの中を探っていたルティーの手が、ふいに止まる。
「……っ」
「どうしたの? ルティー」
アンナがその変化に気づき、そっと覗き込む。
ルティーは驚いたように肩を揺らし、手に持っていた小さな包みを慌ててバッグへ戻した。
「す、すみません……トラヴァス様のプレゼント、持ってくるのを忘れてしまったみたいで……申し訳ありません」
俯いたままの声音には、落胆と自責が滲んでいて、トラヴァスは首を軽く振った。
「気にするな。私は、もとより用意もしていなかったのだからな」
その言葉に、ルティーは少しだけ安心したように微笑む。
けれど、その唇の端が、ほんのわずかに震えていたのもまた事実だった。
夕暮れが深まり、部屋が柔らかな橙に染まりはじめると、食卓の上ではケーキの準備が始まった。
「俺とトラヴァスとルティーで、五十六本の蝋燭だな!」
「ばか。そんなに立てたらケーキが崩れちゃうわよ。代表で、ルティーの年齢の本数にしましょ」
無邪気なカールに突っ込みながら、アンナは蝋燭を十二本立てる。
カールが指をパチンと鳴らすと、ふっと火が灯った。
「あら、無詠唱?」
「こんなんで詠唱してたら、ケーキが全部燃えちまうぜ」
「ふふ、あなたの魔法も上達してるのね」
アンナは笑いながら、ランプの明かりを絞った。
ケーキの上の火だけが、部屋にあたたかい光を落とす。
「ルティー、誕生日おめでとう」
「いいな、十二歳! おめでとうルティー!」
「おめでとう」
「あ、ありがとうございます。 カールさんとトラヴァス様も、おめでとうございます!」
ルティーの律儀な祝福に、カールとトラヴァスも頬を緩ませる。
「さぁルティー、吹き消して」
「はいっ」
深く息を吸い込んだルティーが、いっきに蝋燭の火を吹き消した。
その瞬間、部屋は暗闇に包まれ、仄かに立ちのぼる蝋の香りが、どこか懐かしい温もりを連れてきた。すぐに拍手が起こり、アンナがランプを灯す。
「さ、食べましょうか」
「私、苺のケーキ、大好きなんです!」
「うめぇよな、苺のケーキ! よし、切り分けてやら」
「私は飲み物を淹れるわ。紅茶でいい?」
ケーキの甘い香りと、紅茶の湯気。笑い声が重なり合って、四人のいる家は、どこまでもあたたかく包まれていた。




