237.若いというより子どもっぽいのよ
アンナがソファに腰かけ、足元のイークスの頭をゆっくりと撫でていた。イークスはくすぐったそうに耳を伏せながらも、尻尾を小さく揺らしている。
その傍らでは、カールが器用にナイフで果物の皮をむきながら、くだらない冗談をひとつ、またひとつと口にしていた。
そんなカールに笑ったり呆れたりしていると、ドアノッカーの音が家に響き渡った。
「お、来たみてぇだぜ」
「時間ぴったりね。さすがトラヴァスだわ」
アンナは微笑み、イークスの頭を軽く撫でてから立ち上がり、カールも玄関へと向かう。
扉を開けると、傾き始めた日差しの中に、トラヴァスとルティーの姿が並んでいた。
「いらっしゃい、二人とも」
「今日は招いてくれて感謝する」
「あの、お邪魔いたします!」
ルティーはややかしこまった声を上げ、背筋を伸ばししてぺこりと頭を下げた。緊張が肩口に現れているのを見て、アンナは柔らかく笑みを浮かべ、二人分の室内シューズを出す。
「どうぞ、入って。準備はもうできてるの」
「ルティー、入ろう」
トラヴァスは玄関で靴を脱ぎ、自然な仕草で履き替える。その様子を見ていたルティーは、思わず目を丸くした。
「アンナの家は、靴を脱ぐ習慣だ」
「あっ、はい!」
慌てて足元の靴に手を伸ばすルティーの動きはぎこちないが、どこか愛らしい。
履き替えたのを確認したアンナは、二人を中へ招き入れた。
食卓には、色とりどりの料理やケーキが並ぶ。香ばしい匂いが室内に漂い、バターの甘さとスパイスの香りが全員の食欲をくすぐり、ルティーはぱっと瞳を輝かせた。
「うわあ……!」
「さあ、席について。今日はお祝いの日よ」
アンナの声に促され、皆がテーブルに着く。カールの隣にトラヴァスが座り、アンナの隣、普段グレイが座る席にはルティーが控えめに腰を下ろした。
「じゃあ……ゆっくり食べましょう。みんな、誕生日おめでとう!」
注がれたグラスを、四人は高く掲げる。
「乾杯!」
声とともに、グラスの交わる澄んだ音が、部屋に広がった。
一瞬でグラスの中身を飲み干したカールが、ケーキへと視線を向ける。
「よし、まずはケーキ食おうぜ!」
「それは後よ。暗くなってから蝋燭をつけて、吹き消してからね」
「おおう、誕生日って感じだな」
「誕生日なのよ、もう」
アンナがくすっと笑い、ナイフでローストを切り分け始める。ルティーはそれに倣うように、慎重にフォークを手に取った。
「んで、ルティーは何歳になったんだ?」
「私、今日で十二歳になりました」
「若っけぇなぁー!」
「若いな」
「若いわね」
次々と「若い」の連呼に、ルティーは頬を緩めながらも、困ったように視線を揺らす。
「えと……カールさんとトラヴァス様は、おいくつになられたのですか?」
「俺は二十一だな」
「十分にお若いではありませんか」
「ぶっ! ルティーに言われるとは、思ってなかったぜ!」
噴き出すように笑うカールに、アンナは呆れたように目を細めた。
「若いというより子どもっぽいのよ、カールは」
「お? そういうこと言うか? そろそろオトナの本気、見せてやろうか?」
「はいはい、楽しみにしてるわ」
適当にあしらわれたカールは「ちぇー」と唇を尖らせ、ルティーはくすくす笑っている。
「トラヴァスは、二十三歳になったのよね?」
「ああ、そうだ」
「っえ!」
思わず上がった声に、ルティーは両手で口元を覆った。
そんな姿を見て、カールはカカカッと笑う。
「見えねぇよなぁ、二十三歳にはよ」
「……そんなに老けて見えるか?」
静かな口調に滲む、自覚のある苦味。ルティーは慌てて首を振った。
「いえ、そんなに老けて見えていたわけでは……! 三十歳くらいかなって……」
「ふむ……三十……」
許容範囲か……と呟きながら、トラヴァスは顎に手をやる。
「トラヴァスは、軍学校にいる頃からこの顔よ。多分、四十歳になっても五十歳になっても、変わらないタイプね」
「ああ、いるよなぁそういう奴! いいじゃねぇか、年取ったら若く見られるぜ?」
「……だといいが」
淡々とナイフを動かすトラヴァスを見て、ルティーの肩は沈んだ。
「すみません、私……余計なことを……」
「いや、気にしてくれるな。慣れている」
乾いた返事に、ルティーの指先がぎゅっとフォークを握る。
「……よし、プレゼント先に渡すか!!」
空気を変えるようにカールが声を張ると、ズボンのポケットから小さな箱を取り出した。
「え……私に?」
プレゼントはいらないと言っていたつもりだったルティーは、目を瞬かせる。
「おう。開けてみてくれ」
ルティーがそっと箱を開けると、中から現れたのは、繊細な蝶のかたちをした髪留めだった。
透き通るようなパステルカラーに、光を受けてきらりと輝くガラスの羽根──まるで本物の蝶がそこに舞い降りたかのようだ。
ルティーは思わず息を呑んで、言葉にならない喜びが喉の奥にせり上がった。
「わあ……っ、すごく……綺麗です……!」
胸に熱いものがふわりと広がり、彼女の胸の奥では、なにかがぱちりと灯る。
「アンナ、つけてやってくんね?」
「ええ、もちろん」
アンナは優しくルティーの髪に指を差し入れ、そっと飾りを留めた。光の角度で色彩がふわりと変わる。
「髪に蝶が止まっているみたいで……素敵ね」
アンナの微笑みに、ルティーの頬にはふわりと紅が差す。
「カールさん、こんなに素敵なものを……ありがとうございますっ」
「へへっ、喜んでもらえたならよかったぜ」
「とても似合ってるわ。カールはセンスがいいのよね」
「ふむ……さすがだな」
三人の視線を受け、ルティーは頬を赤らめながら笑顔を見せる。
「じゃあ、私も渡しておくわ。はい、十二歳の誕生日おめでとう」
「わ、アンナ様まで……!? ありがとうございます!」
アンナが差し出した箱を開けると、そこには上品な金縁のティーカップと、香り高い紅茶のセットが収められていた。
「わぁ……素敵……! こんな素敵なカップで紅茶を飲んだこと、ありません!」
ルティーはまるで宝石でも抱くように、両手で包み込むようにしてカップを持ち上げた。柔らかな淡紅色の陶器に、金の装飾が細やかに輝いている。
「ふふ、カップが素敵だと、気持ちが上がるのよね。ぜひ、使ってね」
「はい……嬉しい……! ありがとうございます!」
大切に元の箱へ戻すと、ルティーはそれを胸元でそっと抱えた。
「次は──」
アンナが言葉を継ぐと、自然と視線がトラヴァスへと集まった。だが──彼の手には、なにも持たれていなかった。
「おい、まさかとは思うけどよ……」
カールがじりっと目を向ける。
トラヴァスは顔色こそ変えぬまま、わずかに目線を逸らすように呟いた。
「いや……必要ないと、そう言われたと思ったのだが──」
「お前、そう言われても普通は用意するもんだろ! 誕生日だぜ!?」
ルティーの遠慮を、律儀に真に受けていたのだ。
トラヴァスは小さく息を吐き、視線をルティーに向ける。
「すまない、ルティー。なにも用意してこなかった。今からでもよければ、買いに行ってくるが……」
「え、そんな! 大丈夫です、貰うつもりは本当になくて……お気になさらないでくださいませ!」
「……そうか」
少し声を沈めたトラヴァスに、アンナは苦笑いする。
「そういうところ、トラヴァスらしいわよね」
「まったくだぜ」
昔からの仲間二人が、慣れた様子で笑う。そしてルティーは戸惑いながらも、トラヴァスの顔をそっと見つめるのだった。




