236.私……場違いなのでは……
本日、誕生日を迎えたルティーは、朝からそわそわと落ち着かなかった。
まだ朝の涼しさが残るうちに街へ出かけ、カールとトラヴァスへの贈り物を用意していた。カールのものはすぐに決まった。だが、トラヴァスのプレゼントには頭を悩ませること数時間。大人の男性に贈り物をするなど、父親以外には経験がなかったのだ。
ひとつ店を巡っては首をひねり、またひとつ、別の店を覗いてみる。そんなふうに悩みに悩んだ末、ルティーはある一品を選び取った。
帰宅し、少し大きめのバッグにふたつの包みを丁寧にしまい込む。
「これがカールさんので、こっちがトラヴァス様の。うん、準備完了!」
声に出して確認すると、少し気持ちが落ち着いた気がした。
迎えの時間まで、彼女は勉強をしながらも、どうにも気が散って仕方がない。ノートを開いても、手に持ったペンが止まってはページの隅にうっすらと花の落書きが描かれていく。
(まさか、アンナ様にお誕生日を祝っていただけるなんて……嬉しいっ)
心が温かくなる一方で、胸の奥底に小さな棘のような痛みもあった。
アンナの母、アリシアが亡くなったことに、ルティーは深く責任を感じている。だからこそ、祝われる資格など自分にはない──そう、ずっと思い込んできた。
けれどアンナは、そんなルティーの過去など気にもとめず、当たり前のように誕生日を尋ねてきた。そして、家族と祝うことがないと知るや否や、自宅でのパーティに招いてくれた。
それがたとえ、カールやトラヴァスと誕生日が近いだけの〝ついで〟だったとしても、ルティーにとっては十分すぎるほどの出来事だった。
(お二人と誕生日が近くて、本当によかった……!)
その小さな幸運を両手で抱きしめるように味わいながら、ルティーはバッグを肩にかけ、約束の時間より前に宿舎の玄関先へ出る。
ほどなくして、通りの向こうから歩いてくる私服姿のトラヴァスが目に入った。
普段は規律正しい軍服姿しか見たことがなかったルティーは、思わず小さく息を呑む。
トラヴァスが纏っていたのは、淡いスモーキーブルーのジャケットに、襟元の開いた白いシャツという春らしい装いだった。無駄のない仕立てと清潔感のある色使いが、彼の端正な顔立ちとよく調和している。
どこかアンナの好みを汲み取ったような、洗練されたセンスが感じられた。
凛とした立ち姿の中に、大人の余裕と柔らかさが滲んでいる。
「トラヴァス様!」
気づけばもう、ルティーは彼のもとへと走り出していた。
「すまない、待たせたか?」
「いえ、私が待ちきれなかっただけです」
小さく笑いかけると、トラヴァスの口元にもかすかな微笑が浮かぶ。
「トラヴァス様は、そんな服を着られるのですね」
「似合わないか?」
「いえ、とても素敵です」
率直な感想に、トラヴァスは目を細める。それだけで、彼の表情はいっそう柔らかくなった。
「ありがとう。ルティーはワンピースか」
「あ、これ……昔から着ている物なので、小さくなって恥ずかしいんですけれど……」
「お気に入りなのだな。よく似合っている」
春風にふわりと揺れる薄桃色のワンピース。その裾を目で追いながら、トラヴァスは自然にそう告げた。
ルティーは、ほっと小さく息をつく。けれどこの服は、決して「お気に入りだから」というだけで着ているわけではない。
本当の理由は、少しでも出費を減らし、慰謝料を支払うためにお金を貯めているからだ。だからこそ、今日のカールとトラヴァスへの贈り物は、ルティーにとって思い切った出費だった。
「行こう。こっちだ」
トラヴァスが歩き出し、ルティーはその斜め後ろを控えめに歩く。彼の歩幅は緩やかで、明らかに彼女の足に合わせていた。
春の風が、街の木々をさらさらと揺らしながら二人の間を吹き抜けていく。
バッグの中にしまった二つの包みをそっと撫でながら、ルティーは内心、胸を高鳴らせていた。
(トラヴァス様にも喜んでいただけたら、嬉しいな)
そんなルティーの浮き立つ気持ちを、トラヴァスはちらりと横目に見やって、誰にも気づかれないほどに小さく微笑んだ。
十分ほど歩いたところで、トラヴァスの足がふいに止まる。視線の先にあるのは、威風堂々たる屋敷だった。白い石造りの外壁は陽を反射し、整えられた庭には春の花が咲き誇っている。
「アンナの家はここだ」
「……えっ! アンナ様は、貴族だったんですか!?」
「いや、貴族地区にあるが、貴族というわけじゃないらしい。代々が武将の家のようだ」
「はわわ……」
思わずバッグを抱きしめるルティーをよそに、トラヴァスは慣れた様子で門をくぐる。
慌てて後を追いながら、ルティーはますます気後れした。
「私……場違いなのでは……」
つい漏れた不安の声に、トラヴァスは足を止めてルティーを振り返る。その眼差しは、どこまでも穏やかだった。
「気にするな。私もカールも庶民の出だ。アンナも、こんな家に住んではいるが、庶民には変わりない。そもそも四人しかいないのだからな。気を使う必要などないだろう?」
その言葉の選び方が、トラヴァスらしい優しさに満ちていて、ルティーの胸の不安を少しずつ溶かしていく。
しばし深呼吸をしてから、彼女は顔を上げた。
「わかりました……大丈夫です」
その表情がどこか凛々しく見えて、トラヴァスは小さく頷くと、ドアノッカーを叩いた。
鋳鉄製のノッカーが鳴らす、低く響く音が、屋敷の奥へと届いていった。




