233.言葉だけでも、十分嬉しいものだからな
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春の風がまだ冷たさを残しつつも、陽射しには確かなぬくもりが宿っていた。
新年度を迎えた詰所には、新たに配属された騎士たちの声が飛び交い、いつにも増して慌ただしさが満ちている。
そんな中、その話になったのは、本当に偶然だった。
「よっしゃ、今年も無敵期間に突入だぜ!」
報告書を手に執務室へやってきたカールが、扉を開けるなり快活な声を響かせる。
にかっと笑うその顔は、いつにも増して楽しげだった。
言葉の意味が理解できなかったアンナは、思わず眉を寄せた。
「無敵期間? なんなんだ、それは。というかノックをしろ」
アンナが嗜めるも、カールはどこ吹く風で話を続ける。
「俺、こないだ誕生日だったの、知ってっか?」
「ああ、四月一日だろう。いつも忙しい時期だから、祝ってやれずにすまないと思ってはいるが」
アンナはそう言いながら、差し出された報告書を手に取る。
しかし指先の動きがわずかに緩み、心の中に小さな棘が引っかかったような感覚が残った。
トラヴァスの誕生日は三月三十日で、やはり年度末の混乱期と重なる。
カールも然り。二人の誕生日をまともに祝えていないことに気づき、胸の奥で申し訳なさがじわりと広がった。
「子どもじゃねーんだから、祝ってくれなんて言わねぇよ。けどよ、俺は四月生まれで、アンナは九月生まれだかんな。この半年だけは、アンナと同い年! 俺の無敵期間ってわけだ!」
得意げなカールの言葉に、アンナは思わず肩の力を抜いた。
「まったく。なんだ、その理屈は」
呆れながらも、口元が緩む。
無邪気な物言いに、つい笑いが漏れてしまう。子どもじゃないと言いながら、発想はまるで子どもそのものだ。
「ふふ。でも、お気持ちはわかります」
近くの机で書類を綴じていたルティーが、微笑ましそうに声を挟む。
「おっ、さっすがルティー、わかってくれっか?」
嬉しそうに声を弾ませるカールに、ルティーは頷いてみせた。
「はい。ひとつ年を重ねると、ちょっとお姉さんになったような……そんな感じが嬉しくて」
「そういや、ルティーの誕生日、知らねぇな。いつなんだ?」
カールが首を傾げて尋ねると、ルティーは少し頬を染めて答えた。
「私もカールさんと同じ、四月生まれです」
その一言に、アンナが手を止めて顔を上げる。
予想外の情報に、無意識にルティーへと問いかけていた。
「四月の、いつなんだ?」
「えっと、八日で……」
「明後日か」
ぽつりと呟きながら、アンナは執務机の壁に掛けられたカレンダーへ視線を送る。
カールも同時に顔が動き、パッと笑顔になった。
「お、ちょうど日曜だぜ。パーティでもやっか!?」
気軽な提案に、アンナは顔を顰めて言葉を返す。
「馬鹿者。ルティーはご両親と過ごすに決まっているだろう」
しかしルティーは、すっと視線を落とした。
「いえ……その日は……ちょっと両親に予定があるので、一人で過ごす予定です」
俯きながら静かに語るルティーの声に、わずかな寂しさがにじむ。
アンナの心がわずかに疼いたその瞬間、カールが真剣な目でこちらを見た。
「おい、アンナ」
短い問いかけに、アンナは躊躇うことなく頷いた。
「ならば、ルティーの誕生日をお祝いしよう」
「え!? いいえ、そんなつもりで言ったのでは……」
ルティーが驚きの声をあげるが、アンナはまっすぐに目を向ける。
「いやか?」
「まさか! でも申し訳なくて……カールさんも誕生日でしたのに」
自分ばかりが祝われることに戸惑うルティーに、カールはカカッと笑った。
「気にすんなって!」
申し訳なさそうなルティーを見て、アンナはふっと思いついた。
「ならばトラヴァスも呼んで、三人一緒に祝うのはどうだ? 場所は、私の家を使おう。たまには空気の入れ替えもしておきたいしな」
「お、いいな、それ! ルティーも俺らの誕生日、祝ってくれっか?」
すかさず問いかけたカールに、自分のためだけではないとわかったルティーは、顔を明るくさせた。
「はい、ぜひ。私もカールさんとトラヴァス様のお誕生日を、お祝いしたいです!」
「では、決まりだな」
「トラヴァスに知らせてくらぁ!」
そう言い残し、カールは勢いよく踵を返す。
「あ、おい、まだ報告書の確認を終えていな──」
制止の言葉を最後まで言い切る間もなく、彼の姿は扉の向こうへと消えていった。
相変わらずのカールのフットワークの軽さに、アンナは軽く息を吐く。
「まったく、あいつは昔から落ち着きのない……」
「ふふ。カールさんらしいです」
「……まぁな」
呆れと笑いが入り混じる中、アンナとルティーは自然と視線を合わせ、微笑み合った。
「アンナ様……ありがとうございます。気を遣っていただいて」
「気にしなくていい。私が、三人の誕生日を祝いたかっただけなんだ。ちょうどよかったんだよ」
何気なく添えた言葉に、ルティーは心からほっとしたように表情を和らげる。
「でも私、お二人にプレゼントなんて、なにをすればいいのか……」
頬を少し染めながら、ルティーがそっと眉を下げる。
その不安げな声音に、アンナは微笑んで軽く肩をすくめた。
「無理に贈る必要はない。言葉だけでも、十分嬉しいものだからな」
「……でも。やっぱり、なにか渡したいです。せっかく一緒にお祝いするのに」
言葉の端々にこめられた真心に、アンナは改めてルティーの誠実さを感じる。
静かに頷きながら、ふと提案を口にした。
「優しいな、ルティーは。だったらカールは食べ物にするといい。あいつは肉だろうと菓子だろうと、大抵のものはなんでも喜んで食べる」
「ふふ、わかりました。トラヴァス様はどうしましょう」
ルティーの問いに、アンナは少し悩むように顎に手を添える。
「トラヴァスは……難しいな。本が好きな男だが、すでに持っている本をあげてしまう可能性もあるし……」
思案に暮れる二人のもとへ、どんどんと扉がノックされたかと思えば、すぐに勢いよく開かれた。
「戻ったぜ! トラヴァスも一緒にな!」
元気な声とともに、背後から姿を現したのは、軍服をきっちりと着こなした無表情の男だ。
「わざわざ連れてきたのか、カール」
「ちげーって! ちょうどトラヴァスが、こっちに来る用事があるっつーからよ!」
トラヴァスは騒がしい相棒を横目にしつつ、静かに部屋へと足を踏み入れた。
「話はカールから聞きました。ルティーとカール、それに私の誕生日まで祝ってくれるんだとか」
「ああ。四月八日はちょうど日曜だ。うちに集まって、ささやかに三人のお祝いをしようと思う。ケーキくらいは用意しよう」
「ありがとうございます、アンナ筆頭」
トラヴァスの丁寧な謝意に、アンナは微笑む。
「では、八日の……夕方でも構わないか? 準備をしたいからな」
「よっしゃ、買い出しは付き合うぜ!」
「では私は、時間になったらルティーを迎えに行こう。アンナの家は知らないのだろう?」
「はい。ありがとうございます、トラヴァス様」
嬉しそうにトラヴァスを見上げるルティー。
その微笑ましい光景に、部屋の空気がさらに柔らかくなる。
「ところで、ルティー。なにが欲しい?」
トラヴァスの問いに、カールが苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「ここで直接聞いちまうのがトラヴァスだよなー」
「この年頃の女性の喜ぶものがわからないのでな。おかしなものを渡すより、直接聞いた方がよかろう」
「ま、確かにな!」
「よほどのものでなければ買えると思うが。遠慮なく言ってくれ」
ストレートな申し出に、ルティーは戸惑ったように目を見開く。
「え? いえ、私は……あの……」
言葉に詰まりながらも、その表情は徐々にほころんでいく。
「……もう、いただきましたから」
その穏やかな笑みは、まるで春の光のようにやさしい。
「どういう意味だ?」
首を傾げるトラヴァスに、ルティーはそっと目を細める。
「こんなふうに、誰かにお祝いしてもらえる時間をみなさんからいただけるなんて……私、それだけで、すごく嬉しいんです」
真っすぐな感謝の気持ちに、部屋の空気がふんわりと和らいだ。
トラヴァスは目を伏せ、ゆっくりと頷く。
「……そうか。わかった」
ルティーの小さな体から紡がれた言葉が、静かに胸へと染み渡る。
春の陽だまりのような笑顔に、誰もが自然と顔を綻ばせた。
そのささやかな誕生日会は、きっと忘れられない一日になる──そう、誰もが感じていた。




