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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜筆頭大将編 第一部 始動〜

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232.出会える日が来ればいいなって……そう、思うの

ブクマ65件、ありがとうございます!

「ぶははは!! やっぱまったく気づいてなかったのかよー! 腹痛ぇ!!」

「もう、笑いすぎよ、カール!」


 三人は、トラヴァスの部屋で夕食を囲んでいた。

 温かい料理とそれを引き立てるワインを前に、カールに大笑いされている最中である。


「っつか、なんでルティーがトラヴァスに渡すって勘違いしたんだよ」

「だって、ルティーってトラヴァスに懐いていなかった?」


 視線をトラヴァスに向ければ、こちらも少し呆れたようにアンナを見る。


「懐かれているわけでもない。接する機会が他の者より多いだけだ」

「ルティーの目ぇ見りゃ、わかんだろ。アンナへの視線と俺やトラヴァスに向ける顔とは、別もんだってよ」


 カールの説明に、アンナは目を瞬かせる。


「そんなにわかりやすいの?」

「……好意に鈍感すぎるぞ、アンナは」

「いえ、もちろんルティーに好かれているのはわかってるけれど……私、割と鋭い方よ?」


(全然鋭くねーし!)

(どうしてもこうも自信満々なのか……私はともかく、カールの気持ちくらい普通は気づくであろうに)


 二人の男たちは、心の中でそろってつっこむ。だが口に出すことはせず、冷たい視線だけがアンナに注がれた。


「なぁに、そんな顔して」

「いや、なんでもねぇ!」


 カールがわざとらしく目をそらし、肉を噛みちぎる。トラヴァスも黙ってワインを口にした。赤い液体がグラスの内側をゆっくりと伝っていく。


「ところで二人は、結局いくつチョコレートをもらったの?」

「俺はもらってねぇよ」

「私は数えていないからわからんな」

「っけ、自慢かよ」

「ただの事実だ」


 二人のやりとりに、アンナはくすくすと笑いを漏らす。やわらかな声が部屋の空気を和ませた。


「けど、カールがひとつも貰えないなんて、不思議ね」


 アンナの言葉を聞いて、トラヴァスはカールに疑問を向ける。


「フローラからは貰わなかったのか?」

「ねぇよ。っつか、なんでフローラ?」

「ローズが言っていたのだ。フローラが、誰かにチョコレートを渡すらしいとな。もしかして、カールではないかと思っていたのだが」


 カールは元彼女がチョコレートを用意していた事実に、笑いながら肩をすくめる。


「俺じゃねぇよ。けどそっか、そんな奴がいんのか。うまくいってればいいな、フローラ」


 心からの言葉に、アンナもトラヴァスも、頬を緩ませた。

 人の幸せを心から願えるのが、カールのいいところだ。


「あーあ、結局トラヴァスが一番モテて、二番目にアンナかよ」


 カールの軽口には、悔しさはまるで感じられなかった。単に話題を変えたかったのだろうと二人は察する。


「二番目って言っても、私はひとつだけよ?」

「ひとつでも、十分に価値があるだろう。〝大本命〟なのだからな」

「ふふ、そうね。チョコをもらえるって、嬉しいものだわ」


 アンナがほわりと微笑んだその表情を見て、カールはパンをちぎりながら小さく呟いた。


「……そういうとこだよなぁ」

「え? なにが?」

「アンナはよ、嬉しい時、ちゃんと嬉しそうな顔すんだよな」

「なぁに、それ。私だって普通に笑うわ」

「いやー、最近のアンナは、わりとしっかり〝群青の悪魔〟だぜ。仕事中の顔は、だいたい怖ぇよ」

「……本当?」


 カールに言われて、アンナはトラヴァスに目を向けて確認する。


「ああ……しかし、オンモードの時は仕方があるまい。アンナも意識的にやっているのだろう?」

「ええ、まぁ、そうだけれど……」


 皆の上に立つべきものとして、相応の立ち居振る舞いを心がけてはいる。が、怖いと言われたら言われたで、少しショックでもある。


「それゆえに、時折見せる笑顔が、効く」

「──効く?」


 首を傾げるアンナに、カールはにっと笑いながら目を向けた。


「そーいうとこも込みで、刺さるやついんだよ。ルティーとか……まぁ他にも、な」

「他って?」

「さあな!」


 カールはケケッと笑いながら、皿を空にして立ち上がった。


「ごちそーさん! じゃ、俺はそろそろ帰るぜ。明日も仕事だしよ」

「ええ。おやすみ、カール」


 カールは軽く手を振って部屋を出ていった。

 その背中を見送りながら、トラヴァスはため息をひとつ吐く。


「……本当にアンナは鈍感すぎるぞ」

「え? なにか言った?」

「いや、なんでもない」


 トラヴァスは立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。外はすでに深い夜の闇に包まれ、広がる庭園にはうっすらと霜が降りていた。

 閉ざされた窓の向こうに、月明かりが静かに差し込む。


「トラヴァス」

「どうした?」

「……ありがとう。今日は、話せてよかったわ」


 アンナのその言葉に、トラヴァスは背を向けたまま小さく頷いていた。



 ***




 自室に戻ったアンナは、ルティーにもらったチョコレート箱を、ゆっくりと開けてみた。


「やだ、すごいわ」


 思わずアンナは独り言を漏らす。

 そこには大きなハート型のチョコレートがひとつ、鎮座していた。


「これは、本当に大本命だったのね……」


 ルティーが頬を赤らめながら渡してくれた姿を思い返す。

 胸の奥に、じんわりと広がる想いを抱きながら、アンナはそっと微笑んだ。


「チョコレートにはコーヒーよね、グレイ」


 テーブルの上に置いた写真立てに話しかけて、アンナはコーヒーを淹れる。

 湯気の立つカップを両手で包み込み、そっと息を吐く。香ばしい香りが部屋の中に広がっていった。


 ルティーからのチョコレートは、箱のまま目の前に置いてある。

 丁寧に結ばれたリボンも、綺麗に貼られた封緘のラベルも、彼女の性格そのものだ。


 ──大本命です!


 ルティーのまっすぐな言葉が、今も耳の奥で響いている。思い返すたびに、胸の奥がほわりと温かく、そして少しだけむず痒くなる。


「本当に、まっすぐな子よね……」


 ぽつりと呟くと、ふと視線を横に逸らした。

 写真立ての中のグレイは変わらぬ笑みを浮かべていて、アンナはそっと話しかける。


「見てた? あなたがいたら、からかわれてたかもしれないわね。それとも『俺の嫁は人気者だな』って、鼻高々だったかしら?」


 静かに笑みを返し、アンナは再びカップに口をつけた。

 コーヒーの苦みが、夜の静けさにじんわりと染み込んでいく。


「貰えたのは、本当に嬉しかった。でもルティーもいつか、〝本当の大本命〟に出会える日が来ればいいなって……そう、思うの」


 胸の奥に、かすかな温もりが灯る。

 アンナはもう一度、グレイの笑みに目を向けた。


「……きっと、あの子も変わっていくわね。悩んで、迷って、それでも前に進んで。私たちが、そうだったように」


 そうして、ある日ふと気づくのだろう。

 その人の前でだけ、胸が高鳴ることに。目が自然と追ってしまうことに。

 そして、気づいた時には、もう誰にも渡したくないほど大切になっているのだ。


「その時には教えてあげたいわ。こういうのを恋って言うのよ、って」


 アンナは心の底から願う。

 いつかルティーが胸を焦がすような恋に出会えますようにと。

 心からその人を想い、迷って、でもやっぱりその人に届けたくて。

 そうして渡すチョコレートこそが、きっと〝本当の大本命〟になる。


「今度こそ狼狽えずに、ちゃんと見守ってあげなくちゃね」


 自分に言い聞かせるように、アンナは小さく笑った。

 ほんの少し目を伏せると、コーヒーの香りがふわりと立ちのぼる。

 静かな夜に、優しい気配がした気がして。

 アンナはふふっと一人、微笑んでいた。


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