232.出会える日が来ればいいなって……そう、思うの
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「ぶははは!! やっぱまったく気づいてなかったのかよー! 腹痛ぇ!!」
「もう、笑いすぎよ、カール!」
三人は、トラヴァスの部屋で夕食を囲んでいた。
温かい料理とそれを引き立てるワインを前に、カールに大笑いされている最中である。
「っつか、なんでルティーがトラヴァスに渡すって勘違いしたんだよ」
「だって、ルティーってトラヴァスに懐いていなかった?」
視線をトラヴァスに向ければ、こちらも少し呆れたようにアンナを見る。
「懐かれているわけでもない。接する機会が他の者より多いだけだ」
「ルティーの目ぇ見りゃ、わかんだろ。アンナへの視線と俺やトラヴァスに向ける顔とは、別もんだってよ」
カールの説明に、アンナは目を瞬かせる。
「そんなにわかりやすいの?」
「……好意に鈍感すぎるぞ、アンナは」
「いえ、もちろんルティーに好かれているのはわかってるけれど……私、割と鋭い方よ?」
(全然鋭くねーし!)
(どうしてもこうも自信満々なのか……私はともかく、カールの気持ちくらい普通は気づくであろうに)
二人の男たちは、心の中でそろってつっこむ。だが口に出すことはせず、冷たい視線だけがアンナに注がれた。
「なぁに、そんな顔して」
「いや、なんでもねぇ!」
カールがわざとらしく目をそらし、肉を噛みちぎる。トラヴァスも黙ってワインを口にした。赤い液体がグラスの内側をゆっくりと伝っていく。
「ところで二人は、結局いくつチョコレートをもらったの?」
「俺はもらってねぇよ」
「私は数えていないからわからんな」
「っけ、自慢かよ」
「ただの事実だ」
二人のやりとりに、アンナはくすくすと笑いを漏らす。やわらかな声が部屋の空気を和ませた。
「けど、カールがひとつも貰えないなんて、不思議ね」
アンナの言葉を聞いて、トラヴァスはカールに疑問を向ける。
「フローラからは貰わなかったのか?」
「ねぇよ。っつか、なんでフローラ?」
「ローズが言っていたのだ。フローラが、誰かにチョコレートを渡すらしいとな。もしかして、カールではないかと思っていたのだが」
カールは元彼女がチョコレートを用意していた事実に、笑いながら肩をすくめる。
「俺じゃねぇよ。けどそっか、そんな奴がいんのか。うまくいってればいいな、フローラ」
心からの言葉に、アンナもトラヴァスも、頬を緩ませた。
人の幸せを心から願えるのが、カールのいいところだ。
「あーあ、結局トラヴァスが一番モテて、二番目にアンナかよ」
カールの軽口には、悔しさはまるで感じられなかった。単に話題を変えたかったのだろうと二人は察する。
「二番目って言っても、私はひとつだけよ?」
「ひとつでも、十分に価値があるだろう。〝大本命〟なのだからな」
「ふふ、そうね。チョコをもらえるって、嬉しいものだわ」
アンナがほわりと微笑んだその表情を見て、カールはパンをちぎりながら小さく呟いた。
「……そういうとこだよなぁ」
「え? なにが?」
「アンナはよ、嬉しい時、ちゃんと嬉しそうな顔すんだよな」
「なぁに、それ。私だって普通に笑うわ」
「いやー、最近のアンナは、わりとしっかり〝群青の悪魔〟だぜ。仕事中の顔は、だいたい怖ぇよ」
「……本当?」
カールに言われて、アンナはトラヴァスに目を向けて確認する。
「ああ……しかし、オンモードの時は仕方があるまい。アンナも意識的にやっているのだろう?」
「ええ、まぁ、そうだけれど……」
皆の上に立つべきものとして、相応の立ち居振る舞いを心がけてはいる。が、怖いと言われたら言われたで、少しショックでもある。
「それゆえに、時折見せる笑顔が、効く」
「──効く?」
首を傾げるアンナに、カールはにっと笑いながら目を向けた。
「そーいうとこも込みで、刺さるやついんだよ。ルティーとか……まぁ他にも、な」
「他って?」
「さあな!」
カールはケケッと笑いながら、皿を空にして立ち上がった。
「ごちそーさん! じゃ、俺はそろそろ帰るぜ。明日も仕事だしよ」
「ええ。おやすみ、カール」
カールは軽く手を振って部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、トラヴァスはため息をひとつ吐く。
「……本当にアンナは鈍感すぎるぞ」
「え? なにか言った?」
「いや、なんでもない」
トラヴァスは立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。外はすでに深い夜の闇に包まれ、広がる庭園にはうっすらと霜が降りていた。
閉ざされた窓の向こうに、月明かりが静かに差し込む。
「トラヴァス」
「どうした?」
「……ありがとう。今日は、話せてよかったわ」
アンナのその言葉に、トラヴァスは背を向けたまま小さく頷いていた。
***
自室に戻ったアンナは、ルティーにもらったチョコレート箱を、ゆっくりと開けてみた。
「やだ、すごいわ」
思わずアンナは独り言を漏らす。
そこには大きなハート型のチョコレートがひとつ、鎮座していた。
「これは、本当に大本命だったのね……」
ルティーが頬を赤らめながら渡してくれた姿を思い返す。
胸の奥に、じんわりと広がる想いを抱きながら、アンナはそっと微笑んだ。
「チョコレートにはコーヒーよね、グレイ」
テーブルの上に置いた写真立てに話しかけて、アンナはコーヒーを淹れる。
湯気の立つカップを両手で包み込み、そっと息を吐く。香ばしい香りが部屋の中に広がっていった。
ルティーからのチョコレートは、箱のまま目の前に置いてある。
丁寧に結ばれたリボンも、綺麗に貼られた封緘のラベルも、彼女の性格そのものだ。
──大本命です!
ルティーのまっすぐな言葉が、今も耳の奥で響いている。思い返すたびに、胸の奥がほわりと温かく、そして少しだけむず痒くなる。
「本当に、まっすぐな子よね……」
ぽつりと呟くと、ふと視線を横に逸らした。
写真立ての中のグレイは変わらぬ笑みを浮かべていて、アンナはそっと話しかける。
「見てた? あなたがいたら、からかわれてたかもしれないわね。それとも『俺の嫁は人気者だな』って、鼻高々だったかしら?」
静かに笑みを返し、アンナは再びカップに口をつけた。
コーヒーの苦みが、夜の静けさにじんわりと染み込んでいく。
「貰えたのは、本当に嬉しかった。でもルティーもいつか、〝本当の大本命〟に出会える日が来ればいいなって……そう、思うの」
胸の奥に、かすかな温もりが灯る。
アンナはもう一度、グレイの笑みに目を向けた。
「……きっと、あの子も変わっていくわね。悩んで、迷って、それでも前に進んで。私たちが、そうだったように」
そうして、ある日ふと気づくのだろう。
その人の前でだけ、胸が高鳴ることに。目が自然と追ってしまうことに。
そして、気づいた時には、もう誰にも渡したくないほど大切になっているのだ。
「その時には教えてあげたいわ。こういうのを恋って言うのよ、って」
アンナは心の底から願う。
いつかルティーが胸を焦がすような恋に出会えますようにと。
心からその人を想い、迷って、でもやっぱりその人に届けたくて。
そうして渡すチョコレートこそが、きっと〝本当の大本命〟になる。
「今度こそ狼狽えずに、ちゃんと見守ってあげなくちゃね」
自分に言い聞かせるように、アンナは小さく笑った。
ほんの少し目を伏せると、コーヒーの香りがふわりと立ちのぼる。
静かな夜に、優しい気配がした気がして。
アンナはふふっと一人、微笑んでいた。




