230.自分じゃどうにもならないことって、もどかしいわ
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二月に入り、聖スカーレットデイがやってきた。
今年は例年よりも緩やかな空気が漂っている。なぜなら、王宮で初めて「チョコレートの持ち込み可」の通達が出たからだ。
それだけのことで、こんなにも騎士たちは浮き足立つものかと、アンナは呆れ混じりに彼らの様子を眺めた。
女性たちは渡すか否かで内心のせめぎ合いを続け、男性陣は“もしかしたら貰えるのでは?”と密かに期待に胸を膨らませている。まるで、春先の恋に浮かれる学び舎のようだ。
アンナ自身に、誰かにチョコを渡す予定はない。
だが朝から落ち着かない様子のルティーを見ていると、なぜかアンナまで胸がそわそわとしてくる。
(トラヴァスは「大丈夫」って言ってたけれど、本当にそうかしら……。年齢差もあるだろうし、もしもきっぱり振られちゃったら……そのときは、私が慰めなきゃ)
ドキドキしながらそんなことを考えていた矢先。隣から声がかかった。
「アンナ様も、どなたかに差し上げるのですか?」
心配そうな顔で見上げてくるルティー。アンナは一瞬たじろぎ、慌てて言葉を探す。
「え、いえ、違うのよ。いや、違うんだ。私はあげる予定などない。そんな相手など、いないからな」
焦りながら慌てて仕事モードに切り替えたアンナに、ルティーはくすりと笑った。
「今年は、〝義理チョコ〟というのも出てきたようです。本命以外にも渡していいチョコなのだとか。そういうものであれば、アンナ様も渡してみてよろしいのでは?」
「義理チョコ……それをもらって、男は嬉しいのか?」
「どうでしょう。私は男ではありませんからわからないですが……」
二人して同時に首を傾げたあと、顔を見合わせてまた小さく笑う。
(義理チョコね……そういえば昔、グレイが製菓会社の陰謀で、そのうち好きじゃない人にも渡すようになるって言ってたわ。生きてたら、「そらみろ」って鼻高々だったわね、きっと)
そんなことを思って一人くすくす笑うアンナに、ルティーはさらに首を捻らせていた。
その仕草に心が和らぎながらも、アンナはつい問いかける。
「ルティーのチョコは、その〝義理〟とやらなのか?」
「まさか!」
即答だった。否定どころか、反射的な勢いだ。
「私のチョコレートは、本命です……大本命……ッ」
「大本命……!?」
その言葉の重みに、アンナの胸が一気に高鳴る。
動揺が脈打つたび、喉元が熱を帯びていく。
と同時に、より一層、不安が高まってしまった。
(どうしよう。もしルティーがその大本命に受け取ってもらえなかったら……!)
まざまざと浮かぶのは、失恋にうちひしがれるルティーの姿。彼女が泣いているところなど、想像したくもないのに。
安易に『相手はきっと喜ぶ』と言ってしまった自分の言葉が恨めしい。もし受け取ってもらえなかったことを考えると、胸がズキズキする。
(私、グレイにしか渡したことがないからわからなかったけど……世の中の女子は、ずっとこういう気持ちで今日という日を過ごすの!? 心臓がもたないわ……!)
ちらりと隣を見ると、ルティーはそっと胸元に手を当て、静かに息を吐いていた。その小さな仕草に、緊張と覚悟がにじんでいる。
その横顔を見て、ふと口をついて出た。
「ルティー。チョコレートは、いつ渡すつもりなんだ?」
「終業後にしようと思っています。その方が、ご迷惑にならないかと思いますので」
「そ、そうか……」
ほっとしたような、でももやもやしたような感情がない交ぜになって、アンナは曖昧に頷いた。
終業後ということは──まだ午前中だ。
(終業後って……まだ午前中じゃない……それまで、私はこの気持ちを抱えて仕事をし続けるの……?)
どうにか仕事に戻ったものの、騒ぐ胸の内は変わらない。
昼休憩を迎えた頃には、午前中の緊張で、アンナの肩はすっかり凝り固まっていた。
食事を済ませたアンナは、まっすぐトラヴァスの執務室へと向かった。
この心のざわつきをどこかに吐き出さなければ、午後の業務に身が入りそうにない。
扉を開けると、部屋の中にはもう一人。
カールがいた。
「お、アンナ!」
「カールもいたの?」
「おう、モテ男の顔を見にな!」
「別にモテているわけじゃないが」
トラヴァスが淡々と返す。その視線の先には、机の端に置かれた数個のチョコレート。
大きなものから、高級そうな包みのものまで──どれも心のこもった贈り物に違いなかった。
「これでモテてないって言い張るんだからよ、嫌味な男だぜ」
「意外ね……カールはもらったの?」
「いーや、今んとこ一個もだな」
「おかしいわね。カールは顔だけはいいのに」
「誰が顔だけの男だっつの!」
カールの突っ込みに、アンナはくすくすと笑う。
このやり取りの間だけは、少しだけ緊張が和らいだ気がした。
「それにしても、スカーレットデイってモテ度が可視化されるものなのね。トラヴァスは全部受け取ったの?」
「始業前に勝手に置かれていたのだ」
「ほれみろ、やっぱモテ男じゃねぇか」
カールがカカカッと笑い声をあげたその瞬間、ふとアンナの中で疑問が膨らんだ。
「もし、直接渡しに来た子がいたら?」
その問いに、トラヴァスは一拍の沈黙の後、低く静かな声で答える。
「私に渡す者は、皆、覚悟が要るでしょうね」
静かだが、確かに重みのあるその一言。
アンナの中で、胸の奥にしまっていた不安が、一気に膨らみはじめる。
(待って。まさか、ルティーの大本命って……トラヴァスじゃないでしょうね!?)
もしもトラヴァスだとすれば、大惨事の未来しか想像できない。
(けどルティーの相手は受け取るって、トラヴァスは言ってなかったかしら。でも、別の誰かのことと勘違いしてる可能性もあるわけだし……)
「おーい、アンナ。どうしたー?」
カールが目の前で手をひらひらとさせる。
それでも考え込むアンナに、トラヴァスは息を吐いた。
「ルティーのことか? どんと構えていればいい」
(もう、簡単に言うわね! 自分じゃどうにもならないことって、もどかしいわ……)
気持ちを吐き出そうと思って来たはずだというのに、余計に気苦労が増えてしまった。これ以上はどうしようもなき、アンナは踵を返す。
「ごめんなさい、お邪魔したわね」
心臓をどくどく鳴らしながら、アンナはトラヴァスの執務室を出る。
(もし、ルティーが本当にトラヴァスに渡すつもりなら……止めるべき?)
トラヴァスの言葉が、胸の奥で静かに反響する。
── 私に渡す者は、皆、覚悟が要るでしょうね。
その意味を考えて、ルティーが泣く未来を想像してしまった。
(年齢差もあるし、トラヴァスはルティーを受け入れないわ……トラヴァスの性格上、きっときっぱり断る。でもだからと言って、ルティーに『告白はやめておきなさい』なんて、言えるわけないじゃないの……っ)
思考がぐるぐると回り、頭を抱えていると──
「おい、アンナ!」
後ろから名前を呼ばれ、振り返ると、カールが驚くほどの速さで追いかけてきた。
「どうしたんだよ、大丈夫か?」
「ええ……いえ、少しいい?」
「お? おお」
カールが頷くのを見て、アンナは近くの談話室へと二人で入る。
「どうしたんだよ? 深刻なことか?」
「ええ、実は……ルティーが、チョコレートを用意してるみたいなの」
「へぇ。好きなやつがいるようには見えなかったけどな」
心の機微に聡いカールでさえ、気づかなかったのだ。
そう思うと、アンナは少しホッとした。
「私も驚いたのだけど……大本命に渡すんだって言ってて……でも……彼女、まだ子どもじゃない? 王宮には同い年の子なんていないし、相手はずっと年上ってことになるわ」
「まぁ、そうだな」
「玉砕、しちゃうんじゃないかしら……」
しゅんと肩を落としたアンナを見て、カールはきょとんと目を見開いた。
「……アンナが気にしてるのって、それか?」
「ええ、そうよ。だってルティーが泣くのは、かわいそうじゃない」
アンナの言葉に、カールは「ぶはっ」と盛大に吹き出した。
「なによ、急に笑うなんて」
「悪ぃ悪ぃ。気になるだろうけどよ、周りがどうこう口出すことじゃねぇよ。振られたら振られたで、それも経験じゃねーか。そうやって大人になっていくんだからよ」
「そう……かもしれないけど……」
わかっている。正論だ。
しかし、心がついていかない。
俯くアンナに、カールは少し優しい目を向けた。
「それによ。多分あれだ。その心配は取り越し苦労になんじゃねーかな」
「取り越し苦労……どうして? ルティーの告白は、受けいられるってこと?」
「わかんねぇけど、多分な。お、やべぇぞ。そろそろ昼休み終わっちまう!」
アンナが「どういう意味?」と聞く間もなく、カールは談話室の扉をぱっと開けて、あっという間に姿を消した。
「んもう、余計に気になっちゃうじゃないの……!」
ぽつりと呟いたアンナは、ため息を一つ落として、また静かに業務へと戻っていった。
──午後の時刻が進むにつれて、終業の鐘が近づいてくる。
ルティーの本命が渡されるその瞬間を前に、アンナの胸が落ち着きを取り戻す気配は、まだなかった。




