220.まさか、暗殺でもするつもり?
「なぁに、スヴェン。そんなに父の名が意外だった?」
ふいに問われ、スヴェンはハッとしたように顔を上げる。すぐに笑みをつくり、取り繕うように言葉を返した。
「ええ、まぁ……あまり耳馴染みのないお名前だったので」
「東方の出身らしいわ。母さんも、あまり詳しくは知らないみたいだったけれど」
「なるほど……」
口では相槌を打ちながらも、スヴェンの意識は別のところにあった。
(アンナさんの父親が〝雷神〟で、名はロクロウ。そしてティナさんの父も雷神……名乗っていたのはシロウ。偽名を使っていたということか。つまり、二人は異母姉妹……)
ロクロウとアリシアの間にアンナが生まれたのは二十一年前。
その五年前に、シロウ──雷神はミュートと出会い、ティナが生まれたということだ。
「ところで、アンナさん。ご兄弟はいらっしゃるんですか?」
「いいえ。私は一人っ子よ。父さんは、母さんの妊娠がわかる前に出て行ったらしいから、私の存在も知らないはずよ」
(やはり、アンナさんはティナさんのことを知らない。そしてティナさんもまた、同じだろう。母が違うとはいえ──姉妹が敵国に属しているとは……)
未来、もしどこかでぶつかり合う日が来たら──
そう思うと、スヴェンの胸に、ひと筋の痛みが走った。
だが、アンナにその事実を告げることはなかった。
世の中には、知らないままの方がいいこともある。
知ってしまえば、避けられない運命が待っているからだ。
「……もしも雷神に会えたら、なにかお伝えしましょうか。娘がいると知ったら、きっと驚くでしょうけど、喜ばれるんじゃないですか?」
「どうかしら。会ったこともない相手だし、いきなりそう言われても、なにも思い浮かばないわね」
アンナは淡々とした口調で答える。
だがその瞳には、ほんの一瞬だけ迷いの色が浮かんだ。
「では……いつか会いたくなった時のために、雷神のことを調べておきますよ」
「その時にはお願いするわ」
短いやり取りの中に、奇妙な信頼が芽吹いていた。
アンナの素直な言葉に、スヴェンは小さく息を吐き、微笑む。
そんな彼を見て、アンナがふいに口元をつり上げた。
「それで、結局どうして父を探してるの? まさか、暗殺でもするつもり?」
「まさか。そんな、もったいないことはできませんよ」
冗談めかしてはいたが、その声には本気が滲んでいた。
「……もったいない?」
不思議そうに首を傾げるアンナに、スヴェンは少年のように目を輝かせた。
「雷神は生ける叡智です。その脳に、古代コムリコッツの知識が膨大に詰め込まれている」
「……そうらしいわね」
「彼がかつて、ファレンテイン貴族共和国にいたことはご存じですか?」
「いいえ。過去の話は言いたがらなかったって、母さんが」
「そうでしょうね。彼はそこで、一人の親友を殺していますから」
その言葉に、アンナが微かに眉を動かす。
「おっと、言い方が悪かったかな。〝殺した〟というより、〝結果的に死なせてしまった〟と言ったほうが正確かもしれません。……気になりますか?」
「気にさせるような言い方をしておいて、聞かないなんてできないでしょう。さっさと教えなさい」
アンナの声音は鋭く、射抜くようだった。
その迫力に、スヴェンは小さく肩をすくめる。
「まぁ、言わなくはありません。その代わり、今後僕を見ても、敵視しないでくださいね?」
「それはあなたの態度次第よ」
「……はは、手厳しい」
そう言いつつも、どこか嬉しそうにスヴェンは微笑む。
その顔には、嘘のない敬意が宿っていた。
「雷神の親友の名は、セルビオ。ファレンテインの名門貴族だったようです。かなり、破天荒な性格だったらしい」
アンナは無言で聞き入っている。瞳は逸らされることなく、彼を見据えていた。
「セルビオと雷神は意気投合して、共にコムリコッツの〝実験〟に没頭していたそうです。その中で……セルビオは命を落としました」
「実験って……?」
アンナの声がかすかに揺れる。
「詳細は不明ですが、おそらくなんらかの秘術です。人間を越えようとする試み──とも言われていますが、確証はありません。なにを行っていたのか、それを突き止めるために、僕たちは雷神を探しているようなものです」
「なにもわからないのに、父を?」
「それでも探す価値がある人物です。あなたのお父上は、本当に──とてつもない人なんですよ」
スヴェンは言い終えると、ふっと笑った。
その表情には、少年のような尊敬と探求者の熱が入り混じっている。
「セルビオには、ユウカという妻がいましてね。彼が亡くなってから二十一年後、雷神は彼女に会いに行っています。……今から六年前のことです」
「……謝罪に?」
アンナがぽつりと呟く。
その声は、どこか他人事であろうとするように冷静だった。
「おそらくは。そしてその時、ユウカは──妊娠しました」
静かに語られた一言に、アンナの顔が強ばる。
胸の奥に、冷えた刃を突き立てられたような衝撃だった。




