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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜筆頭大将編 第一部 始動〜

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201.あんなに小さかったのに

ブクマ57件、ありがとうございます!

 アンナとサエクは、イークスのこれからを思いながら、その姿を見つめた。

 すべてを理解しているように、イークスは尻尾をふりふりと揺らしている。


「イークスくんにとっても、裏山は縄張りになるでしょうし。むしろ都会の中より、こっちのほうが向いてるかもですよ。あ、寝床になるような場所、いくつかマークしておきました。地図、どうぞ!」


 サエクは胸元のポケットから丁寧に折りたたまれた紙を取り出し、アンナに手渡した。


「ありがとう。まさか本当に裏山で飼えるなんて、思いもしてなかったわ……」

「グレイさんのおかげですね!」


 アンナは地図を手に頷きながら、イークスに目をやる。


「大きくなったわね。グレイにくっついて来たときは、あんなに小さかったのに」


 思い返せば、わずか一年と四ヶ月。だがその間に、イークスは驚くほど逞しくなった。

 子どもを送り出す親のような、誇らしさと寂しさが胸に込み上げる。


「大きく、そして強くなりましたね! イークスくんは、本当に賢いですよ。飼い主に似たんでしょうね」


 サエクは膝を曲げながらそう言って、イークスの背を軽く撫でた。イークスは満足げに鼻を鳴らし、ぺろりとサエクの頬を舐める。

 最初は誰にも懐かなかったイークスも、サエクにはすっかり心を開いているようだった。

 敵意のない撫で方も、いつも話しかけてくれる声も、イークスにとっては安心できるものだったのだろう。


 ふへっと笑ってサエクが腰を下ろすと、イークスも隣にどすんと座り込む。くるんと丸まったしっぽが、彼女の膝に軽く触れた。


「もう、べったりじゃない。やっぱり好きなのね、サエクさんのこと」

「へへ、嬉しいです。信頼されてるって思うと、やっぱり嬉しいですね!」


 そう言いながらも、サエクの目はほんの少し潤んでいた。

 ずっと長く面倒を見てくれていたのだ。永遠の別れというわけではないが、イークスのいない生活を考えると、彼女も思うところがあるのだろう。


 サエクはイークスの首元を掻き、イークスは目を細めて気持ちよさそうに目を細めている。


「……じゃあ、明日から裏山で住まわせるわ。今までありがとう、サエクさん」

「どういたしまして! あ、それでですね、ひとつお願いがあるんですけど」

「そういえば、言ってたわね。なにかしら」


 アンナが首を傾げると、サエクは立ち上がって少しだけ身を乗り出した。


「その剣、見せてもらえませんか? ちょっとでいいので、抜いていただけたら……!」

「ええ、それは構わないけれど……」


 妙なお願いに訝しみつつも、アンナは腰の剣──クレイヴソリッシュの柄に手をかける。

 一閃、青白い光を帯びた刃が静かに空気を裂くように現れた。


 サエクはその剣の美しさに目を丸くして、息を呑む。


「これが……噂の、光の剣……」

「触らないでね。本当によく斬れるから」

「うわ、はい! 十分です、もう最高です!」


 アンナは意味がわからないながらも剣を納める。

 サエクは興奮冷めやらぬ様子で、笑みのまま口を開いた。


「実は自分、アンナさんの神の盾(アイアース)も、遠目にですが見たことあるんですよ。やばいと思いました!」

「やばい?」


 その言い草に、アンナは思わずくすくすと笑う。だが、サエクの次の言葉で、その笑みが止まった。


「アンナさん。この光の剣と神の盾を題材にした物語を……書かせてもらえませんか?」

「……え?」

「取材も、させてほしいです! まあ、忙しいでしょうから、こっそり勝手にするかもしれませんけど!」

「それって……私の話を、書くってこと?」

「はいっ!」


 サエクは真っすぐに頷く。その目には、いつもの朗らかさではなく、創作に燃える真剣な光が宿っていた。

 アンナはしばらくのあいだ、黙ってサエクの顔を見つめる。


(私の話……?)


 アンナは手元の剣を見る。

 特別な剣と思われているが、これは古代の剣クレイヴ・ソリッシュではない。


「勘違いしてるようだけど、これは本物じゃないのよ。私の二十歳の誕生日にグレイがくれた、クレイヴ・ソリッシュのイミテーションなの」

「そうだったんですね! メモメモ!」


 サエクは手帳を取り出すと、早速メモを取っている。


「それに、この盾はアイアースって呼ばれてるけど、本物じゃなくて──」

「知ってます。グレイさんを守った盾、だからですよね」


 アンナは頷いた。

 周りが勝手にそう呼んでいるだけで、両方とも本物ではないのだ。

 なのに、光の剣と神の盾を題材とした物語を、彼女は紡ごうとしている。

 人気の物語のように、特別な冒険をしたわけでもない。

 アンナにとっては、魔物と戦うことも、仲間と切磋琢磨することも、愛する人と日々を過ごしたことも──

 すべてが、日常だ。

 そんな人生が本になるほど価値のあるものだとは、アンナ自身は思っていなかった。


「……私の話を、誰が面白がるのかしら」


 漏れたつぶやきに、サエクは迷いなく首を振った。


「誰に頼まれたわけでもないです。でも実はもう書き始めちゃってて。アンナさんなら、きっと許してくれるかなって。えへへ」

「ええっ? ちょっと……っふふ、もう!」


 思わず吹き出すと、サエクは再びまっすぐにアンナへと視線を重ねる。


「アンナさんの人生を、後の人にも知ってほしい。この国に、こんな人がいたって、ちゃんと残しておくべきだって。それだけです」


 その真摯な態度とサエクの言葉は、まるで剣のようにまっすぐで、アンナの心の奥を射抜いた。


(彼女はもう、ただのドッグシッターじゃないのね)


 少し寂しい。でも、どこか誇らしい。

 誰かの目には、自分も物語の登場人物として映っているのかもしれない。

 そう思うと、不思議な胸の高鳴りがあった。


「……いいわ。そこまで言うなら、書いてちょうだい。サエクさんなら、きっと丁寧に紡いでくれるって、信じられるもの」

「わ、ほんとですか!? 本当に、いいんですか!?」

「でも、勝手に脚色しすぎたら、怒るわよ?」


 冗談めかして笑みを浮かべると、サエクはぱっと花が咲いたような笑顔になった。


「もちろんですっ! でも……多少は盛らないとお話にならないので、そのへんは……こう、うまーくやります!」

「うまーくね?」


 二人は目を見合わせ、自然と笑いがこぼれる。

 そこへ、イークスが「わふん!」と声を上げて鼻を突き出してきた。アンナはその頭を抱き寄せる。


「イークスも、カッコよく書いてもらわなきゃね」

「あはは、任せてください!」


 イークスのしっぽが、ぱたぱたと勢いよく床を叩いた。

 二人の笑いが収まると、ちょっとした静寂が訪れ──

 アンナは、しっかりとサエクの顔を見つめる。


「今まで本当にありがとう、サエクさん。創作、頑張ってね」

「こちらこそ、ありがとうございました! イークスくん、裏山でも元気でやるんだよー!」


 サエクの明るい声に、アンナは小さく笑った。イークスも「わんっ」と小さく返事をする。

 そして、名残惜しそうに店内を一度だけ見渡したイークスの頭を、アンナはそっと撫でる。


「行きましょう、イークス」


 サエクに背を向けたアンナが扉を押し開けると、夕陽がやさしく差し込んだ。

 ひとりと一匹は、その夕暮れの中へと消えていく。


 後ろ姿を見送ったサエクは、原稿用紙を取り出し、早くも物語の続きを書き始めていた。

 その筆致は軽やかで、どこまでも、真剣であった。


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