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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜少年工作員編〜

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199/391

198.……些少ですよ

 地下の薄暗い部屋に、紙の擦れる音と、重いため息が沈んだ。


 ミカヴェルは机の上の書類から目を離し、ランプの灯りだけに照らされた空間で、そっと眼鏡を外す。目頭を押さえた指先には、疲労の気配が滲んでいた。


「今頃、彼はサエスエル国に着いた頃ですかねぇ」


 静かな独白が、灯火の揺れる空気に溶けていく。


 そのとき、ユーリアスが無言で部屋に入り、彼の前にトレーを置いた。皿には湯気の立つスープと、簡素ながら温かみのある食事が並んでいる。


「まさか、あんたが本当にスヴェンをサエスエル国に返すとは思わなかったな」


 投げやり気味な口調だったが、その声にはどこか、呆れとも警戒ともつかぬ複雑な感情が混じっている。


「おや、心外ですねぇ。私だって、約束はきちんと守る主義ですよ」


 ミカヴェルは軽く肩をすくめ、微笑すら浮かべた。けれどその表情には、温もりらしきものはない。


「ふん……どうだか」


 ユーリアスは端整な顔を顰めた。影が額から頬に落ち、目元の鋭さが際立つ。


「しかも、サエスエルの〝工作員〟として返したんだろ? あの国は今は敵じゃないが、いつ牙を剥くかわからん相手だ。どうしてそんなところに、わざわざスヴェンを戻した? この国に置いて、働かせておいたほうがよほど役に立っただろう」

「それでは、彼の弟を救えなかった。それだけのことです」

「弟を取り戻すくらい、こっちでどうとでもできた」

「力ずくで奪えば、国と国との間に亀裂が生まれます。せっかく歴代のグランディオル家が築き上げてきた外交の礎……私の代で壊すわけにはいきませんから」


 まるで当たり前のことを言うように、ミカヴェルは淡々と語る。


「だが、諜報においてはスヴェンが最も優秀だ。あんたなら、それをわかっていたはず。どうしてあんなにも、あっさりと奴の条件を飲んだ?」

「もちろん、彼のためではありませんよ」


 ミカヴェルは小さく笑ったが、その笑みには体温が感じられなかった。


「すべては──フィデル国のためです」


 ユーリアスの眉がわずかに跳ねる。


「どういう意味だ」

「サエスエル国は、周囲の国家を常に見定め、牙を磨いている国です。フィデルとて、いずれはその標的となるでしょう」

「なら、なおさら警戒すべきだったんじゃないのか」

「ええ、だからこそ〝恩〟を売る。異能持ちのスヴェンを戻すことで、サエスエル政府に義理を作る。矛先を向けるなら──我々よりも、より魅力的な隣国へと導く」

「……ストレイア王国、か」


 ランプの炎がゆらめき、ユーリアスの表情に深い影を落とす。


「まさか……お前、それが狙いで……」

「ええ。ストレイアは、魅力的すぎる」


 ミカヴェルは手元の眼鏡を布で丁寧に拭いながら、遠くを見つめるように言った。


「金、技術、資源……持ちすぎています、中規模国家にしては。サエスエルが動くなら、まずはそこ。そして、フィデルが標的になるのは……その後になる」

「……他国を先に消耗させるための布石か」

「それだけではありませんよ、ユーリアス。ストレイアとサエスエルが激突すれば、どちらかが傷を負う。我々にとって得られるのは〝安全〟だけではない。〝機会〟も、です」


 ユーリアスはしばし口を噤んだが、やがて低く問うた。


「……横取りするつもりか?」


 その声音には、警戒と、そして諦念に近いものがあった。


「すべてを、とは言いません。北部は奪われるでしょうが……残りは、我々がいただきます」

「失敗すれば、ストレイアが消える。そして次は、確実にフィデルが狙われるぞ」


 ミカヴェルはゆっくりとスプーンを手に取り、スープをひと混ぜした。その目は器の底を見つめながらも、意識は戦場の遥か先を追っていた」


「ええ、リスクはあります」


 ふと顔を上げる。ランプの光がミカヴェルを照らし、冷ややかな瞳が露わになる。


「ですが──もしストレイアを我が国が取り込めたなら。我々は、サエスエルに対抗できる〝力〟を手に入れられる」

「……!」

「地形、資源、軍備、そして民の質。すべてが優秀です。統治さえできれば、強大な盾にして矛にできる。まさに、最良の駒」

「……だが、それだけの国をそう簡単に手懐けられるか?」

「難しいからこそ、準備が要るのです。私の最高傑作である〝最終兵器〟のためにも」


 その言葉に、ユーリアスの眉が寄せられる。


「……あの赤毛のガキか」


 ミカヴェルの眼差しがわずかに和らいだ。


「命は、無駄にはしたくない。自国の命も、他国の命も。……だからこそ、彼が鍵になる」

「ヤウト村では、すでに多くの命が失われたが?」

「……些少ですよ」


 あまりにも冷ややかな返答に、ユーリアスのこめかみがぴくりと動いた。


「……やっぱり、お前には血も涙もないんだな」

「情に流される軍師など、得てして無能と呼ばれるものですよ」


 カラカラとミカヴェルは笑い、背もたれに身を預けた。ランプの炎が揺れて、壁に映る影が歪む。


 〝国〟を守るためには、誰かが冷たくならねばならない。情に流されていては、未来は守れない。


 ユーリアスはしばし沈黙したのち、深く息を吐いた。


「……ストレイアを取り込む計画。あの〝瞬撃〟を鍵にするにしても……サエスエルがどこまで読んでくるか、だな」

「ええ。あの国は、自信家ですから。少しばかり高を括る可能性は、十分にあります」

「だが……仮に読み違えれば、この国は……滅びる」

「ええ。その時は──」


 ミカヴェルの口元に、ようやく笑みが浮かぶ。けれどそれはあまりにも薄く、皮肉と責任を抱え込んだ静かな笑みだった。


「私がすべての責を負いましょう」

「……」

「そのために私は、グランディオル家に生まれ、選ばれたのですから」


 その背中には、絶望でも高慢でもない、冷たく燃える意志があった。


 ユーリアスは言葉を失う。ミカヴェルは、命を切り捨てるだけの策士ではない。守るべきもののために、冷酷を装う男──だからこそ恐ろしい。


 この男が、どこまでを「正義」として、どこまでを「犠牲」として受け入れているのかが。


「……飯が冷める。食えよ」


 それだけ言い残し、ユーリアスは部屋をあとにした。


 ミカヴェルはしばし、閉じられた扉を見つめ──やがてスプーンを取り上げる。


「……いただきます」


 誰にともなく呟かれたその言葉には、仄かな疲労と、ほんのわずかばかりの人間味が滲んでいた。



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