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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜ストレイア王国軍編〜

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188/391

187.この男は……わざと言ったな……

 アンナは部屋に入ってきた人物を見て、ふと口元を緩めた。


「ああ、トラヴァスか。どうした?」


 それだけ言うと、すぐに目を机に戻し、書類の整理をする。

 部屋のものをすべてまとめているのだ。筆頭大将用の執務室に移動するために。つまり、アリシアが使っていた執務室にである。

 自分の荷物はもちろん、アリシアの執務室も把握しなければならない。

 さらに休みの日には、王宮に借りているアリシアの部屋も片付けなければならないので、時間はいくらあっても足りない状態だった。


「片付け中か、忙しそうだな」

「まぁな。前筆頭大将の部屋も片さねばならんし、しばらくは引越しと書類整理になりそうだ」

「手伝おうか」

「有難いが、遠慮しておく。どこになにがあるか自分で把握していなければ、後々面倒だからな」

「ああ、言い忘れていたが、手伝うのは俺じゃない。ルティーだ」


 そこでアンナは初めてルティーがいることに気づいた。

 思わず眉を寄せ、小さな少女とトラヴァスを見比べる。


「ルティーが? なぜだ?」

「アンナの付き人になるそうだ」

「なに?」


 アンナはその言葉に理解できず、顔を歪めた。トラヴァスは相変わらずの無表情で、ルティーはそれをドキドキとしながら見守っている。


「私はルティーを付き人にするつもりはない。お前も知っているだろう」

「ああ、それなんだがこれを見てくれ」


 トラヴァスが、一枚の書類をアンナに向けた。

 アンナは仕方なくそれを受け取り、目を通す。


「これは……ルティーの配属通達書? 配属先は、医療班か……私の付き人、だと!?」


 アンナはその紙をくしゃりと握った。

 アンナが希望した人員は、ルーシエとジャンだけだ。ルティーを付き人にしたいなどとは、一言も言っていない。


「どういうことだ、トラヴァス!」

「ああ、すまん。どうやら書士が勘違いをしたようでな。俺もそのミスに気付かず、判を押してルティーに回してしまった」


 それは、明らかに嘘だとわかった。

 なのにトラヴァスはまったく悪びれもしていない。

 怒りを滲ませるアンナに、トラヴァスは飄々と言い放つ。


「ルティーがアンナの付き人にというものでな。どうだ? 彼女を付き人にしてみては。ルティーならばアリシア様の部屋の書類は熟知しているし、この引越しも手伝わせればアンナの物も整理できるはずだ。アンナ自身がすべてを覚えこむ必要はなくなる」

「そんな理由でルティーを付き人になどできない。まだ彼女は十一歳なんだぞ」


 話にならないと切り上げようとするアンナに、トラヴァスは食い下がった。


「医療班に配属になるにしろ、アンナの付き人になるにしろ、彼女は働かなければならないんだ。希少な水の魔法士をやすやすと手放すことがあっては、いくら筆頭大将と言えども進退に関わってくる」

「トラヴァス……脅すつもりか?」

「いいや。私は事実を述べたまでだ」


 ピリ、と空気が軋んだ。

 明らかな脅しを見たルティーが、顔面を蒼白にさせて事態を見守っている。

 ギロッとトラヴァスを睨みつけるアンナに、やはりトラヴァスはなんでもないことのように言葉を続けた。


「アリシア前筆頭大将がルティーを医療班に配属させず、手元に置いていた理由がわかるか?」

「なに? ……ルティーが付き人を望んだから、という話は聞いていたが」


 それ以外にアリシアから話は聞いていない。眉を寄せながら、トラヴァスの言葉を待つ。


「この王宮で働く者は、ほとんどが十八歳を超えている。医療班も、オルト軍学校で厳しい訓練をくぐり抜けてきた者や、学校で専門知識を学んできた者ばかりだ。そんな中にただ水の書を習得させられただけの子どもが、なんの苦労もなく入ってみろ。どうなるかは火を見るより明らかだろう」

「それは、そうだが……」


 ストレイア王国は、実力主義だ。

 年若くとも、実力さえあればどんどんのし上がっていける。

 しかし、ただ水の魔法を習得できたというだけであれば、実力があるとは判断されない。

 十一歳のルティーが医療班に放り込まれれば、知識も経験もない彼女を面倒に思う者も出てくるはずだ。

 なのに癒しの力だけはあるから、やっかまれる可能性がある。冷たい扱いを受けることも、容易に想像がついた。

 そんな環境に一人放り込まれれば、心が折れるのは時間の問題だ。泣きながら逃げ出すか、無理をして体を壊すか──どちらにしても、彼女にとって良い結果にはならない。軍のためにも。


「アンナにとって悪い話ではあるまい。そもそもアンナが今まで付き人らしい付き人をつけなかったのは、信用の足る人物がいなかったからだろう? 極秘扱いの書面が多くなると、どうしても疑心暗鬼になるからな。重要な情報を売られでもすれば、一発で一般兵に格下げだ」

「わかっているなら彼女を連れて出ていってくれ」

「だからこそ、ルティーが最適だというのだ。アリシア前筆頭大将を死なせた罪の意識のある彼女が、その娘であるアンナを裏切るわけがあるまい?」


 トラヴァスの言葉に、ルティーの顔が青ざめる。


(この男は……わざと言ったな……)


 そう思いながらアンナは、トラヴァスに傷つけられたルティーへと同情の目を送った。

 すると捨てられた子犬のような目で見上げられて、アンナの胸はぎゅっと音を立てる。


「ルティーにしても、一人で医療班に放り込ませるのは酷というものだ。筆頭大将の付き人という肩書きを得て、その庇護下に置くことでこそ、この王宮を生き抜ける。つまり双方にとってメリットしかないわけだが?」


 ここまで反撃の糸口を閉ざされてしまっては、アンナは大きく息を吐くしかなかった。

 手元の書類を一瞥し、トラヴァスを睨みつける。


「まったく、お前という奴は……この書類も、お前が捏造したな?」

「おや、バレてしまったか」


 トラヴァスは相変わらずの無表情で、特段悪びれる様子もなく肯定した。


「で、トラヴァスがこんな捏造までした理由を聞こうか」

「二人にとってよりよい形をとると、こうなっただけだ。格好よく言い換えるなら、今後のストレイア王国の要となる人物に、良質な環境を与えるため、といったところだな」


 トラヴァス見事なとどめを刺され、アンナは「まったく」と笑うしかなかった。


 ルティーの表情が、にわかに明るくなっていく。

 そんな顔を見てはもう、断ることなどできなかった。


「捏造の件は不問にしておいてやる」

「それは有難いな。今度夕食でも驕ろう」

「その辺の安価な店なら許容できんが?」

「心得ているさ」


 珍しくトラヴァスがにっと笑い、アンナもまた口の端を上げた。

 そしてアンナはルティーへと、ようやく声を掛ける。


「そういうことだ、ルティー。私の付き人になってもらえるか?」


 そう告げた瞬間、目の前の少女の様子が一変したのがわかった。

 ぱちんと見開かれた瞳は、驚きの色のままこちらを見つめている。

 息を呑んだ気配すら伝わってきて、思わず胸がきゅっと鳴った。

 こんなにも素直に気持ちを表に出してくれたことが、思いがけず嬉しかった。


「あの……本当に……!?」


 ルティーの声は震えていた。大きく見開かれた瞳に、信じられないという思いと喜びが混ざっているのが見て取れる。

 アンナは思わず微笑んだ。あまりにまっすぐな反応で、胸の奥がじんと温かくなる。


「実のところをいうと、付き人がいない環境は限界だったんだ。書類の整理を任せられる者がいると、助かる」


 真摯に言えば、ルティーはぱっと顔を輝かせた。


「はい……はいっ! 私、一生懸命頑張ります!」


 その姿があまりに真剣で、アンナは自然と手を差し出していた。

 ルティーは震える小さな手で、そっとアンナの手を握る。


 彼女の思いが、まっすぐに胸に届くような思いだった。


 アンナは優しく、ルティーの手を握り返す。

 この少女の決意と震えを、真摯に受け止めながら。


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