172.いつ結婚するの?
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闘技場では、第五軍団が演習を行っていた。
その前に立つ将のアンナが、ある人物の姿を見つけて声を張り上げる。
「全体止まれ!! 隊別の演習に入れ! 次の全体演習までに各隊の弱点を洗い出し、克服しろ!」
命令を飛ばすと、アンナは高く括り上げた髪を手で撫で上げ、軍のトップへと歩み寄った。
「筆頭、見に来てくださったのですか。ありがとうございます」
アンナは当然のように、母である筆頭大将アリシアに敬礼する。
男性と同じく、肩口に手を当てる軍式の敬礼で。
その両脇には、ジャンとルティーの姿もあった。
アリシアは目を見張って問いかける。
「アンナ……その口調はどうしたの……? どうしてあんな男のような喋りを?」
驚く母に、ジャンが口を挟む。
「アンナ様、あんまり男を目指すと色気がなくなるよ。やめた方がいい」
その指摘に、アンナは小さく笑った。
「男を目指しているわけじゃないのよ。ただ、なんていうか……グレイがいなくなって、泣いて泣いて……でもしっかりしなくちゃって思った時に、勝手にこんな口調になってしまっていたの。普段もずっとあの喋りってわけじゃないのよ。ただこういう時にはこの口調の方が、なんだか自信が持てるのよ」
グレイが乗り移っていると言われていることを、アンナも知っている。
けれど当然、乗り移られている感覚などなかった。そもそもグレイは、こんな話し方などしない。
アンナ自身、不思議だった。
***
季節は過ぎる。
アシニアースはイークスと過ごし、新年にはアリシアとジャンが家に来てくれた。
そこにグレイがいないことを寂しく思いながら。
それでも、時は流れていく。
カールとトラヴァスもまた、彼のいない現実を胸に抱えたまま、日々の忙しさに身を任せていた。
春のある日、アンナが執務室で仕事をしていると、カールが書類を抱えて現れた。
受け取って内容に目を通し、必要なサインを済ませてから声を掛ける。
「カール。今日の仕事はこれで終わりだろう。久々に、トラヴァスと三人で集まらないか?」
オンモードのアンナの喋りにも、すっかり慣れたカールだ。
本当のことを言えば、柔らかい話しの方が好みではあるが。
しかしそれを漏らせば、トラヴァスにうっすらと笑われるだけなので黙っている。
「おう、いいぜ。どっか食いにいくか?」
「私の部屋でいいか? 仕事を終わらせたら来てくれ」
「わかった。トラヴァスにも声掛けとけばいいんだろ?」
「頼む。しかしお前は、将相手にも相変わらずだな」
アンナはクッと喉の奥で笑った。
普通、一般騎士は将相手に敬称をつけなければならない。言葉遣いも当然気をつけるべきなのだが、カールはアンナやトラヴァスには昔と変わらない態度で話しているのだ。
他の将には気をつけているが、基本的に礼儀を知らない男である。
しかしカールはその性格から、部下からも上司からもかわいがられ慕われていた。
「私はいいが、王族相手には気をつけろ」
「わぁってるって。じゃ、あとでな!」
カールは軽く手を振って部屋を出ていく。
アンナは残った書類に目を通しながら、ほんの少し口元を緩めていた。
* * *
夕暮れ時、仕事を終えたカールは、トラヴァスを誘ってアンナの部屋を訪ねた。
三人で小さなテーブルを囲む。
アンナは騎士服を脱ぎ、淡い青のゆったりしたワンピースに着替えていた。
軍で見せるきりりとした顔とは違う、穏やかな雰囲気をまとっている。
完全に〝オフ〟の状態だ。
空いた席のひとつには、グレイの写真が飾られている。
仕事中は執務室に持って行き、机の中に忍ばせているのだ。
卓上には、柔らかく焼き上げられた鴨のローストと、香草バターで風味づけされた小さな野菜のソテーが並ぶ。
黄金色のスープには繊細なパイ皮が乗せられ、湯気と共に食欲を誘っていた。
三人は少しだけ仕事の話をしながら、ゆっくりと食事を楽しむ。
そしてふと、アンナが口を開いた。
「そう言えばトラヴァス。ローズとは、いつ結婚するの?」
料理を口の運びながら、アンナは小首を傾げた。無表情のトラヴァスの隣で、カールがゲホッと喉を詰まらせる。
「あー……気づいてねぇか」
「なにが?」
まったく察していないアンナに、カールは呆れたように息を吐き、トラヴァスは相変わらずの無表情で口を開いた。
「ローズとは別れたのだ。 結構前にな」
「ええ!? そうなの? どうしてか、聞いても構わない?」
「アンナ……俺の時もそうだったけど、結構ズケズケ聞くよな……」
カールはフローラと別れた時のことを思い出す。
なんだかんだと、こういうことを聞きたがるのは女子だよな、としみじみ感じた。
「大した理由はない。私の方がローズとの未来を描けなくなっただけだ」
「そう……なの……。トラヴァスったら、本当にこういうこと言わないんだから……」
「わざわざ話すようなことでもあるまい」
「そうかもしれないけど、言ってくれないのは少し寂しいわ」
アンナが眉を下げる姿に、トラヴァスはふっと笑うように息を吐く。
「それより、アンナ。副官も付き人もいないままだが、大丈夫か? そろそろ必要だろう。一人で将の仕事を担うのは、限界があるはずだ」
「……私は平気よ。一人でも、なんとかなるわ」
アンナの言葉に、カールもトラヴァスもなにも言えなかった。
実際、アンナは一人でも仕事をやり遂げている。かつてのリタリーの一件もあり、人を傍に置くことに消極的なのは明らかだ。
「……なにかあれば、言ってくれ。同じ将同士だ、助け合えることもあるだろう」
「トラヴァスの方こそ、グレイの編成した軍団を動かすのは大変そうね。手伝えることがあれば、いつでも言って」
アンナに逆に心配されてしまったトラヴァスである。
そんな二人のやり取りを見て、カールは肉をむしゃっと頬張った。
「くそっ、俺も早く将になりてぇぜ」
「慌てないの。大丈夫よ、カールも必ずなれるわ」
「まぁな」
否定せず受け入れるのがカールらしい。
それでも皆に置いて行かれたような気持ちになって、少し寂しい気持ちになりながら、カールは肉を噛みちぎった。




