171.そのうち慣れるさ。私たちの方がな
その後、ユーリアスが姿を現すこともなく、トラヴァスたちは任務を終えて王都へ帰還した。
すべての報告を終え、ひとまず事態は収束する。
アンナは敵を退けた功績により、トラヴァスとカールはカジナル軍の指揮官を撃退したことで、それぞれが受勲した。
それから、さらに二週間が経ったある日。
職務の合間、廊下を並んで歩くトラヴァスとカールの姿があった。
「……あんま、変わらねぇよな。アンナの口調」
「そうだな。ただ、勤務中だけだ。意識して使い分けているのだろう」
アンナの口調は、あの戦いの後も男のようなもののままだった。
とはいえ、三人で休日に会う時などは、以前と変わらぬアンナに戻っている。
だが、なにかの拍子にふと〝オンモード〟が入ってしまう──その変化を見るたび、カールはどこか胸を痛めていた。
「まぁ、そのうち慣れるさ。私たちの方がな」
「おめぇも、すっかり一人称が〝私〟になっちまったよな。前は周りに人がいねぇ時は〝俺〟だったのによ」
「私にも、思うところはある。……皆、それぞれに変わっていくものだ」
「……ちぇ」
口を尖らせるカールに、トラヴァスはふっと口元を緩めた。
「それにしても、いつかお前が言った通りになったな」
「あ? なんの話だ?」
「アンナの二つ名だ」
その言葉に、カールの眉がピクリと動いた。
あの戦闘以降、アンナの名は敵国フィデルに轟いた。
〝光の剣を持つ地獄の使者〟。
自国でも、畏れを込めて〝神の盾を持つ悪魔〟と呼ばれるようになった。
アンナが使う王国軍聖騎士盾・蒼天には、いつしか〝アイアース〟という名がつけられていた。
その由来は、グレイの葬儀の日。
アリシアとトラヴァスが交わしていた会話を、誰かが耳にしたのだろう。
神話に登場するアキレウスを守った、英雄アイアースの盾。
それになぞらえて、アンナの盾は騎士たちの間で〝アイアース〟と呼ばれるようになったのだ。
アンナは神の盾を持つ、悪魔であると。
(本来なら、〝英雄の盾〟と言うべきなのだがな……)
トラヴァスは内心、呆れまじりにそう思う。
アイアースは神ではなく英雄。だが、うろ覚えの神話知識で広められたせいで、〝神の盾〟という名だけが独り歩きしていた。
かつてカールが〝瞬撃の赤獣〟、グレイが〝飢えた狼〟という異名を得た時。
一人だけなにもつけられなかったアンナに、異名をつけようとしたことがあった。
あれこれ考えるトラヴァスとグレイをよそに、カールはあっけらかんと言ったのだ。
──今無理に付けようとしねーでも、アンナなら自然とスゲェ二つ名が付けられて広まっていくっつの。
その言葉は今、事実となった。
〝光の剣を持つ地獄の使者〟
〝神の盾を携えた群青の悪魔〟
リミッターを全解除し、覚醒したアンナの姿を的確に言い表す異名。
ましてや、あの男のような口調では、可愛らしい異名など付けようもない。
思ってもいなかった通り名に、トラヴァスは渋い顔をした。
「やはり、キューティクルアンナを広めておくべきだったか……」
「ぶはっ!」
「それとも、グレイの言ってたクールビューティーアンナか?」
「いや、どっちもねぇよ! まだ諦めてなかったのか、トラヴァス!」
真顔のまま真剣に語るトラヴァスを見て、カールはついに吹き出した。
「ったく……まぁ、今さら俺らがなに言ったって広まんねぇよ。アンナが〝群青の悪魔〟だとか〝地獄の使者〟だとか言われるのは、素顔を知ってる俺たちからすりゃ納得いかねぇけどさ。その異名が、アンナ自身を守ることだってあんだろ」
「……そうだな」
カールの言葉に納得し、トラヴァスは小さく頷く。
「たとえ悪魔と呼ばれても、アンナが私たちにとって──かけがえのない仲間であることは、なに一つ変わらない」
「おう!」
カールは、力強く相槌を打つ。
そんな会話を交わしながら闘技場の前を通った、その時、
「なにをしている!! そんなことで戦線をくぐり抜けていけると思っているのか!? なんのための騎馬隊だ!! 歩兵隊、動きが緩慢すぎるぞ!! 伝令遅い!! 情報伝達は命の要だ!! よく覚えておけ!!」
そんなアンナの男らしい声が、二人の耳に入ってきた。
地を揺らすような、男勝りの怒声が場内から響いてくる。
カールとトラヴァスは、顔を見合わせてふっと笑う。
「なぁ……あの口調であの怒鳴り声、最初はマジでアンナが言ってんのかとビビったけどよ。お前の言う通り、慣れてきたかもしんねぇ。なんか悪くねぇ気がしてきたぜ」
この柔軟さがカールらしいと思いながら、トラヴァスも答える。
「ただの怒鳴り声ではないからだろう。言葉の奥には、気合い以上の思いが込められている」
「アンナは、筆頭大将になるってグレイの墓で誓ってたしな」
「ああ。アンナが一番、筆頭大将の椅子に近い人物であることは確かだ」
現筆頭大将アリシアがいる限り、その椅子にはそうそう座れるものではなかったが。
二人の視線の先、闘技場からはまだアンナの声が響いてくる。
その声は、かつて一緒に笑い合っていた少女のものとは思えないほどに逞しく、鋭く、──そして熱かった。
「ま、そういうの聞いちまったらよ」
カールは赤目を滾らせニッと口の端を上げると、拳を強く握る。
「俺らも負けてらんねーって話だよな」
トラヴァスは黙って笑い、同じように拳を握り返した。
「……仲間の背中、ただ見送るだけというのも性に合わん」
「おう。俺らだって、まだまだこれからだ」
いつしか、そんな熱を分け合うのが当たり前になっていた。
立ち止まる気など、ひとつもない。
走るなら、共に。
「行くか」
「アイアース様のしごき、目に焼きつけとこうぜ。あとでネタにしてやら」
そうして二人は、また一歩を踏み出した。
その背に、叱咤と鼓舞の怒声が、追い風のように吹き抜けていった。




