170.無事に帰れると思うな
刹那狩りのユーリアス。
約三年前、カールの目の前でミカヴェルを連れ去った男。
その際に交戦し、カールを軽くあしらった相手でもある。
「なにしに来やがった!!」
「威勢がいいな、カール。いや、赤獣と呼んだ方がいいか? ミカヴェルが、喜んでその異名を口にしていたぞ」
ミカヴェルの名に、カールの血の気がさらに沸き上がる。
そんな様子を見て、トラヴァスが静かに声を差し挟んだ。
「月の剣士ユーリアス。敵陣に一人で現れて、無事に帰れると思うな」
「氷徹トラヴァスか。なるほど、いい目をしてるな。……だが、お前たちは俺にとっちゃ、ヒヨコに毛が生えた程度の存在だ。捕らえられはしないさ」
余裕の笑みを浮かべるその態度に、カールの怒気は頂点を超える。
「あの時の俺と一緒にすんじゃねぇ! 今の俺は、もうヒヨコじゃねぇぞ!!」
「そうか。だが俺も、あの時と同じ強さでいるわけじゃない。……みくびるなよ」
突風のように射る眼光。肌で感じるその気配が、言葉の真実を物語る。
互いに交わした火花がまだ残る中、ユーリアスは視線だけで辺りを見回した。
「光の剣を持つ〝地獄の使者〟とやらを見に来たんだが……不在か?」
「てめぇに教えてやる義理はねぇ!!」
「はは、確かにそうだ。……残念だな。仲間を殺してくれた礼をしたかったんだが」
その言葉を残し、ユーリアスは相手から目を離さぬまま、ゆっくりと距離を取る。
一触即発の空気をまとったまま、ジリ……と後退するその足に、カールの怒気が鋭く反応した。
「逃がすか!!」
怒号とともに、カールが突進する。
それに呼応するように、トラヴァスも疾駆した。
「捕らえる! すべて吐いてもらうぞ!!」
カールが先陣を切る。真紅の残光を引き、風のように斬りかかる。
「喰らいやがれ、刹那狩りッ!!」
振り下ろされた刃を、ユーリアスは半身でかわす。すかさず飛び込んだのはトラヴァス。鋭角から、剣の切っ先が横腹を狙う。
「……さすがの連携か」
応じたユーリアスは剣を一閃し、二人の攻撃をいなしつつ、間隙を縫って後退する。
「ガンガンくれてやるぜッ!!」
吠えるカールの斬撃は加速。〝瞬撃の赤獣〟の異名に恥じぬ速度と鋭さ。
そこへ、トラヴァスが重なった。
「カール!」
「わかってらッ!」
トラヴァスの斜めからの斬撃に、カールが刃を突き出す。
角度を変え、タイミングをずらしながら波状攻撃を畳みかける。
まるで意志を共有するかのような連携。
しかし。
「……っは、面白い」
ユーリアスの動きに無駄はない。
最小限の動作で攻撃をさばき、足運びで外し、ぎりぎりの間合いで反撃を差し込んでくる。
剣を振るたび、逆に間合いを削られていく。
(相変わらずやべぇ、こいつ……! ほんの一瞬でも気ぃ抜いたら、首が飛んじまう!)
一度距離をとると、汗を滲ませながらカールは呟いた。
「こいつ、やっぱ……ただの剣士じゃねぇ……!」
「やられる前に追い込むぞ、カール!」
二人の集中力が一線を越える。
──赤獣の瞳が燃え、氷徹の瞳が冴え渡った。
カールが地を蹴る。
「うぉおおおッ!!」
爆ぜるような踏み込み。
リミッターの全解除モード。
肉眼で追えぬ速さの一閃に、ユーリアスの瞳がわずかに揺らいだ。
「チッ!」
紙一重で受け流し、翻るように後退──
そこへ、トラヴァスが滑り込む。
「逃がさん!」
冷静無比な剣が突き込まれる。ユーリアスが半歩引いた足に、下段から突きが飛ぶ。
「ぐっ……中々やる……!」
防ぎながらも、舞うように体勢を切り替える。
だが、隙は生まれた。
「おらあッ!!」
すでに背後にいたカールの三連撃。斬、斬、斬。獣の爪のような鋭さ。
一撃目を受け、二撃目を逸らし、三撃目をしゃがんでかわす──だが。
「甘ぇんだよ!!」
しゃがんだ頭上へ、カールの蹴りが炸裂した。
「っく……!」
仰け反る体。距離を取ろうとしたその瞬間──
「もらった!」
トラヴァスの剣が、脇腹へ吸い込まれる。
しかし、一瞬素早く戻された剣がそれを弾いた。
「っぐ……さすがに二人相手はきついか……!」
苦しげに息を吐き、ユーリアスが後退を試みる。
だがカールはショートソードを抜いて突進した。
「まだ引き出しがあるのかよ……!?」
「おらあッ!!」
正面の牽制、膝下の一突き。斜め後方からトラヴァスが斬撃を滑り込ませる。
三方同時、逃げ場のない連撃。
「ッッッ!」
反応が遅れ、ユーリアスの頬に一筋の血が飛んだ。
「次こそ仕留めてやらぁ!!」
二刀を交差、一気に畳みかける。
斬、突、払い、斬。
すべての角度から連撃が殺到する。
押されるユーリアス。
カールが吠える。
「今だ、トラヴァス!!」
「押し切る!!」
二人が同時に踏み込む──だが。
風が、うねった。
ユーリアスの足元から突風が吹き上がる。
「ぐっ……!」
「ちっ……!」
風に押し返される二人。その隙に、ユーリアスは跳ねるように後退し、風を背に剣を構え直した。
「二対一とはいえ、まさかここまで追い詰められるとはな……」
ぜぇ、と息を吐き、剣を構え直す。
「このまま引けば、ブラジェイに笑われちまう。せめてこの傷分は返させてもらおう。綺麗に、等しくな」
頬に流れる一筋の血が、静かに光る。
構え直す剣。それは、狙いを定めた証。
空気が、冷たく、張りつめた。
ユーリアスもまた、リミッターを限界まで外したのだ。
「悪いが、俺の流儀でいかせてもらう」
一歩踏み出した瞬間──風が渦巻く。
「──刹那一閃」
その言葉とともに、姿が霧のように揺らぐ。
「来るぞ!!」
トラヴァスの叫びと同時に、二人が構える。
瞬間、風が爆ぜた。
カールの目前に影が現れ、閃いた刃が頬をかすめる。
「くそっ──!」
振り返れば、すでに背後。
──次は、トラヴァス。
「……ッ!」
冷静に受けた剣圧が、想像以上に重い。
頬に、一筋の赤。
「……これで、帳尻は合ったな」
月の光を背に受けるように、風を従えて微笑むユーリアス。
「お前たちがもっと強くなったら、また相手をしてやるさ」
足元に魔法のスクロールが展開される。風が柱のように巻き上がった。
「待てぇ!!」
カールが突っ込むが、風に押し返される。
「下がれカール! これ以上は──!」
風が収まったとき、そこにユーリアスの姿はなかった。
残るは、風の匂いと頬の痛み。
刻みつけられた〝月の剣士〟の爪痕。
「……ちっくしょおぉぉおお!! またテメェの勝ち逃げかよ!!」
拳を握りしめるカールの隣で、トラヴァスがつぶやく。
「一太刀返して、傷を残していったか……。強敵だな──月の剣士は」
そして二人は、なお燃えるような怒りと闘志を胸に、剣を握り直した。




