147.懐かしい料理で嬉しいの
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アリシアは食糧庫を覗きこみ、籠の中から玉ねぎやにんじん、じゃがいも、香草の束を軽やかに取り出す。次に、棚から深鍋とフライパンを取り出し、腰にエプロンをキュッと巻くと、楽しげにニマッと笑った。
「さて、アンナは野菜を切ってちょうだい。グレイはじゃがいもの皮を剥くのよ!」
「はい、了解です」
指示されたグレイは、言われた通りにじゃがいもの皮を剥いていく。そんな姿を見たアリシアの頬は、きゅっと上がった。
「なぁに、母さん。グレイを見てニヤニヤして」
「ふふ、ロクロウがこの家に来た時のことを思い出しちゃって」
「……父さん?」
アンナは玉ねぎの皮を剥きながら、首を傾げる。
アリシアは鍋に水を張りながら、アンナの姿にロクロウの影を重ねていた。
「ロクロウがこの家に来た時、料理を手伝ってもらったのよ。今グレイがしているように、じゃがいもの皮を剥いてもらってね。ロクロウは嫌な顔してたわね、今思えば!」
あははと大きな口を開けて笑うアリシアに、アンナは呆れた目を向ける。
「どうせ母さんが無理やり家に招いて、仕事を押し付けたんでしょう? 別に父さんの味方をするわけじゃないけど、気持ちはわからなくはないわ……」
「押し付けただなんて、失礼ねぇ。働かざる者食うべからずよ! それに父さんは、すっごく料理が上手だったんだから。本当に、なんでもできる人だったのよね」
湯気が立ちのぼる鍋に、鶏肉と香味野菜を投入すると、にんにくとローズマリーの豊かな香りが部屋中に広がる。アリシアはオリーブオイルでにんじんと玉ねぎを炒めながら、リズミカルにフライパンを揺らした。
「焦げ目がついたほうが、甘みが出るのよ。アンナ、覚えておきなさいね」
「ええ、わかったわ」
アンナは頷きながら、てきぱきとパセリを刻む。ボウルには、炒めたベーコンと香り高いバルサミコ酢、そしてほんの少しの蜂蜜を加えて、サラダが仕上がっていった。
食卓に料理が並ぶころには、部屋は香ばしい香りに包まれていた。黄金色に焼けた鶏肉の皮はパリッと音を立て、ポタージュは根菜の甘みが溶け合ってまろやかで優しい。
「わあ……母さんのご飯、久しぶりね」
「そうでしょう。だって私も作ったのは久しぶりだもの。楽しかったわ!」
「もう、母さんったら」
いつも忙しいアリシアが、自分の休みを使って食事を作ってくれたことに、アンナの胸はじんわりと温かくなる。
「じゃあ、幸せの神様に感謝しながら、食べちゃいましょう!」
「ふふ、そうね。いただきます」
三人は料理を頬張る。
グレイが一品目を食べて、予想以上の美味しさに舌鼓を打った。
「筆頭は意外に料理上手なんだな」
「ちょっと、グレイ〜? 〝意外に〟って、どういう意味かしら!?」
「そのままの意味じゃない? 母さんって見かけによらず、料理にこだわるわよね」
「こらこら、アンナまで!」
「ふふっ」
クスッと笑ったアンナを見て、アリシアは子どものように膨らました頬を、笑みへと変えた。
「私がこうして料理ができるのは、私の母さん……アンナのおばあちゃんのおかげね」
「おばあちゃんの?」
「そうよ。私がちゃんとお嫁さんになれるように、子どもの頃から仕込んでくれたのよ。毎日一緒に料理をしたわ。ま、私は結局お嫁さんになることはなかったけれどね!」
あははっと笑う明るいアリシアに、笑ってもいいものかと気まずくスープを飲むグレイである。
「でも母さんは、母親として料理を作ってくれたわ。そりゃ、週末だけではあったけれど……どれもこれも、懐かしい料理で嬉しいの」
「あら、アンナの記憶に残ってくれてたなら、無駄じゃなかったわね。きっと、おばあちゃんも喜んでるわ。ありがとう、アンナ」
アンナはそっと微笑みながら、湯気の立つポタージュを口に運ぶ。その味に、知らないはずのおばあちゃんの手のぬくもりが、胸の奥に感じた気がした。
じんわりと感傷に浸っているアンナを見て、アリシアはふっと口を緩ませる。
「アンナは来月から奥さんね。結婚式、楽しみだわぁ」
女手ひとつでアンナを育て上げたアリシアだ。娘の結婚式はそれだけに、感慨深いものがあった。
アンナが自分のようにはならずに、暖かい家庭を築くであろうことが、なによりも嬉しい。
幼くして両親を亡くし、孤児院で育ったグレイと。
生まれた時には父はおらず、母は忙しく、ずっと一人で苦しんでいたアンナと。
この国のためにと戦い続けてきたアリシアが、新たな家族となる。
「グレイ、あなたはアンナを幸せにしてくれると、信じているわ」
不意に真面目になったアリシアに、グレイは手を止めて婚約者の母に目を向ける。
「もちろんです。どんな時も、必ず守ります」
真っ直ぐな答えを聞いたアンナの胸はぎゅっとなり、幸せに鳥肌が立つような気さえした。
「アンナは優秀だけど、頑なで意地っ張りで、ちょっと面倒くさいところもあるから、覚悟しておくことね!」
「母さんっ!」
「ははっ、知ってます」
「もう、グレイまで」
思わず抗議の声を上げたアンナだったが、すぐに顔は綻んでいく。
一般的に見ればとんでもない母親だが、アンナにとっては唯一無二で、世界一の母だ。
「……ありがとう、母さん」
心からの礼を伝えると、アリシアは優しく目を細めた。
「ありがとうはこっちのセリフよ。こうして、あたたかい食卓に座って、あなたたちと笑っていられる。それだけで、十分幸せなんだから」
窓の外では、春の風がそっとカーテンを揺らしていた。
ほこほこと湯気の立つ皿の向こうに、未来がゆっくりとほどけていくようで。
誰かの手のぬくもりが、ちゃんと今に繋がっている。
その記憶がまた、新しい家族の中で生きていく。
やがて宿る命は、たくさんの愛を受けて。
希望という未来へと、向かっていく予感がした。
「ねぇ、母さん。スープ、おかわりしてもいい?」
アンナの言葉に、アリシアは太陽にような笑みで頷く。
「もちろんよ。たっぷりあるんだから、たくさん食べて、幸せになりなさい」
笑い声が、家の中で優しく響き。
幸せの神様へと笑顔を贈りながら、三人は団欒を楽しむのだった。




