144.それの兼ね合いで選びましょ
王宮の一室を堪能した翌日。
アンナとグレイは朝食をとると、そのまま出勤した。
そして午後休となり、貸衣装店へと出向くために二人が王宮の門で待ち合わせていると。
「アンナ、グレイ! 今から衣裳を決めに行くの?」
アリシアがちょうど外から王宮へと戻ってきたところだった。
「はい。午後休をくれてありがとうございます、筆頭」
グレイが礼を言うと、アリシアはふふっと笑う。
「いいのよ、水臭いわね。私も明日は午前中に借りに行くのよ。あなたたちも明日は休みにしておくから、夕方からの宴のためにしっかり準備なさい。結構長く続くわよ」
「「っは、ありがとうございます!」」
二人の返事にアリシアはよろしいというように笑って続ける。
「ああ、それとね。明日衣裳を借りた後、そっちの家に行ってもいいかしら? 久々に三人で食事するのもいいでしょう」
「ええ、もちろんよ。夏は来なかったし、本当に久しぶりだわ」
「なにか用意して待ってます」
家族が交わすような会話に、アリシアは目を細める。
「よろしく頼むわね。明日、昼前くらいにはいけるはずよ」
「わかったわ」
「じゃあ、いいドレスを借りてらっしゃいな。あなたたちのダンスも、楽しみにしているわ!」
アリシアはそう言いながら王宮へと戻っていく。
母親の期待に応えるように気合いを入れるアンナを見て、グレイは苦笑いを漏らすのだった。
貴族地区の貸衣装店に入ると、店員は「カール様から伺っております」と案内してくれる。
まずはメンズコーナーに入り、たくさんあるテールコートの中から店員が五着を取り出した。
「お客様は大変体格がよろしいので、こちらのテールコートをご用意いたしました。どうぞお好きなものをお選びください」
グレイの前に並べられたのは、いずれも格式ある黒を基調とした仕立てのものばかりだ。
漆黒の生地に控えめな銀の刺繍が光る一着。黒に近いチャコールで、襟元に深い艶をもたせたもの。マットな黒の地に、墨色のラインが入ったシックなデザイン。そして、黒地に青い光沢を帯びた艶やかな一着。
どれも重厚さと洗練を兼ね備え、グレイの広い肩を際立たせるように丁寧に並べられていた。
「どれも正直、違いがわからないんだが。見た目も悪くないし、着ればそれなりに見える気はするが……」
「なら、私のドレスを先に選んでもいい? それの兼ね合いで選びましょ」
「そうだな」
頷いたグレイの横で、アンナがふっと息を整える。すると店員がすぐに察し、にこやかに手を広げてみせた。
「では、こちらのレディスコーナーへどうぞ。舞踏会用の正装ドレスを各種取り揃えてございます」
柔らかな絨毯の敷かれた通路を進むと、壁一面に色とりどりのドレスが現れた。
ふわりと広がるチュールのドレス、繊細な刺繍が施されたサテン、背中が大胆に開いたデザインや、肩に羽根のような装飾があしらわれたものまで。眺めているだけで目移りしてしまいそうなほどだ。
「わあ……素敵」
思わずアンナは溜め息を漏らした。
男性の衣裳とは違い、こちらは色とりどりで種類も豊富。面積も、その五倍以上はあろうかという規模だ。
「どれでもお試しになれますよ」
店員が微笑みかけに、アンナは気になった何着かを選び、試着室へと入っていった。
まず最初に着たのは、パステルラベンダーのふわりと広がるドレス。淡い色合いが肌を明るく見せ、ふんわりとしたシルエットがどこか夢のようだった。
「……お姫様って感じだな」
試着室の前で待つグレイが、素直な感想を口にする。
「でも、ちょっと可愛すぎるかも。私には甘すぎるっていうか」
次に試したのは、赤に近いディープローズのドレス。胸元にビジューがあしらわれ、すそにかけてグラデーションがかっている。
「これは派手ね」
「いや、悪くはないが……アンナっぽくはないかもな」
軽く肩をすくめるグレイに、アンナも苦笑する。
次に試したのは、落ち着いたグレーのドレス。露出も控えめで、シルエットも上品だった。
「これは間違いなく無難ね。でも……なんかこう、印象に残らないかも」
何着か試すうちに、アンナの表情から次第に迷いの色が濃くなっていく。
「うーん、どれも素敵なんだけど、決め手がないっていうか……」
そんな時、ふと目に留まったのが、奥にひっそりと掛けられていた一着だった。
深海のような深いブルー。身体に沿うマーメイドラインのロングドレス。サテンの艶が光を反射して、角度によって青の濃淡がゆらめく。裾には目立たないように入ったスリットがあり、踊るときの足さばきを邪魔しないように作られている。
「……これ、試してみてもいいかしら」
「もちろんでございます」
最後の一着に袖を通して現れたアンナに、グレイの目がわずかに見開かれた。
「……おお」
それは、どの一言よりも雄弁な反応である。
「どう?」
「今までのも綺麗だったが、これはちょっと……見惚れた」
グレイの素直すぎる言葉に、アンナの頬がかすかに染まる。
「じゃあ、これにしようかしら。見た目はエレガントだけど、踊りやすそうなのもポイント高いし」
くるりと一回転すると、裾のラインが青い布が波のように揺れた。アンナの心が高鳴っていき、気持ちは決まる。
「私、これにするわ!」
キラキラと顔を輝かせるアンナに、グレイは頷く。
「俺もそれがいいと思う。よく似合ってるぞ」
「ふふ。あのね、グレイ。このドレスに、カールにもらったコームをつけてもいいかしら」
軍学校時代、誕生日にプレゼントにカールから貰った、クリスタルガラスの宝石が散りばめられ、白に近い青から薄紫のグラデーションになっているコームだ。
ずっと宝石箱に入れっぱなしで、使う機会がなかった。このドレスを見た瞬間、ピンと来たのだ。それもあって、この深い海の色をしたマーメイドドレスを選んだとも言える。
「ああ、あれか。いいんじゃないか? 似合いそうだ」
「え、いいの?」
他の男からプレゼントされたものを付けるのはどうだろうかとアンナは少し悩んだのだが、グレイはあっさりと頷いた。
「別にいいぞ。ある物は使わないとな。カールも喜ぶだろ」
「ありがとう、嬉しい! そういう懐の深いところ、好きよ」
「おい、アンナ」
「……っあ」
すぐ隣で店員がにこにこしながら聞いていて、アンナの顔は紅潮した。
しかしそこはプロ。すぐに気にしていないという風を装って、話を進める。
「それでしたら、髪飾りはお必要ありませんね。イヤリングやネックレスの方はいかがでしょう? こちらでは装飾品もお貸し出ししております。ドレスに合わせて、いくつかご提案させていただきますね」
店員が奥から持ってきたのは、どれも深海のドレスと調和するような色合いのアクセサリーだった。
一つは、星屑のように繊細なカットが施された、透明なクリスタルのイヤリングとネックレスのセット。光を受けてほのかに青みを帯び、静かな輝きを放っている。
もう一つは、銀の蔦模様が絡むようなデザインのイヤーカフと細身のチョーカー。冷たい輝きがドレスの青と対比し、より洗練された印象を与える。
三つ目は、ドレスのグラデーションに寄せた、青から紫のグラスストーンを並べたネックレス。まるで夜明け前の空を切り取ったような美しさがあった。
「こちらの三点はいかがでしょう。ドレスに馴染むものを中心に選びました」
「うわあ……全部素敵だわ」
アンナは目を輝かせながら、一つ一つ手に取っては首元に当ててみた。
「……どれがいいと思う?」
グレイの方に顔を向けると、彼は少し迷ったように視線を巡らせ──
「これがいいんじゃないか?」
指差したのは、青から紫へと変わるグラデーションのネックレスだった。
「カールのコームと合わせたら、完璧だろ。色の移ろいが、アンナのドレスとぴったり合うしな」
その言葉に、アンナは頷く。
「ええ、私もそう思ってたの。ありがとう、グレイ」
グレイと同じものを選択選択したというだけで、アンナの気持ちは盛り上がる。
「それでは、そちらのネックレスを貸し出しいたしますね。イヤリングもお揃いのものをご用意いたします」
にこやかな店員の声に、アンナはまた小さく微笑んだ。
「さあ、今度はグレイの番よ。私のドレスに合うものを、一緒に選びましょ」
メンズコーナーに戻って、五着のテールコートを目の前にすると、グレイは軽く肩を竦めた。
「全部黒だし、やっぱりどれも似たように見えるんだが……そんなに違いが出るもんか?」
「出るわよ。上背もあって目立つし、どれを選ぶかで雰囲気が変わるの」
アンナは先ほど並べられていた五着のテールコートの前に立ち、真剣な眼差しで見比べた。
黒地に銀糸のものは重厚で貴族然としており、墨黒に艶のある織り模様をあしらった一着は、落ち着きの中に洒脱さを感じさせる。そして──深海のような青い光沢を帯びた黒地のコートに、アンナの目が止まった。
「これ。私のドレスと並んだときに、絶対に映えるわ」
「黒に青か。確かに、そっちと並んだらお揃いっぽく見えるな」
「でしょ? それに、黒地だからきりっと締まって見えるけど、青の光沢が入ってるから重くなりすぎないの。あなたの金髪も映えるし、これくらい存在感ある方がバランスいいと思うわ」
「……なんか、すごく説得力あるな」
グレイは苦笑しながら、すすめられるままに試着室へ向かっていく。
少しして出てきたグレイの姿を見たアンナは、思わず息を呑んだ。
「……わあ。すごく、素敵」
黒地に青く艶めく生地が光を受けて控えめに輝き、シャープな襟元と引き締まったウエストが、彼の体格の良さを一層際立たせていた。なにより、グレイがテールコートに不慣れながらもきちんとした姿勢で立っている姿が、まるで肖像画に描かれた名門の若き貴族のようだった。
「そんなに見られると、落ち着かないんだが」
「だって……かっこいいんだもの」
目がハートになっているアンナを見て、グレイは苦笑した。そんな風に思われているのは嬉しいのだが、人前ではあれこれ言いづらい。
「じゃあ、これで決まりだな。必要なのは明日の夕方からなんだが、今日から借りることってできるのか?」
「はい、いずれもお貸し出し可能でございます。お二方ともサイズもぴったりでいらっしゃいますので、お直しの必要もございません」
「よかったわ、一度着てダンスを合わせられるわね。それで、費用の方なんだけど……」
「こちらは後ほどカール様よりお支払いいただくご予定ですので、お客様は金額のことはお気になさらずに、とのことでした」
その言葉に、アンナは不安げにグレイを見上げる。
「でも、二泊もしちゃって平気かしら。二着分にアクセサリーだと、結構な額になるはずだけれど……」
「トラヴァスも出すと言ってたし、大丈夫じゃないか? ここで無理やり俺たちが渡せば、あいつらの立つ瀬がないぞ。こういう時は遠慮なく頼らせてもらおうぜ」
「……なら、いいかしら」
「まぁ、俺はただ単に金がないだけだけどな」
「ふふ、そうだったわね。じゃあ遠慮なく甘えちゃいましょうか」
二人はカールとトラヴァスの心遣いに感謝して、遠慮なくドレスとテールコートを借りることにしたのだった。




