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あなたを忘れる方法を、私は知らない  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜ストレイア王国軍編〜

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134/391

133.極端なんだよ、あなたは

 ジャンが帰って来たその日の夜。

 仕事を終えたアリシアの部屋には、ジャンが居着いていた。

 アリシアもまた当然のようにジャンを迎え入れ、彼の好きなミルクティーを出す。


「長い間、潜入大変だったわね。ご苦労様」

「別に……慣れてる」

「何度もフィデル国に行ってるものねぇ」

「月の半分がフィデル国での生活だから。これ、お茶請けにして」


 そう言ってジャンは、小さな箱を取り出した。

 アリシアの顔は輝き、遠慮もなく蓋を開ける。


「あら、クリームシュガーのラスクね! 美味しいのよねぇ」


 うふふと顔をとろけさせながら、アリシアは紅茶にジャムを入れて混ぜた。

 そんな幸せそうな顔を見たジャンもまた、ふっと頬を緩めてアリシアを見つめる。

 スプーンをソーサーに置くと、アリシアは手を箱に伸ばしてラスクを一枚つまみ上げた。


「敵国のお菓子のお土産なんて、贅沢な話よね」

「筆頭、好きだよね。フィデル国の……特にカジナルのお菓子」

「あなたがいつもお土産に持って来てくれるんだもの。好きになっちゃうわよ」


 カリッと音を立ててラスクを食べると、軽やかな歯ざわりのあと、ふんわりとした甘さがアリシアの舌にとろけていく。


「ん〜、おいしいわ! これはミルクティーの方が合いそうねぇ。私もミルクティーにすればよかったかしら?」

「まだ口つけてないから、飲みなよ」

「ふふ、いいわよ。ジャム入りも合わないわけじゃないもの」


 ジャム入りの紅茶を口へと運ぶアリシア。そんな彼女を見ながら、ジャンは執務室で確認したファイル内容を思い出した。

 シウリスが集落(トライブ)を襲撃した日のことを、トラヴァスは詳細に報告書にあげていたのだ。その中の記述のひとつが、ジャンは気になっていた。


「筆頭……集落(トライブ)からの帰りに、トラヴァスと二人乗りしてたんだ」

「ええ、体重的にその方がいいでしょう」

「ふうん……」


 ジャンの不満を寄せる顔に気付かず、アリシアは二枚目のラスクへと手を伸ばす。

 ほくほく顔でラスクを食べる姿を、ジャンはミルクティーを飲みながら眺めた。馬の二人乗りなど、どれだけ密着したかは想像がつくというものだ。

 もちろんジャンも、そうするしかなかったとわかってはいる。アリシアがいちいち深くは考えていないことも。


「まぁ……気にするタイプじゃないもんな、筆頭は」

「これでも私、お砂糖の量は気にしてるわよ」

「そういう意味じゃないし……」

「じゃあどういう意味かしら??」


 まったく見当もついていないアリシアを見て、「あなたらしいよ」と呟くと、ジャンは話題を変える。


「そう言えば、まだ水の魔法士は見つかってないみたいだけど」


 その言葉と同時に、アリシアはパリッとラスクを一口大に割った。

 アリシアは今年に入ってからずっと、水の書を習得できる者を探し続けている。

 軍において、回復役は重要だ。医療衛生隊は軍内にいるが、その場ですぐに回復できる魔法士がいれば、生存率はぐっと上がるからだ。


 傷を癒す特殊能力を得る方法は、いくつかある。


 風の書を習得すれば、攻撃魔法、補助魔法、修復魔法とバランスの良い魔法を覚えることができる。

 しかし修復魔法は回復魔法と違い、欠損部分があれば、そこは回復できない仕様だ。


 光の書には回復魔法がある。しかし光の書は希少で、この世に数えるほどしかないと言われている。

 その分値段も高く、手に入れられる可能性は無きに等しい。


 さらに、治癒の書と呼ばれるものもある。これは魔法ではなく異能で、高度な回復術が使えるということだが、光の書よりもさらに希少性が上がるものだ。まずもって、お目に掛かれる品ではない。


 回復できる書の中で一番手に入りやすものが、水の書である。こちらは二束三文の品で、どこの店でも有り余っているほどだ。

 というのも水の書は、習得できる者が他の書に比べて、極端に少ない。

 アンナの父親である雷神は、その理由を〝古代に生きていた水の民族(アクアリオス)が滅ぼされ、血が薄まったせいだ〟とする仮説を立てていた。


 他の手段としては回復薬があるものの、低級や中級ならまだしも、やはり高級回復薬となると希少性が高い。

 元となる薬草の値段も高く、中々手に入らないのが現状である。


 そのため、現状では水の書を習得できる者を探すのが一番というわけだ。

 アリシアは貴族たちから回復魔法の使い手が少ないことを責められ、水魔法士を軍に引き入れることを強いられた。

 言うは易し、である。貴族たちは自分で動かず、ただアリシアに押しつければいいだけなのだから。


 アリシアは半年以上も、習得師を連れて各会社や学校、地域を訪れては演説し、一人一人に水の書を習得できるか試してきた。

 習得師というのは、『習得の書』の異能を持った、半ば強制的に書を習得させる異能者だ。

 本来なら、書は一つ一つ読み解き、理解を積み重ねていくことでようやく習得できるものであった。

 だが、その過程をすっ飛ばして無理やり習得させるのが、習得師という存在である。


 もっとも、どんな書でもすべての人に習得させられるわけではない。相性の悪い書と人を無理に結びつけることはできないのだ。


 これまでにアリシアは、何万人という人間を試してきた。

 その中で水の書を習得できた者は、現在のところ、ただの一人もいない。


 いや、厳密に言えば、〝書が体に入った〟という例はある。だが、魔法が使えなかったり、相性値が低すぎて体に痛みを訴える者、肌が爛れてしまう者もいた。

 そうした者にはすぐに書を取り出す措置をし、回復薬を使って事なきを得たが。


 正直なところ、アリシアはもう、水の魔法士探しにはうんざりしている。


「十万人に一人と言われる水の魔法士が、そう簡単に見つかるわけないのよねぇ……大体、見つけたからって無理やり軍に引き入れるなんてどうなの? その人にも夢はあるでしょうのに、こうなったら見つからない方がマシだわ」

「それはそれで、貴族に文句言われるやつだと思うけど」

「そうなのよねぇ。ああもう、仕事の話はやめやめ! おいしいものはおいしくいただかないと、バチが当たっちゃうわ!」


 アリシアは即座に気持ちを切り替えて、ほくほくと笑顔でラスクを頬張った。

 そんな彼女にジャンはくすりと笑い、ミルクティーに口をつける。


(筆頭は甘いものが好きだからな。いいアクセサリーもあったんだけど)


 アリシアはアクセサリーの類をつけない。正しくはつける機会がない、なのだが。

 そのためジャンは、贈るのを躊躇った。いつかのアシニアースに用意した指輪も、ずっと引き出しの中に仕舞ったままだ。

 そんなジャンの気持ちなど露知らず、アリシアはラスクと紅茶を堪能する。


「おいしいわねぇ、本当に。フィデル国の料理は食べたことないけど、私たちの口にも合うんでしょう?」

「まぁね。結構いい味出す店もあるよ」

「私も一度くらい、現地で食べてみたいわね!」

「筆頭は目立つ上にフィデル国でも有名だから、まず無理」

「いやぁね、わかってるわよ」

「フィデル国じゃなければ、行けるんじゃない」


 さらりと提案をしたジャンに、アリシアは目を向けた。

 ストレイア以外の国へ、アリシアはほとんど足を踏み入れたことがない。

 ストレイア王国の東側には大きな山脈が連なっていて、そちら側の隣国との国交は皆無だ。逆に西側と南側は、フィデル国が包囲するように隣接している。だから争いごとが絶えないのだが。

 北には小さな国を挟んで、そのさらに北にはサエスエル国という大国がある。仕事で訪れたことはあるものの、アリシアは観光で国外に行ったことなど、一度としてなかった。


「そうねぇ……行ってみたくはあるのよ。知らない土地ってわくわくするわ。でも今は無理ね」

「いつか軍を引退した時には行けるだろ」

「あはは、いつになるかしら」

「そんな遠くない未来だと思うけど。アンナもグレイもトラヴァスも、軍内の評判がすこぶるいいし。この秋の改編で、誰か一人くらいは将になるんじゃない」

「ふふ、どうかしらねぇ。将になれたとしても、私の地位を奪うのはまだまだでしょうけどね」


 自信満々のアリシアは、不適な笑みで目を細める。引退はほど遠いと思わせるその言葉に、それでもジャンは引退後の話をした。


「けどいつかは、世代交代がくるだろ。付き合うよ、筆頭の国外旅行に。ロクロウを捜しに行ってもいいし」


 ジャンは食いつきそうな話題でアリシアの気持ちを釣り上げる。愛する人の名前を出されたアリシアは、驚きながらも目を細めた。


「あら、それもいいわね。もう引退しちゃおうかしら」

「極端なんだよ、あなたは……」


 むふふと笑うアリシアに、ジャンは苦笑いを向ける。しかしアリシアは一転して瞳を切り替えた。


「でもあなたにもやりたいことがあるんじゃない?」


 その優しく明るい緑眼に、ジャンは自身の深い緑眼を交差させる。


「いいんだよ、俺は。筆頭一人で捜させたら、見当違いのところに行って一生会えなさそうだから」

「あはは! 確かに、この広い世界でロクロウがどこにいるのかなんて、私には見当もつかないわね!」


 アリシアには無理でも、情報の精査が得意なジャンならば。


(本当にロクロウを見つけ出しちゃうかもしれないわね)


 そんな思いに、アリシアの胸は期待で膨らんだ。

 しかし目の前でミルクティーを手にするジャンが、いつものように優しくも妖しい笑みを見せた時。

 アリシアの心に、ちくりと針がひと刺しする。

 期待で膨らんだ胸の奥がゆっくりと萎んでいき、アリシアはにっこりと微笑んだ。


「いつか、待つのに疲れた時には頼らせてもらうわ」

「……ん」


 アリシアのそんな言葉に、ジャンはただ、ミルクティーを飲んでいた。

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