128.犬っぽいのよね
「んでよ、俺の班のジークってやつが褒め上手な男でよ。なーんかつい乗せられっちまうんだよなぁ」
「ふふ、そうなのね。カールの班って、本当にみんな楽しそうだわ」
カールはなにも聞かずに、あれこれと関係のない話をしてアンナを楽しませる。
軽快な会話にアンナも酒が進み、二杯目のビールをいつの間にか飲み干していた。
もうすっかりほろ酔い気分で頬が熱を帯び、目は少しとろりとしている。
「本当にカールの人柄よね……あなたの周りには、いつの間にか素敵な人ばかりが集まってくるの。羨ましいわ」
一瞬悲しい目に戻ったアンナを見て、カールはなんとなく察することができた。
アンナ自身が失態をして落ち込んでいたわけではない。誰かがアンナを傷つけたから、今日カールはグレイに任されたのだと。
カールはどう言うべきか少し考えてから、口を開いた。
「まぁ俺の周りにはいい奴ばっかだけどよ。人間いろんな事情があるわけだし、腹の底なんて読めねぇもんだぜ」
「カールでも?」
「おう、俺でも!」
そんなのは当然だとばかりにカールは頷いた。心の機微に聡いと周りから思われていて、カール自身も自覚はあるが、少しばかり鋭いだけで人の心読めるわけではないのだ。
「だからよ、逆に信じて傷つくってのも当然あるよな。疑って予防線張るやつもいっけどよ。グレイとか、トラヴァスとかな。でも俺らは、違うだろ? どっちかっつーと、俺もアンナも信じたい方だかんな」
信じたい方と言われて、アンナはぎゅっと胸を詰まらせた。
(私は……多分、すごく中途半端だわ……)
確かにアンナは、カールの言う通り信じたい方で、かつ信じてしまう方である。
しかし人との距離を詰めて心を溶かすのがうまいカールと、切り離されるのを恐れて最初から距離をとってしまうアンナは、対極に位置するのも確かだ。だからと言って人を疑うこともうまくできない。
カールのようにも、グレイやトラヴァスのようにもなれないのだと気づいたアンナは、もどかしく情けない気持ちに襲われて身を縮めた。
そんなアンナに、酒のつまみを口に入れながらカールは赤眼を向ける。
「いいじゃねぇか、信じて裏切られてもよ。だって信じてようが疑ってようが、裏切られる時は裏切られんだろ? ずーっと疑ってる方が、気持ちが削られるぜ。それよか信じて信じて、おかしいと思った時だけ疑えばいいじゃねぇか」
「それは……そうだけれど」
「それによ」
カールはビールを一口飲んでから、ニッとアンナに目を向ける。
「俺は絶対ぇに裏切らねぇ。約束しただろ。アンナには超絶に信頼できる、俺たちがいんだからよ!」
自信たっぷりのカールの言葉は、その通りだとアンナの胸に落ちた。不安にさざめいていた心が、穏やかな湖面へと変化するように。
「俺はいつだってアンナの味方だし、どんなことがあっても支えるかんな。もし話したいことがあれば、いつでも俺に頼ってくれていいんだぜ!」
頼もしい仲間の言葉に、アンナは顔も心もほんわりと和らいだ。
「ありがとう、カール……」
カールのおかげで安心感が身体中に広がり、リタリーに裏切られた悲しみは随分と軽減されている。ほっと息を吐いて飲み物に手をつけると、すでにビールは空になっていることに気がついた。
「あ……もう飲んじゃってたのね」
「水にしとくか? 三杯目はダメっつわれてんだろ?」
「ええ。グレイって、過保護なのよ」
「それだけじゃねぇだろうけどな」
そう言いながら、カールは水を頼んだ。グラスがテーブルに置かれると、アンナはほろ酔いの妖艶な微笑みを浮かべながら、ゆっくりと唇をグラスに近づていく。たったそれだけだというのに、周りで飲んでいる者の目を奪うほどの色気が漂い始めた。
カールはゴクッと喉を鳴らしてしまいそうになるのを隠すため、自分もビールを煽る。
(アンナってほんと、なんつーか……綺麗だよな)
うまく形容できないカールは、単純に綺麗という言葉に帰結させた。
アンナの一挙手一投足のしなやかな仕草は、黒目黒髪の異国情緒と相俟って、空間に甘美な魅力の余韻を残している。
さらに今、アンナはほろ酔い状態だ。いつも以上の色気に、カールの心臓は破裂しそうになる。
(これ、三杯目飲ませたらどうなんだよ……ずりぃよな、グレイのやつは)
三杯目をアンナに飲ませてみたいカールだったが、友情が壊れるのは嫌でぐっと我慢した。
楽しい時間は過ぎて食事を終えると、アンナを制してカールが支払いをすませる。
「誘ったのは俺だからな。今度アンナが誘ってくれた時には頼むぜ」
「ええ、わかったわ」
アンナは笑顔で店を出ると、カールと並んで夜道を歩いた。
夏の夜風は気持ちよくて、ほんのり酔った体を優しく撫でていく。
「今日はありがとう、カール」
「おう、俺の方こそな!」
「別に私はなにもしてないわよ?」
「一緒にメシ食ってくれたじゃねぇか。俺はそれで十分だ」
「そうなの?」
小首を傾げるアンナは、もちろんカールの気持ちになど気づいていない。
母親譲りの生来の鈍感さが、遺憾なく発揮されている。
「そういや、イークス迎えに行くんだろ?」
「ええ。構わないかしら」
「おう、会うの久しぶりだからな。デカくなったんだろうなぁ!」
ワクワクとするカールを見ていると、まだまだ少年のように見えて、アンナはふふっと笑った。
「カールって、犬っぽいのよね」
「あ? そっか? ならアンナは猫系だな」
「ええ? そうかしら……自分では犬系かと思ってたわ」
そのしなやかな色気が猫を彷彿とさせているとは、考えもしていないアンナである。
「グレイのやつは犬だよなー。猟犬系だ、ありゃ」
「飢えた狼って言われてるくらいだものね。じゃあトラヴァスはどっちかしら」
「あいつはああ見えて、猫系だぜ。ツーンとすましてやがるしな」
「ふふっ! 確かにそうね!」
声を上げて笑いながら、アンナとカールはイークスを迎えに行った。
ドッグシッターのサエクが「遅くまでお疲れ様です!」と声を掛けながら、イークスのリードをアンナに手渡す。
「いつもありがとう、サエクさん。今日の様子はどうだったかしら」
「イークスくんは今日も元気に反抗期でした!」
「もう、イークスったら……」
イークスはそんな主人の困り顔など気にせず、『姐さん! 姐さん!』と喜ぶようにピョコピョコとジャンプしている。
アンナはサエクに礼を言って、イークスに引っ張られるようにして外に出た。
「ぶははっ! イークスのやつ、元気だな! かわいいぜ」
「最近、すごくやんちゃなのよ。カールみたいでしょ?」
「俺、イークスと同類かよ!?」
「ふふふっ、とっても似てるわよ?」
カールは気を悪くすることもなくカカカッと笑った。イークスに無理に触ることもしないカールを見て、アンナはほっとする。
犬の気持ちまでもわかっていそうなカールだと、アンナは心でふふっと笑った。
そうしてアンナはリタリーのことは少し忘れて、家まで送ってもらうのだった。




