121.それじゃあ、私たちまで
「エスタル侯爵家の、カリム様と付き合っていたの……?」
確認を取るアンナに、リタリーは自嘲する。
「釣り合わないって、わかってます」
「びっくりしただけよ。本人同士がいいなら、否定する権利なんて私にはないもの」
アンナの真剣な表情が心からのものだとリタリーは感じて、ほんの少しだけほっとする。
しかし横から、グレイが一歩距離を詰めた。
「そのカリム様に、今回の情報を流したんだな」
断定するように言ったグレイに、リタリーはぎこちない動きながらも頷いた。
「……はい。アンナ隊長の引き出しから取り出した、機密文書を……見せました」
やはり、リタリーが犯人だった。黙秘しないということは、もうリタリーもそれ相応の処分があると覚悟を決めているのだ。
「機密文書を手に入れたカリム様が、シウリス様に情報を流したんだな?」
「そのようでした。シウリス様は、グレイ隊長とトラヴァス隊長の姿がないことに気づいておられたと。それに関しての情報が隠蔽されているのではないかと気づき、カリム様へと情報を引き出すように命令されていたようです」
「エスタル侯爵家と王家の繋がりは強いものね……」
弟の復讐として、非合法の組織に依頼したことが不問に終わったのも、結局は王家との繋がりがあるからだ。
その代わり、エスタル家は王家の頼みに忠実であらねばならない。
今回の件で都合よく利用できたのが、リタリーだった。
「私は、隊長以上で共有されているであろう機密を抜き取るよう……王宮に来ていたカリム様にお願いされました……」
リタリーはぐっと唇を噛み、しかしすぐに次の言葉を言い放つ。
「私は仕事をするふりをして外に出ると、引き出しにつけてある南京錠と似た物を探して手に入れました。軍務室に戻ると、今年の暑さでみんな上着を脱いでいて」
悪い偶然が重なってしまっていたのだ。もしその日がそんなに暑くなければ。もしかしたらリタリーは、鍵を付け替えられず断念したかもしれない。
「椅子にかけられたアンナ隊長の上着から、私はキーケースを抜き取りました。新しい鍵に付け替えて、元に戻したんです」
すべて、グレイの予想通りの行動だった。アンナは上着を脱がずにおけば、キーケースをしっかり持っておけばと後悔せずにはいられない。
「その後、軍務が終わり誰もいなくなった部屋で、盗んだ鍵を使って引き出しを開けました。書類を盗むと、すぐにカリム様に届けて……その書類が返ってきたのは翌朝です。私は急いで軍務室に来て書類を戻すと、買った方の南京錠に付け替えました」
ちょうどその朝だ。リタリーがアンナの机の前にいるのを見たのは。南京錠を付け替えた直後だったのである。
すべてが繋がり、アンナはもう、彼女がやったと認めるしかなかった。
一気に話し終えたリタリーは、「以上です」という言葉と共に口を閉じる。リタリー自身の口からすべてを聞き出せたグレイは、皆に告げるように声を上げた。
「決まりだな。カリム様の口から、シウリス様へと伝わった。機密を知ったシウリス様が、俺たちを追ってきたってことだ」
犯人がわかり納得したグレイと違い、アンナは当然納得していなかった。リタリーの話では、理由が滑り落ちている。
アンナは目の前のリタリーへと、真剣な瞳を向けた。
「リタリー……こんなことをすれば、ただじゃすまないってわかっていたはずよ!? なのにどうして……」
「わかってます……私は、利用されただけだって……」
アンナの責めるような言葉に、するりとリタリーの目から涙がこぼれ落ちる。
「でも、これがうまくいけば、抱えた借金の肩代わりをしてくれるって……妹たちも上京させてくれるって……」
悔し涙を飲み込むように喉を嚥下して、リタリーは床を見つめた。
「馬鹿なことを……しました……」
「リタリー……」
リタリーは実行犯だ。どうあっても処分は免れない。
やったことは許されないが、彼女の境遇を思うと、どうしてもアンナは憎みきれなかった。
「とにかく、筆頭に報告しなくちゃならないが……」
そう言いながら、グレイはアンナへと憐憫の瞳を寄せる。その意味を理解したアンナは、しっかりと首肯した。
「わかってる。鍵を抜き取られたのは私の落ち度だし、リタリーは私の部下だもの。私にもそれ相応の処分はあるでしょうね」
もっとリタリーの付き合っている相手や、借金の額を聞いておけば良かったと思うも、あとの祭りだ。
それらを含め、すべて責任は自分にあるとアンナは覚悟を決めた。
将からは大きく遠ざかってしまうかもしれないことに、胸はギュッと痛くなる。グレイとの結婚もしばらくお預けかと思うと、申し訳なさでいっぱいになった。
そんなアンナを見て椅子から立ち上がったのは、第六軍団の将であるスウェルだ。
「これは僕の監督不行き届きで起きたことだ。言ったろう、全責任は僕が取ると。アンナに非はない」
「スウェル様……でも……」
アンナが逆接を紡ごうとすると、スウェルは睨みを効かせた。
「僕が決めたことだ。才覚のある者をこんなところで潰させはしない。否はなしだ。わかったな」
「……は。ありがとうございます、スウェル様……っ」
普段は厳しく、冷たさすら感じるスウェルが、アンナを庇う発言をしたことに胸が熱くなる。驚きと安堵の気持ちを重ねながら、アンナはスウェルに頭を下げた。
グレイとトラヴァス、そしてリタリーも、スウェルの対応に胸を撫で下ろす。
そんな年下の騎士たちを見たスウェルは、ふんっと鼻から息を出して扉へと向かった。
「筆頭大将の元へ報告に行く。アンナ、リタリー、グレイは僕についてこい。あとの二人は帰宅していい。明日にはリタリーの処遇が決まっているだろうが、それまでは口外するな」
「は」
「かしこまりました」
トラヴァスとローズが承知した旨を口にした。
軍団室から出ると、トラヴァスとローズをその場に残したまま、スウェル、アンナ、グレイ、リタリーの四人は、筆頭大将の執務室へと向かう。
リタリーは少し憔悴した顔ではあったが、逃げる様子もない。
アリシアはまだ執務室で仕事をしていて、中に入るとこれまでの経緯と、犯人はリタリーだったことを報告した。
「なるほどね。困ったものねぇ……王家とエスタル侯爵家との癒着にも」
「どうされますか、アリシア筆頭」
「実行犯であるリタリーには、騎士を辞めてもらう他ないわね」
当然とも言える処分だったが、実際に耳にするとズクンとアンナの胸は痛む。
「リタリー……」
「大丈夫です、アンナ隊長。私が犯した罪ですから」
同情の目を振り切るようにして、リタリーは笑みを見せた。リタリーの気持ちに気づいてやれなかった己の不甲斐なさが、アンナの心の底に沈澱する。
アリシアはそんな二人を一瞥すると、すぐに話を戻した。
「エスタル侯爵家には事情を聴取するけれど、処分は下せないでしょう」
リタリーと関わりのあったエスタル侯爵家。指示したのがカリムならば、当然そっちにも処分が下ると思っていたアンナは、顔を顰めた。
「そんな……だってリタリーは、カリム様に話を持ちかけられているんですよ!?」
娘の言い分に、アリシアは冷ややかな目を向ける。
「シウリス様から頼まれたことも、盗み出した書類やその情報を伝えたという証拠もないでしょう。リタリーだけが尻尾切りになっておしまいよ」
「でも、リタリーの証言はあるじゃないですか! カリム様にお願いされたって……!」
「そんなの、独り言をリタリーが勝手に真に受けたって言われたらおしまいなのよ。それにこの件に関しては、私たちも深追いができないの」
「どうして……」
アンナの問いは当然浮かぶ疑問だ。アリシアは理由を淡々と説明する。
「こうなったのはそもそも、軍内のことをシウリス様に報告しなかったのが発端よ。深追いすれば、必ずシウリス様はそこを突いてくるでしょう。下手をすれば、軍の解体にまで追いやられてしまうわ。シウリス様に軍の指揮権まで握らせるわけにはいかないのよ」
「それじゃあ、私たちまでリタリーを尻尾切りに使っているようなものじゃない……!!」
娘であるアンナのまっすぐな訴えに、アリシアはぴくりとも表情を動かさなかった。
王家とエスタル侯爵家の癒着を暴くと、国王に禁秘扱いにしていた情報が軍内にあったことを認めなければならない。それは貴族に追求されても仕方のない事案だ。つまり現在、三竦み状態にある。
リタリーひとりの犯罪として処分するのは、軍としても都合のいいことなのだ。
アンナの気持ちは、もちろんアリシアにだってわかっている。しかし筆頭大将としてやるべきことは、個の気持ちを重んじることではなかった。
アリシアは顎を上げると、見下ろすようにしてアンナに視線を向けた。
「正義感、大いに結構よ、アンナ。けれど大局を見るということと個人の正義はまったくの別物。リタリーは紛れもない罪を犯しているわ。騎士の地位の剥奪という処分ですむことに、感謝なさい」
筆頭大将の決定に、逆らう余地などありはしない。
アンナは項垂れるように視線を下げるだけだった。




