113.一縷の望みをかけて
「シウリス様!!」
集落の外から、アリシアが砂煙を上げながら馬で駆けてきた。
はぁはぁと息を乱しながら、シウリスの前へと降り立つ。
「ほう。早かったな、アリシア。よく馬具もなく追いついて来られたものだ」
「裸馬での騎乗も訓練しております」
行軍中の休憩時にシウリスに追いついていたアリシアだったが、シウリスを説得している間に、馬具が切られて外されていたのだ。
マックスは斥候として先に行かせていたので、アリシアは装具なしに裸馬で追いかけるしかなかった。
「とにかく、今すぐお戻りください! マックスの情報では、もうカジナル軍の先遣隊が出発しています!!」
「先遣隊程度など、俺と貴様がいれば十分だろう」
「シウリス様、ここは敵地! 後から後から敵が湧いて出てくるでしょう。せめて国境までお引きください!」
必死に詰め寄るアリシアに、シウリスはふんっと息を吐いた。
「ここでの目的は達成した。帰るぞ、貴様ら!!」
シウリスの号令により、紺鉄の騎士たちは自分の馬へと騎乗していく。しかしそのうちの一人を捕まえて、アリシアは凄んだ。
「あなたの馬は借りるわ。他の誰かに乗せてもらうことね」
「っひ! は、はい!!」
その騎士はあわあわしながら他の馬へと二人乗りする。
シウリスと紺鉄の騎士隊が去るのを確認した後で、アリシアはようやくグレイとトラヴァスに目を向けた。
「ご苦労様、あなたたちの任務は終了よ。帰ってから詳しく聞くわ。とにかく今はここを出るわよ!」
「「っは」!」
「グレイ、裸馬には乗れるわね!?」
「乗れます!」
「グレイは私の馬に乗りなさい! 体重的に、私とトラヴァスが二人乗りよ。さぁ、早く!」
「承知しました」
アリシアの愛馬にグレイが跨がり、トラヴァスが残された馬に跨る。一人用の鞍ではバランスを取るのが難しいので、アリシアが後ろに乗りトラヴァスの腰に手を回した。
「筆頭、いけますか」
「悪いわね、しがみつくわよ。できる限り急いで!」
「っは」
地獄と化した兎獣人の集落を後にして、グレイとトラヴァスは馬を走らせた。
もちろん、馬具のある時のようなスピードは出せない。二人乗りしているトラヴァスも同様だ。
それでも国境まではさほど遠くなかったこと、そして夜の闇に紛れられたこともあり、追われることもなくストレイア王国の領内へと戻ってくることができた。
「とりあえず、ここまで来れば安心ね」
三人は馬から降りて、少し休憩する。一刻も早く帰りたいところだが、馬を酷使し過ぎていた。紺鉄の騎士隊は別ルートを通っていて、姿も気配もない。
小川で馬に水を飲ませてから、グレイたちは野宿の準備を始めた。この暗い中、疲れた馬を連れて戻ることはできない。
火を焚き、幾らかの干し肉を分けて食べると、アリシアは焚き火を挟んで二人に目を向けた。
「さて、聞かせてもらおうかしらね。あの集落で、なにが起こったのかを」
アリシアの言葉に、グレイはトラヴァスへと視線を送る。
ティナに口付けていた意味がわかりかねていたグレイは、説明をトラヴァスにゆだねたのだ。
トラヴァスはグレイの意図に気づいて、頷くとアリシアに説明を始めた。
「私とグレイは、目標であるティナとの接触に成功しました。細かなやりとりは後で報告書にまとめますが、やはり彼女は兎獣人の長老と接触し、軍に引き入れようとしていた模様です」
「ジャンの報告通りね。それで、どうなっていたの?」
「交渉が成立した様子はありませんでした。どちらかというとティナは、兎獣人たちとの友好に重きを置いていたようです。そちらから懐柔しようとしているように見えました」
実際にティナがそこまで考えて行動していたかは、トラヴァスにはわからない。だが可能性としては十分ある話としてトラヴァスは伝えた。
アリシアはふむと首肯し、目だけで先を促す。トラヴァスは言葉を濁すこともなく、先に結論を伝えた。
「そうして彼女が子どもたちと交流を図っている時に、シウリス様がやってこられたのです」
トラヴァスの説明に、アリシアはぐっと息を飲み込むようにして、頭を押さえる。
二人のやりとりを見ているだけだったグレイは疑問を堪えきれず、眉を寄せながらアリシアに目を向けた。
「アリシア筆頭、なんでシウリス様自らが兎獣人の集落に来たんですか? そんな予定じゃなかったはずだが」
グレイの問いに、アリシアは頭を軽く振る。
「どこからか、あなたたちの任務がシウリス様に伝わってしまったのよ。まどろっこしいことをせずとも、ティナ一人殺せばすむことだって……説得しようとしたんだけど、無理だったわ。止められず、ごめんなさいね。驚いたでしょう」
「まぁ……びっくりはしましたけど、筆頭が謝る必要はどこにも。シウリス様は、誰にも止められないしな……」
グレイのフォローにアリシアは少しだけ眉を下げ、すぐにトラヴァスへと視線を戻した。
「次はシウリス様が集落に着いてからどうなったのか、教えてちょうだい」
「はい。私とグレイはどういう状況か見極めるため、物陰に隠れて様子を見ていました」
そうしてトラヴァスは話した。
ティナは幼子二人を守ろうとしたこと。ラビトという少年が身を犠牲にして逃げる時間を作ろうとして殺されたこと。
逃げた女がティナだと気づいたシウリスは、迷うことなく彼女を斬ったということを。
「そう。ティナは、死んだのね」
顔を歪ませたアリシアに、しかしトラヴァスは頷かない。
「一縷の望みをかけて、持っていた回復薬をティナの口に含ませてきました。喉の奥に入ったのは確認しましたが」
「トラヴァス、お前はあの時、そんなことをしてたのか」
グレイが驚きの声を上げると同時に、アリシアはトラヴァスへと目を流す。
「敵国の女を助けようとしたということね。トラヴァス、理由を」
「は。ティナはカジナル軍のトップであるブラジェイ、ユーリアスの二名とは懇意の間柄です。ティナの死により、火種が燃え上がるのは必然というもの。それを避けるため、私はティナを生かす選択をいたしました。しかし助かる確率は、そう高くないとは思いますが」
「シウリス様には気づかれなかったの?」
「はい、うまく誤魔化せたかと思います。勝手な判断でしたでしょうか」
「いいえ、上出来よ。よくやったわ」
アリシアの笑みを引き出せて、トラヴァスは己の判断が適切であったと改めて感じ、安堵する。
「実際にティナがどうなったかは、マックスが情報を持ってきてくれるでしょう」
「マックス殿が? ジャン殿ではなく?」
「マックスは今、ジャンと合流して情報を交換しているところよ。何日かすれば戻ってくるでしょう」
焚き火がパチッと弾けて火の粉が舞う。
唐突のことで、野宿の準備は皆無だ。夏で良かったと、三人は心から思っていた。
「とにかく、二人ともよくやったわ。疲れたでしょうけど、順番に見張りをしながら休息を取るわよ。明日は夜明けと同時にここを立つわ」
「「っは」」
そうして三人は火を囲み、夜を過ごす。
グレイは斬り捨てられた兎獣人の少年を何度も思い返し、中々寝つくことはできなかった。




