110.なんにも考えてなさそうに見えるぞ
翌朝、アンナはイークスをドッグシッターのサエクに預けた後、王宮へ向かった。
アンナは第六軍団の中で一番早く出勤している。グレイもおらず一人だったため、さらにいつもより早い時間に王宮の門に入った。すると、シウリスと紺鉄の騎士隊が王宮から門の方へ向かってきている。
そしてその後ろには、シウリスを追いかける金髪の筆頭大将の姿が。
「お待ちください、シウリス様!!」
「アリシア、貴様は俺を愚弄したであろう」
「決してそのようなことは!!」
そのやりとりを見た瞬間に、アンナは察した。どこからか、情報がシウリスの耳に入ったのだということが。
「見ていろ。女の一人や二人、この俺が直々に討ち取ってくれる」
「シウリス様、おやめください! 此度の目的はそのようなものではございません!!」
アリシアが止めるのも聞かず、門内に待機させていた馬にシウリスは跨った。十人の紺鉄の騎士も同様に騎乗していく。
思わずアンナはシウリスのそばへと駆け寄った。
「シウリス様、どこに行かれるのですか!? まさか……っ」
「フィデル国だ。どいていろアンナ。邪魔だ!」
言うが早いか、シウリスは踵で馬腹を蹴る。
馬は嘶きを上げて駆け出し、アンナは慌てて距離を取るしかなかった。
「ああ、もう!! ルーシエ、私の馬を!! マックス、ついてきなさい!!」
「「っは!!」」
ルーシエとマックスは返事をすると、すぐさま馬を迎えに走る。
アンナはアリシアへと駆け寄り、長身の母親を見上げた。
「筆頭!! 私も──」
「あなたはここにいなさい!! 大人数で行っては、それこそ戦争を仕掛けに行くのと同じよ! 留守を頼むわ!!」
「っ、は!」
マックスが馬に跨りやってきて、ルーシエが連れてきた馬にアリシアは飛び乗る。
「行くわよ、マックス!! シウリス様を止めるわ!!」
「っは!!」
二人はシウリスを追って門を飛び出していった。
できれば一緒に行きたかったアンナだ。しかし筆頭大将不在の王宮を守るのも、大事な仕事だと気持ちを切り替える。
(とにかく、スウェル様が来た時にすぐ報告できるように、状況をまとめておかないと……)
そう思いながらアンナが急いで軍務室に入ると、そこには朝早くだというのにリタリーの姿だけがあった。
なぜか、アンナの机の前で。
「あ……おはようございます、アンナ隊長」
「おはよう、リタリー。早いわね。私の机でなにをしてるの?」
すっと机から離れたリタリーは、にっこりと笑みを見せる。
「いいえ、別になにも。少し汚れがあったので、拭いていただけです」
「そう……ありがとう。自分の机は自分できれいにするから、放っておいてくれて構わないわよ」
「はい、わかりました」
そう言ってリタリーは、アンナの机から離れていったのだった。
一方グレイたちは、夕暮れ近くになってからティナと接触することに成功していた。
兎獣人の長老の家の前で偶然を装って会うと、まったく疑いもせずにティナの方から話しかけてきたのである。
「やっほー! グレイ、トラヴァス、なにしてるの?」
長老の家の前で、ティナはグレイたちを見つけるとシュピッと二本指で挨拶する。
そんなティナに、グレイは当然しらばっくれた。
「特になにかをしに来たわけじゃないんだが、こっちにはなにがあるのかと思ってな」
「こっちは観光になるようなものはなにもないよー」
「ではティナ殿は、どうしてこちらへ?」
さらりとトラヴァスが話を振る。ティナは慌てることもせず、少しだけ小首を傾げた。
「お使いかなぁ。ちょっと色々頼まれちゃってて」
「そのご用事は済んだのですか?」
「うーん、まだちょっと時間かかりそうなんだよね。兎獣人も結構頑なだからなぁ〜」
まだティナは兎獣人を仲間に引き入れられていないのだと、今の言葉でわかったグレイとトラヴァスは、目だけで確認し合った。
ひとつの集落を引き入れると、次々に賛同する集落が出てくるかもしれないことを考えると、ストレイアとしては阻止したい案件である。
「頑な、ですか。この集落を見る限り、彼らはとても友好的に見えますが……」
「そうだね、人間を受け入れてはくれてるけど、戦争となるとなぁ……」
「戦争?」
トラヴァスが見事な演技で『なんのことかわからない』というように首を傾げた。
ティナは失言とばかりに手を口に当て、誤魔化し笑いをする。
「あは、なんでもない! えへ! さ、向こうの方が観光客向けだよ、戻ろう!」
ティナに背中を押されたグレイとトラヴァスは、強制的に回れ右をさせられた。
そんなティナへと顔を後ろに向けたグレイは、確認のため口を開く。
「詳しいんだな、ティナ。何度も来てるようだが」
「カジナルシティから近いしね。私はカジナル出身なんだ」
背中を押していたティナは手を離し、二人の間からぴょんっと前に飛び出て、前を歩き始めた。
誘導するような彼女の動きに、グレイとトラヴァスは当然ついていく。
「カジナルか。都会育ちなんだな」
「田舎も好きだよー! 土の匂いが好きなんだ。あと、遺跡も好き! ロマンの香りがするよね!」
「ロマンですか。私は遺跡に行ったことがないのですが、素人が行っても大丈夫なものですか?」
「初めては、慣れた人と一緒に行った方がいいかな。同じところをぐるぐる回ったり、逆に出られなくて困ることもあると思うから。魔物が出てくる遺跡もあるしねー」
「なるほど」
ティナはどこに行くつもりかと警戒しながら歩いていたが、着いたところは昨日と同じ広場だった。
そこにいたルウとラビトという兎獣人の子どもが、大きく手を振っている。
「ティナおねーちゃーーん!!」
「おっせーよー!!」
「ごっめーーん!」
ティナはシュタッと軽やかに二人の元へと向かい、にこにこと笑っている。
もうグレイとトラヴァスのことなど、まったく気にしていなかった。トラヴァスはそんなティナを見て、ふむと手を顎に当てる。
「子どもから懐柔するつもりのようだが」
「どうだろうな。なんにも考えてなさそうに見えるぞ」
「っふ。確かに」
「トラヴァスー、グレーイ!」
ティナが手を上げて名前を呼ぶので、二人は彼女に向かって歩き始めた。
「どうした、ティナ」
「この子たちが、異国の話を聞きたがってるんだ。教えてあげてくれない? 二人はフィデル国の人じゃないよね。どこから来たんだっけ?」
「我々は、ファレンテイン貴族共和国出身ですよ」
事前に打ち合わせしていた通り、トラヴァスはここから遠く離れた地名を使った。
トラヴァスは色んな書物を読んでいるので、ファレンテイン国のこともある程度は把握している。
「どんな国ー!?」
「僕たちみたいな獣人族はいるの!?」
「残念ながら、獣人族はいませんね。エルフならいますが、滅多に見ることはありません」
「僕たちってやっぱレアなんだな、ルウ!」
「本当だね、ラビト!」
ルウの方が背が低く、ラビトより幼いことがわかる。
しかし二人ともかわいい耳をぴょこぴょこさせていて、グレイの頬は自然と緩んだ。
「その国では、食べ物はなにを食べるんだ?」
「人参は好きー?」
「ええ、好きですし食べますよ。スープやグラッセや、タルトもおいしいですしね」
「人参は生が一番だぞー!」
子どもたちが人参を薦める姿をにこにこ見ていたティナが、いきなりハッと顔を上げた。
何事かとグレイとトラヴァスもティナに目を向ける。
「どうした、ティナ」
「なんだろう……なにか、音が聞こえるよね!?」
「ん?」
グレイとトラヴァスの耳にはもちろん、なにも聞こえない。
しかしルウとラビト、それに周りの兎獣人が警戒するように耳を立て始めた。
「ねーちゃん、馬の蹄の音だよ!」
言われた瞬間、ティナは近くのコテージの屋根に飛び上がる。そのまま別のコテージへと屋根を伝って高い建物の上へと登ったティナは、遠くを見て叫んだ。
「紺鉄の……牙!!!!」
その名を聞いてぎょっとしたのは、誰よりもグレイとトラヴァスだ。
紺鉄の牙とは、シウリス率いる紺鉄の騎士隊を、フィデル国が恐れてつけた呼称である。
「ここに向かってる!!」
ティナの言葉を聞いた人間たちは一斉に顔を恐怖色に染め、カジナル方面へと走り出す。しかし兎獣人たちは何事かと目を丸めるばかりだ。
「みんな、逃げて!! 紺鉄の牙が、ストレイア軍が攻めてくる!!」
ストレイア軍と聞いた兎獣人の大人たちも、ようやく慌て始めた。辺りが一気に騒がしくなり、ビョンビョンと跳ねるようにして兎獣人たちも逃げまどい始める。
「どういうことだ、トラヴァス……!」
「私にもわからん。こんな予定などない……!」
そうこう言っている間に、紺鉄色の波は土煙を上げて集落に向かってきているのがグレイたちにも目視できた。
もうすぐそこだ。地鳴りが聞こえてくる。ルウがかたかたと足を振るわせながら、涙を滲ませた。
「敵が攻めてくるの!? どうしよう、ラビトぉ!」
「お、落ち着け、ルウ! 僕が守ってやるからな!」
そう言ってラビトは、立派な短剣を取り出して握った。
もちろん、そんなものでどうにかなるような相手ではないが。
「二人とも、とにかく村を出ろ!」
「グレイ、俺たちも移動だ! なにが起こるか予測がつかん! 物陰に隠れて様子を見る!」
「わかった! お前ら、すぐにここから離れるんだぞ!!」
それだけ言い残すと、グレイとトラヴァスは逃げ惑う群衆をかき分け、コテージの影へと隠れた。
しかしルウは──
「ルウ、早く立ってくれよっ!」
「あ、あ、あ、足が……動かな……うわぁぁあんん!!」
その場にしゃがみ込んで、動けなくなっていたのだった。




