本編-0007 外の探索④
ボアファントは既に虫の息だった。
望外の成果だが……油断はできない。
辺りには獣臭い血のにおいが漂っていた。
鷹を狩ろうとして思い留まった猟師の逸話に倣えば、狩る者こそ狩られるのだ。
血のにおいに誘われて他の大型の肉食獣がやってきてもおかしくない。
そう、とどめを刺してやる時間が惜しいのだ。
だからしょうがないよね?
「アルファ、そこのボアファントを食ってみろ。毒があるかもしれないから、血を流してるところは避けろよ? ベータはゴブリンを」
俺はその間に、ゴブィザードのボロ布を剥ぎ取って泉で洗う。
血の池みたいな泉で血まみれのボロ布を洗うのも妙な話だな。
絞ったボロ布片手にボアファントの食い散らかした果実を集めながら、アルファの様子を観察する。
俺の指示通りに、負傷した部位は避け、例の長太い鼻に食らいついていた。器用に足爪と、手の爪を使い分けで肉を切り裂いているように見える。
噛み切るのに多少難儀する様子もあったが、心なしか楽しそうに見える。
ステータスを見てみるとHPがしっかり回復していた。
『――【因子の解析】を発動――』
『――間接吸収による効率低下66%……因子【伸縮筋】を定義。
解析率:4%に更新――』
『――間接吸収による効率低下68%……因子【強筋】を定義。
解析率:9%に更新――』
「うん?」
ほほーう。
ここで【因子の解析】が検証できた、か。
言葉の意味をまた考えてみよう。
ボアファントの一番の特徴だった、太く強靭でしなやかな長い鼻。
そして体格差をものともせず、それに対抗した大ゴブリンの膂力。
おそらくそれぞれの特質が【伸縮筋】と【強筋】として、俺の固有技能を通して迷宮核に認識・登録されたのだ。
「因子」と書いて"遺伝子"と読ませているぐらいだ。
解析率はまだ低いが、今後100%になったらどうなる?
ランナーの技能【因子適応】を考えると、これはおそらく、ランナーを【因子の注入】で強化できる前提なんじゃないのか?
つまりランナーから先のエイリアン達の進化条件は、解析によって手に入れた、そしてこれから手に入れていくであろう様々な【因子】を加えていくことだったんだよ!
「グ、グギャギャッオー!」
おう。
ベータ、お前はノリが良いな。
そう考えると俄然やる気が出てきた。
俺自らボアファントの鼻の肉にかぶりついてくれよう……って、そんなわけにはいかないよな。
おいおい生肉だぜ。
どんな寄生虫がいるかわかったもんじゃ無し。
最低限火を起こす手段を確保しておかないと、試す気も起きないわ。
だが、アルファがボアファントの鼻を食ったことを「間接吸収」と言うならば、俺が「直接」解析するのがより効率的ではあるはずだ。
たとえば――。
俺はボアファントの鼻に手をかざした。
「【因子の解析】:対象ボアファントの鼻」
手のひらからMPが放出される感触。
正解のようだ。
俺とボアファントの鼻の間に一本の目に見えないリンクが生まれる。
それを通して、二重螺旋だか化学式だかを連想させるイメージが伝わってくるのだが、イメージ自体は、なんていうか「虫食い」だ。
断片的で、直感的な理解がうまくできないのだ。
こうした「表現」もまた迷宮核による翻訳の賜物ではあるのかもしれないが。
直接的な「解析」によって取り込まれたイメージが、俺の中でパズルのワンピースとなって、一枚の大きな絵図の一部となる。
これをジグソーパズルとするならば、大半が穴食いである以上、その完成はもまだまだ先てわけだが。
『――因子【伸縮筋】を再定義。解析率:16%に更新――』
うむ。
俺自身が直接やった場合は、大体眷属が食うのの3倍の進行率か。
が、もう一度解析しようとしても反応が無い。
アルファに別の部位を食わせてみても同じ、と。
これ以上を望むなら、やっぱりリスクを取って俺自ら生肉を貪るか?
……いや、まだ試せることがあるな。
「ベータ、今度はお前が食ってみろ」
攻守交代。
アルファにはベータの食い残しを賞味させる。
果たして【伸縮筋】と【強筋】の解析率がそれぞれ20%と18%に上昇した。
ははーん。
なるほどね。
それならば――。
3時間ばかしが経過する。
俺が【因子の解析】を発動した後、ランナー2体に食わせる作業がやっとこさ終わった。
血の匂いによる肉食獣等の接近を警戒したが、杞憂に終わったのは幸い。
そうして、なんということでしょう。
無残にも屍を晒していたゴブリン×3、ゴブィザード×1は立派な「因子」に転生しましたとさ。
死体は、まぁ、野獣に処理されたとでも思ってくれるだろう。仮に他のゴブリン達に見つかったとしてもな――すぐには俺の居場所や存在はわからないだろうし、警戒してゴブリン達がもっと出てくるようになるならば、なぁに、エサが増えるというものだ。
必然的に次の探索ではもっとランナーを揃えなければならないが。
あと試しに血も飲ませてみたところ、やはりゴブリン達の木槍に毒が塗ってあったようで、ボアファントの血から「因子」の反応があった。
それから青い果実からも新たな因子が定義されたし、オマケに戯れで俺自身にも【因子の解析】を試してみたんだが……。
まぁ、ちょっとこのステータスの追加項目を見てみてくれ。
こいつをどう思う?
【因子情報】
・伸縮筋:解析率20%
・強筋:解析率99%
・風属性適応:解析率2%
・猛毒:解析率10%
・強酸:解析率15%
・魔素適応:解析済
・命素適応:解析済
・肥大脳:解析率1%
コメントしたいことは色々あるが、上から順に行こう。
【伸縮筋】と【強筋】は順当な上がり方だ。
妖怪1足りないにしてやられたことを除けばな!
まぁ、解析率では表示されてはいないものの小数点以下があるのか、同じ条件でも微妙に上昇幅が違っていた。
ゴブリンの食いかけはまだ残っているから、持ち帰って新しいランナーを作り出して「間接吸収」させればどうとでもなるがな。
一方でボアファントの鼻については、残念ながらもう残っていない。
他の部位を食わせても反応は無かったのだから、新しい個体を見つけて狩るしかないだろう。
だがランナー2体で鼻を食い切ってしまうとなると、解析完了まで4体は必要か。戦力整うまでちと保留だな。
お次に【風属性適応】だが、これはゴブィザードからわずかだけ解析率を得られた因子だ。
ボアファントの鼻の感覚を狂わせた例のもやは、多分風属性の技だか魔法だかだったんだろうか?
この因子とは別に【強筋】の解析率もきっちり得られたから、一体の生物から複数の因子が得られるパターンは今後もあるかもしれない。
魔法的な属性についても、多分全種の【因子】があるんだろう。
迷宮核の知識によればこの世界を成り立たせるのは『水・火・地・風・雷・闇・光』を始めとした諸属性である、と。
そんで、人界と異なり魔界は『闇』に大きく傾いているらしい。
魔界の創造神――【全き黒と静寂のザルヴァ=ルーファ】または単に【黒き神】と呼ばれる存在が、神々の大戦の後に、自らにつき従う者達の逃げ場として、ほぼ独力で【魔界】を生み出したことが原因であるとされている。
まだ今の俺にはよく理解できないが、どうも『闇』属性によって他の「自然元素系」の属性を再現しているとのことで――故に、魔人族が種々の『異形』を獲得するように、魔界に住む生物には大なり小なり『闇』属性に偏ったことの影響が表れているとのことだ。
例えば真っ赤な海であったり、薄紫色の空であったり、黒色の太陽であったりもそうした影響なんだろうな、ということは。
……と、この知識は今は関係無いので、そろそろ話を戻そう。
【猛毒】についてだが、ゴブィザードをベータに食わせてる間に、アルファにボアファントの血を飲ませて得られた因子だ。
多分、なんらかの生物由来の毒でも塗ってあったんだろう。因子の解析率を上げるためには、ゴブリンの巣でも見つければ良いだろうか。
実際、アルファで生物実験したようなもんだが、なんとも無いようだ。
……もしHPが減ったら命素を注ぎ込んで回復させられないかの実験もできたんだけどね。
アルファは優秀な部下だが、今の俺にはどんなわずかな情報でも、より重要度が高いのだよ。
だったら自分のHPも捧げろって? やるよ、いずれ、多分。
でもさ、痛いのはちょっと、ね?
【強酸】は、意外なことではあるが、ボアファントが食い散らかした青い果実から得られた因子だった。俺がボロ布にかき集めてた食い残しは、中の果汁がすべて抜けた後の搾りかす。
火傷する、とか言うことはなかったわけだが、【強酸】などとはぞっとしない。微量の強酸が含まれているとでも言うのだろうか……ボアファントは何を考えてあんなもん食ってたんだ?
一つ考えられるとすれば、ヤツの異様に鋭い牙だろうか。あれだ、歯が生命的な感じで、ちょっと歯磨きだか研磨剤みたいな感覚で使っていたとか。
大ゴブリンを一撃で貫いた破壊力は、結構な脅威だぞ。
幸い果樹達にはまだ多くの熟れた青果実が見えているから、後で実験がてら強酸の解析も完了させてしまおう。たらふく食わせてやるぞ我が眷属共よ!
さて。
次の因子【魔素適応】【命素適応】だが、これは俺自身を解析した結果、新しく定義された因子だ。
いきなり「解析済」になって驚いたが、効果がまだ見当つかない。とはいえ喜ぶのは早かった。解析済になったのは良いのだが、活用するためには何をすれば良いかわからなかったのだ。
魔素やら命素やらを練って【因子の注入】を2体に試してみたんだが、何かが発動した感触は無し。
ぐぬぬぬ。
トントン拍子に眷属を強化できるかと思っていたが、そう甘い話でもないか。
まぁ、保留だな。
そのうち糸口がつかめるだろう、多分。
ん?
最後の一つ?
【肥大脳】のことね。
意味不明。終了!
……いや、実際わけがわからんよ。
今後の解析完了まで時間もかかりそうなこと考えると、一旦見なかったことにしておくのが楽だし。
まぁ名前あたりから予想をするなら「知性ある生物」から微量だけ解析できる因子で、多分死体からは無理っぽいということ。
次にゴブリンを生け捕りにでもできたら考えてみるかね。
他の可能性としては、そうだな。
ゴブリンの脳はダメで「人間」の脳ならOKとか――有り得るんじゃないかな?
***
ところで、青い果実は【情報閲覧】により『青酸モモ』と命名された。
確かにスモモぽい形してるし、瑞々しい見た目なんだが……どっかの少年探偵が間違えて舐めたら大変だな。ペロっ、この味は! 的な。
まぁ強酸らしいとはいえ、どうにも果肉の間から滲み出る過程で果汁によって薄まり、多少中和されているっぽい。いろいろ試してみたところ、さすがに肉や骨を溶かすとかってほどの激しい酸性は示されなかった。
そりゃそうか、仮にも自然界(魔界)の植物だもんな。
因子【強酸】はあくまで因子としてのもの、ということか。
ただこの果汁、それでも長時間触れていると、少しヒリヒリしだす。
やはりボアファントにとっては歯磨き剤代わりの線が濃厚かな?
未知の生物、その生態系の不思議ってところかもね。
俺も活用できんかね。中の酸だけをうまく抽出する仕組み等が作れれば、何かに役立ちそうな気がするのだが。
果汁を絞った果肉は普通に食えるから、とりあえず今持てるだけ持ち帰っとこうか。
んんむ。
何か物をたくさん運ぶ方法は無いか。
やはり戦力拡充してスレイブ達にやらせるのが正攻法ではあるかな?
まぁ、いずれは栽培することも検討しよう。
迷宮核と一体化した迷宮領主である、この俺のいる場所こそが迷宮よ!
外界から隔絶された孤島であるならば、いずれ全体を支配下に収めるのも悪くはないぜぐへへへへ!
はい、冗談はさておき。
人界側の出口周辺だって確認しなきゃいけないし、ゴブリンはともかくボアファントだって今の戦力じゃ正攻法で倒すのは無理だろうし、島の制覇まで課題は多いってことだ。
ともあれ、当初の目的はひとまず達成した。
検証・確認したいことがむしろ増えたから、もちょい粘りたいのが本音だが、さすがに欲というものか。
その後、俺はランナー2体と共に帰還する。
幸い何らかの襲撃を受けることは無かった……あぁ、そうだ。
腹が満腹になったアルファとベータは戻りの道中、HPが一切減少しなかったことも追記しておく。
***
【遠征:初日の成果】
・青酸モモ……15個
・ボアファントの肉片……少々
・ゴブリンの肉片……いくらか
・ゴブリンの毒槍……4本
・ゴブィザードの棍棒……1本
・その他、森の木の実を少々




