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呪命-0005 止まり木の小鳥は相食らう

洞窟を迷宮の奥まで進む道中で、ルクとミシェールは【活性】魔法により互いの傷を癒す。

これは、元素系の属性による魔法的な癒しと異なり、生物の持つ本来的な自然回復力を増進する性質が強い治癒であり、即効性は無いが持続性に優れている。


ル・ベリと名乗った魔人の先導に従い、青と白の淡光がぼんやりと明滅する道を進む。背後と周囲にはつかず離れずに異生物達の気配があったが、戦いの時とは一転して静かなものであり、危害を加えるような意思は感じられない。

ル・ベリは無口な男だったが、兄妹は彼の主への崇拝心の高さを早々に見抜いており、控えめにそこをくすぐるような会話を試みることで、いくらかの情報は引き出していた。


――例えば、幾度と兄弟を襲撃した異生物達の呼称など。

「エイリアン」などという種は、予想通り【人界】に存在する生物にも魔物にも絶無であったが、意外なことに【魔界】でも全くの新たな種であり、ル・ベリの主たる例の迷宮領主(ダンジョンマスター)が無から生み出したものだという。

【人界】の魔物の多くが迷宮から這い出した存在であることも『博物学』から知るルクからすれば、それは意外なことであったが、話すうちにル・ベリもまた相当に鳥獣と植物の生態に造詣が深いことを知るのであった。


「『進化論』か……確かに興味深い考えだと思うが、そういえば、御方様もエイリアンどもの成長を『進化』と表現されていたな」


「どうでしょう。結果だけみればそうかもしれませんが、この学説の肝は世代交代する中での小さな変異の累積ですから――『エイリアン』達について言えば、『変異』というのがしっくり来る気がします。虫の変態に近いですね、話を聞いていると」


驚くことに、ルクとミシェールが遭遇した何種類もの「エイリアン」達は、いずれも同種の「幼虫」から『進化』をしたものであるという。なるほど、そういう観点で改めて観察をして見るならば、いくつかに枝分かれした系統はあるようだが、それぞれ『進化前』の形態の特徴を受け継ぎ、あるいはより発展させているようだ。

……さらに驚くことには、生物ではなく「植物」のような特質を持った系統もあり、高度な役割分化が行われているという。


このように、盛り上がる男同士の会話にミシェールはただ耳を傾けるのみ。興味自体はあるのだろうが、同時に周囲の様子をじっくりと観察している。

そして迷宮の主の待つ部屋までの時間は、流れるように過ぎていった。


   ***


「ようこそ、我が迷宮【報いを揺藍する異星窟】へ――そして俺が、この迷宮を治める迷宮領主(ダンジョンマスター)のオーマだ」


玉座、というほど立派なものではないが【司令室】の幹部用の円卓を囲む椅子のうち、俺のものだけは一段高い位置から見下ろすような配置にしてある。ちょうど国家元首が議員達の議場を見下ろすような作りであり、左右にル・ベリとソルファイド、ル・ベリの隣にグウィースを座らせ、"名付き"のエイリアン達は俺の護衛であるアルファを除いて好きにさせている。

ベータは【火属性障壁花】を"装備"させたガンマの近くにいさせることで、ある程度の自由を与えることに成功できていたため、兄妹の心を折った功労者であることも含めて、多少の魔石の消費には目をつむって同席させていた。


さて……威圧の効果は、と。

うん。

やはり一瞬だけ妙な魔素の流れが感じられ、兄妹の眉がそれぞれピクリと動いたことは確認されたが、すぐに二人して涼しい表情に戻りやがる。

そしてさも慣れた様子で、多分彼らの王国式だろう貴族的な一礼を順にするのだった。


その後、座るように促して兄妹を円卓の最も下流、入口の扉に近い位置に二人並んで座らせている……それにしても、改めて見ると確かに「兄妹」と言えるのがしっくりくるな。

別に双子というレベルで瓜二つというわけでもないのだが、銀色の髪と白い肌に青い瞳、そして醸し出す少し憂いのある知的な表情が、つまり雰囲気がとてもよく似ているのであった。

ふむ……兄のルクは怜悧で利発さを湛えた顔つきだが、心の底に鬱屈を抱えてきた期間が長かったような、そんな独特の"心の闇"があるように見える。それから妹のミシェールだが、長いまつげが愛らしい少女であり優しげな表情を浮かべているが、瞳の奥底の"芯"の強さはルクを上回っている――いや、何か妙な感じに頑固に「硬く」なっているな? 何か、覚悟を持って道を踏み外したかのような、開き直りにも近いそういう歪な"強さ"だが……さて。


――なんで、そんなことが分かるのかって? 心を読めるわけでもないのに?

――はは、わかるともさ。俺は、専門家(・・・)だったからなぁ。


まぁ、いいや。

道中で【回復魔法】でも使ったか、二人がデルタとベータに負わされた傷は徐々に治っている様子が観察できた。


「……我ら【輝水晶(クーレイリオ)王国】が第十三位魔導侯【御霊】のリュグルソゥム家が最後の生き残り、私ルクと、こちら妹のミシェールでございます。この度は、寄る辺なき我らに手を差し伸べていただき、真に感謝しております」


ル・ベリを通して既にこいつらの"答え"は確認しているが、直に顔と顔を合わせてそれを伝えるのも、上下関係を作る上では必要な過程である。

俺が問うよりも先に、右に控えたソルファイドがまず兄妹の覚悟を問う。


「【魔界】へ逃げ込み、しかも迷宮の主に慈悲を乞うことが、何を意味するか知っているのか? 人間。【人界】でどんな地位にあった者であれ、ここでは隷属することでしか生きていくことはできないぞ」


さすが実体験から語る言葉は重みが異なるね。

ソルファイドもまた、人の世とは関わりを絶って静かに暮らしていたはずの里を、奸計によって滅ぼされ、やむなく【魔界】落ちしたのだったな。


「御存知の通り、今は追われ、落ち延びる身です。他に行く宛も無く、森で朽ち果てるよりは、生きる可能性があることに賭けて御慈悲にすがりました――私達の実力は、お見せできたはず。恐れながら、そのために、私達を試したのではありませんか?」


最後の言葉は、ソルファイドではなく俺の方を強い意志を込めた瞳で見据えながら言ってくる。


おうとも。

早速にでもそれを披露して欲しいとさえ思っているぐらいだが――まぁ、待て。

部下達、といっても黙らせてるウーヌスらは除いて主にル・ベリとソルファイドだが、俺の代わりに兄妹へ主に彼らの覚悟と決意について「面接」をする二人を横目に、【情報閲覧】を発動する。


一連の、襲撃という名の『接待』で二人のMPがどれだけ減ったかだとか。

ちょうど俺で言うと『爵位』に対応してると思しき『身分』という項目から、兄妹がやはり貴族層……それも王国最上位の支配層に属することがわかったとか。

【人間】という種族のスキルテーブルだとか、気になる情報は多々あった。


だが、その中で俺は、見慣れない項目に気づいたのだ。

ちょうどグストルフの『称号』である【転霊童子】を見た時と同じような――なんだこれ? という疑問が頭を駆け巡った。

だが、それは「理解不能」という意味じゃあないのだ、と今ならば思う。

言葉の意味を俺なりに無意識だかが直感して――しかし、すぐには頭が理解することを拒否したような、そういう意味での疑問符だ。

まぁ、見てみてくれ。


【状態】

・呪詛(疾時(はやとき))――残り寿命:524日


――単語の辞書的な意味がどうとか、ワンクッション置く猶予も無いわな。

『残り寿命』だと。

随分、分かりやすくて良いじゃあないか。

残り寿命がわずか1年と数カ月の「呪い」とな。


位階の差からルクの方が年長者つまり兄であると思われるが、これが彼のステータスに載っていた「呪い」である。妹ミシェールにも同様の「呪い」があり、カッコ書きでは『残り寿命:649日』と表示されていた。


俺は「面接」の途中であった魔人と竜人を手で制し、兄妹へ言葉をかけようとして、しかし開きかけた口を閉じてしまった。

思うところがあったのだ。

見たところ兄は18~9歳で、妹は一つ二つ下ってところだろうか。

若いなぁ。子供だなぁ。

子供が、若者が若死にしなければならないのは、いつの時代のいかなる場所においても悲劇だ。絶対的な悲劇なのだ。

無論、だったら俺自身がどうにかしてやる、というわけではない。世界に革命を起こすだけの力を福祉事業や慈善活動に使おうと決意するものでもない。

だが、なんとなくだが、俺はそういうことに一抹の厭世的な気分を感じてしまい居心地が悪くなるのだ。ましてそれが、どこの誰とも知らない異国のガキではなく、俺の配下になろうという二人であるならば――。


「俺の眷属達を屠り、そこの精鋭2体、ベータとデルタを相手に、単身あそこまで粘ったのは見事なもんさ。だがそこまでして、何を望む? 残された僅かな命を燃やし尽くしながら」


それを聞いてルクが目を見開き、ぎょっとしたような表情を作った。

さぁ、驚け、そして考えろ。

【精神】魔法とやらによって相手の頭の中を覗く技があるというなら、似たような技が【魔界】に無いと、どうして言えるだろうかね。

俺の前では、何もかも包み隠すことはさせないさ。

語れ、お前らの望みを。


――時間にして1秒から2秒ほどの、再びの沈黙。

二人して全く同時に1ほど減少するMP。

決まりだな。

こいつら、おそらくだが俺の【眷属心話】と同じようなテレパシーみたいな技を持っているのだ。それが【魔法】によるものかまではまだわからないが、もしそうだとしたら、【精神】魔法だろうかな?


「……お許しいただけるのであれば、王国への復讐を。そして我がリュグルソゥム家の再興を、主オーマ様の庇護の下に」


答えたのはミシェールの方だ。

侵入者達の迎撃前、最初に会った時も「その意思」を答えたのは、彼女の方だったなそう言えば。

淡々と語るミシェールにルクが軽く驚いたように目を見開き、狼狽した様子を見せながらも、話題を変えるように問いを挟んでくる。


「オーマ様。もしや――わかった(・・・・)のですか?」


「ふむ。あと2年も生きられないお前らが、どうやって一族を再興するんだ? ……あぁ、じっくり"話し合って"から答えを聞かせてくれれば良いぞ」


よほど衝撃を受けたのだろうか。兄妹が改めて絶句した表情で俺を見ていた。

……君ら驚いた時の目の開き方とか表情が、やっぱりすごい似てるね。

だが、絶句の後の表情は実に対象的だ。薄ら微笑むミシェールに、渋い顔のルク。

そんな表情のまま、今度は隠す気も無いのか、たっぷり十数秒ほど兄妹は微動だにせず沈黙していた。


うん。

俺には【情報閲覧】でよく見えているぞ?

まだいくらか戦えるだけの余力を残していたはずのMPが、凄まじい速度で減少していくのが、な。


周囲の配下達と眷属たちを制して、見守り続ける。

やがてMPが0になり――限界が訪れたのか、まず妹ミシェールが糸の切れた人形みたいに、意識を失って円卓の突っ伏した。

同じく、今にもぶっ倒れそうな青い顔で、絞り出すように兄ルクが改めて俺を見据えてくる――MP残り1の状態で。


ふむ。

これでほぼはっきりしたな。

つまりギリギリまで、文字通り"考え込んでいた"ってわけか。

さぁ、話し合いの結果は?


   ***


迷宮領主(ダンジョンマスター)オーマが回答を待っていたのは、肉体の時間ではわずか十数秒である。

しかしその間、数十数百倍にも引き伸ばされた精神世界、すなわち「止まり木」では、兄妹の間で熾烈なせめぎ合いが繰り広げられていた。


ルクとしては、ある程度の「知識」や「情報」を忠誠の対価として提示するのはやむを得なかったが、【呪い】や、まして「止まり木」のことまで知られるのは想定外のことである。

後者はまだブラフの可能性もあったが――いかなる手段によってか、寿命のことを知られている。

だが、どうやって?

【魔人】に人間の精神魔法が通用しないのと同様、その逆もまた真である。では、兄妹の知らない何らかの力が作用しているということか。それは何か?


オーマへの問いにどう答えるべきか、その対応を打ち合わせなければと考えたルクが先に「止まり木」へ移り、ミシェールを招いたのであった。

実際にはオーマは【情報閲覧】を通して兄妹が「精神魔法」に長けていると看破しただけであり、「止まり木」の秘密まで完璧に知ったわけではなかったのだが。


「くそ、迷宮(ダンジョン)に関する知識(・・)はどれだ?」


『書庫』に駆け込み、片端から「知識」をひっくり返すルクの様子を、ミシェールが冷めた目で見つめる。


「ルク兄様。別に知られたから、どうだというの? 何を恐れているの?」


「は?」


問われ、ルクはそこで己のミシェールの認識のズレを思い知る。

リュグルソゥム家の血を引く者は、常に一族と心近しくあるからこそ、本当の意味で己の『全て』を知られることを恐れる傾向があった。なぜなら「止まり木」においてそう(・・)なることは冗談では済まされず、「精神の癒合」を引き起こすからであり、故に互いの精神をあくまでも半共有するに留まる何重もの縛りが存在する。

一族の歴史の暗部として、稀に2~3人が一度に「廃人」となってしまう事故(・・)があることは、兄妹にも繰り返し伝えられていることであった。


なればこそ、オーマが二人の秘密をいかにして知ったかは重大な問題たり得る――とは、ミシェールは特段考えていない様子であることに、ルクは戸惑いを覚えるのだった。


「ルク兄様。ミシェールは、迷宮領主(ダンジョンマスター)オーマ様を恐れる必要は、無いと思うよ」


「いや、待て」


オーマという存在について、何度となく会話の合間に「止まり木」で繰り返された問答を、ミシェールが蒸し返してきた。


「あの人はきっと私達に優しくしてくれる。冷徹なように見せているけれど、呪いのことを言った時、一瞬だけど父様と同じ目をしていた」


「……アテになるかよ。それに、もうたった2人しかいないんだぞ? 全てを教える必要なんてない。生き延びて力を蓄えて――」


しかし抗弁は一笑に付される。


「ふふ……いつまで? ねぇ、兄様。私達はあと何年生きられるの? たった1年で、十二魔導侯家(あいつら)に復讐する力なんて、蓄えられるの?」


蠱惑的なミシェールの微笑みに、生理的な嫌悪感と違和感を感じた、次の瞬間。

突如何本もの錆びた鎖が周囲に現れ、ものすごい勢いで両腕に絡みついてきた。


「な!?」


「止まり木」で生み出された物体はすべて虚像である。

が、精神世界においてそれを「相手」に差し向ける限りは、虚像とて実体を持つのと同じ効果を有するようになる。

ルク以外にこのようなことをしでかすことができる存在は、この世にもはやミシェールしかいない。そして妹から発されるただならぬ気配から、これが「訓練」でも悪戯でも無いことをルクが悟る。


考えるよりも早く……などと精神世界で言うと妙な表現だが、反射的にルクは棘付きの鉄槌の虚像を生み出して力任せに振るい、巻きついた鎖を根本から破砕。

同時に、ミシェールが生み出した新たな鎖を横に跳んで避ける。


「待て! なんのつもりだ、ミシェール!?」


兄の叫びにミシェールがくすりと口に手を当てころころと笑う。


「ふふ……ルク兄様、逃げちゃダメだよ」


追っ手の襲撃の前に、ミシェールが垣間見せた異様な重い情念が、まるで波動のようにビリビリとルクの精神に敏感に伝わってきた。

()もありなん。ここは精神世界たる「止まり木」である。

ミシェールの感情はまるで水面の波紋のように精神世界を揺らめかせ、空から滲み出るかのように、直接ルクの精神に伝播してくる。

怖気を感じてルクが躊躇する――と、さらに2本の鎖が生み出されると同時に、今度は足元が泥沼に変えられる。捕まってはならないと本能的に感じ、負けじと鉄柵を生み出してくるくる回転させながら撃ち放ち、計4本の鎖をまとめて絡めとった。


「逃げないで、抵抗もしないでね。ルク兄様?」


艶やかにして妖しい微笑み。

なのに話し方は二人きりでゆっくりくつろいでいる時の、普段の少し緩んだ調子と同じであることが、逆にルクを戦慄させる。


泥沼から人ほどもある大ムカデが飛び出してくるが、すんでのところで頭上から垂れ下がる縄を生み出し、それにしがみついて泥沼から抜け出す。ミシェールが拘束系の何かを生み出し、それを打開する何かをルクが生み出して、捕らえられることから逃れる。これだけ激しい「虚像」の応酬は、現実世界の肉体に宿る魔力を著しく消耗させる行為ではあった。

リュグルソゥム家が幼児(・・)に行う「訓練」においては、魔力を効率よく活用するために、こんなぜいたくな「虚像」の使い方などはしない。

明白に強い意志を伴って、ミシェールはルクを捕らえようとしていたのだ。


「何が目的なんだ、ミシェール!!」


あらん限り声を大にして問うルク。

ミシェールがまた可笑しそうに微笑み、まるで甘えるような声で言葉を返す。


「……もう、ルク兄様しかいないんだよ。だから、どこへも行かないで。ミシェールから、逃げないで?」


一歩引いたルクの足首を刺すような激痛が襲った。


「ぐッ!?」


油断した。

生み出された虚像のトラバサミが、ルクの足を捕らえていたのである。

精神世界で傷つくことが現実世界の肉体に影響をおよぼすことは無いが、代わりに魔力(MP)を著しく消耗する。そしてMP切れになれば、精神も肉体も強制的に気絶してしまう。


少しずつタガが外れるように、ミシェールが生み出す「虚像」が物騒なものになりつつあった。


「ルク兄様。私達の"呪い"は本当に残酷で、ひどくて、こんなことをしたやつらを八つ裂きにしたいぐらい憎いのは、ミシェールも同じだよ? だからどうにかしようって、ミシェールのためにルク兄様が呪いを解くためになんとかしてくれようとする気持ちは、嬉しい。でもね?」


大切な家族として妹を想うからこそ、ルクは反撃してミシェールを気絶させるという選択肢を取ることに躊躇していた。

理解できない感情を露わにしてなお、たった二人きりになってしまった家族として、これまで全く知らなかった妹の別の顔とあえて向きあおうとしてしまった。

そのために次々に生み出される虚像から逃げきれず、這い寄る茨の蔦に両脚を絡みつかれてしまう。

焼き切ろうと松明を生み出すが、ミシェールが生み出し放った水風船によって火がかき消される。


そんなこと(・・・・・)のためにルク兄様がミシェールより先に逝くのなんて、耐えられない。ねぇ、ルク兄様。最期の時までミシェールのそばにいて? オーマ様は私達(・・)を護ってくれるよ、あんなに優しい目をしているんだから! だから、ルク兄様――ミシェールを抱いて?」


妹が己を兄ではなく、男として見ていた。

前回と異なり、逃げ場のない「止まり木」世界で改めて伝えられた妹の情念に、ルクは戦慄する。

頭を抱えたい気持ちになったが……精神世界において動揺することは、それだけで、このような「虚像」の戦いにおいて不利になる。

ルクが生み出そうとした大鋏の輪郭がぼやけて崩れ、その間隙を縫ってミシェールが大蛇を生み出し、けしかけてくる。瞬く間に胴を締めあげられてしまい、ミシェールを正気に戻すための声を出すことも難しくなる。


「分かったんだ。殺されたなら、また産めば良いんだよ」


ミシェール=リュグルソゥムは家族を誰よりも愛していた。


「二人きりになってしまったけれど、ルク兄様もミシェールも長くは生きられないけれど……だから、大好きな家族をまた作らないとダメなんだよ。ミシェールから逃げないで? ルク兄様」


リュグルソゥム家200年の歴史の中でも、彼女ほど家族を愛する者はいなかったと言えるほど、とりわけ「情」の強い少女であった。

そして同時に彼女は、実の兄であるルクへ密かな想いを寄せてもいた。

無論、先の「陰謀」が無ければそれは秘めたるものとして終わり、あるいはいずれ当主たる父によって諭されていただろう。そして、やや血が濃くなってしまった一族に数十年ぶりに外の血を入れるため、「婚姻外交」に身を捧げる覚悟はできていたが――それもまた、愛する"家族"がいればこその覚悟であるはずだった。


その家族を突如奪われ、兄もまた自身のそばにいてくれるのではなく、決して最優先で望んでいるわけでもない「呪いを解く術を探す」行為なんぞにうつつを抜かして無茶をしている。


そのような不安に苛まれた結果、ミシェールの中で生まれた"答え"は「家族」を再建することだった。


だからこそ、ミシェールはオーマに「一族の再興」を願ったとも言える。

家族に狂った彼女だからこそ、鋭敏に察していたのだ。

オーマもまた何らかの近しい(・・・)気配を渇望を秘めていることを。

故にこそミシェールの渇望を否定できまいことを。


「ルク兄様。ミシェールを抱いて。ルク兄様の子供が欲しい。だって、ミシェールもルク兄様もあと1年ちょっとしか、生きられないんだよ? ――オーマ様の言うとおり、このままじゃ、リュグルソゥム家は再興できないんだよ!? お願いだから……逃げないでよ……ッ!」


ミシェールは2年近くはまだ生きられる。

ギリギリ男と女を一人ずつ産めば、あるいは――妹の昂ぶった思考がダダ漏れになって伝わってくる。


「馬鹿言うな……! 【呪い】がそうして産まれた子供達に受け継がれたらどうするんだ!! そうなったら俺は、俺達は、死んでいった父さん達と、どんな顔をして隔世(リンボ)で会えるっていうんだ!!」


感情を暴走させるミシェールに、強い言葉で拒絶の意思を伝える。

だが、ミシェールの反応は曖昧で、薄い微笑みで返してくるのみ。

もはや言葉では埒があかないことは明白であったため、ルクは勝負に出た。


竜巻とそれに破壊される家屋という"虚像"を生み出し、その中に飛び込む。

暴風に渦巻く瓦礫や木材にもみくちゃにされながらも、大蛇を始めとした数々の拘束物を自分自身が傷つくのも承知で振り払わんとする。

だが、それを見たミシェールがルクの「虚像」に干渉し、優しく息を吹きかけるようにして、竜巻を慰撫し昇華させてしまった。

狙いは外れたどころか、ルクの側が不利であることをミシェールにも知らせることとなる。「虚像」に干渉されることそれ自体が、ルクの精神が消耗しミシェールに敗れかけていることの証左だったから。


(こんなこと、あって良いはずがない)


精神世界にありながら、さらに心の中で嘆息するルク。

ミシェールの望む行為は忌避されるべきものであり、狂った願望以外の何物でもなかった。

だが、一族の開祖たる兄妹リュグルとソゥムの運命を引き合いに出して、千歩譲って近親の交わりに目をつぶるとしても――【呪い】を引き継いだ赤子が、父も母も無しに何年生きられる? 家族がほしいという妹の情念のために、そのような、ただ寂しさを紛らわすためだけに不幸な命を生み出すなどという"罪"を犯すわけには、犯させるわけにはいかない。


「すまない……!」


心が張り裂けんばかりの苦悩を感じながらも、ルクは一際大きな魔力でミシェールの背後に「虚像」を生み出す。

飛来する大剣がミシェールの後方から胸を刺し貫いた。

一瞬目を見開いたが――やはり微笑みを浮かべ、ルクに笑いかけるミシェール。

その唇の動きが「あ、い、し、て、る」と告げている。

「止まり木」世界でミシェールがうつ伏せに倒れるのを見届けながら、ルクは意識を失った。

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