本編-0066 ダンジョン防衛戦~魔法vsエイリアン③
"魔法"という技術体系について、『長女国』では主に「得ようとする効果・目的」による分類法が主流となっている。
この『目的・効果』分類法において『探知魔法』に属する系統には【生命感知】や【魔力感知】といった魔法が属しているが――これらは総じて、効果範囲内の生命力や魔力の存在または残り香を、ぼやけた光のようにうっすらと表示させるという性質を持つ。
オーマが"サーモグラフィ"のようだと喩えて予想したように、この手の魔法は壁越しに隠れた侵入者などの姿を丸裸にするには有効である。
一方で生命力――つまり『内なる命素・魔素』などを持たない無生物には効果が薄く、俗に【罠の感知】というような魔法は体系化されていない。そうした「効果」を得たければ、地形や周囲の状況、風の流れ、死骸の位置、薬品の匂いその他を、魔法以外の手段も用いて総合的に判断するような、言わば経験に頼らなければならない。
モーズテスの部下で探知役であるケステアは、元は戦場の脱走兵であり、故郷へ戻れば死罪となるため行く宛を失っていたところを、【紋章】家の"懐刀"であるロンドール家に拾われた。
そして、つまらない小競り合いやどこかの村の領主を間接的に脅したり、他家の間者を監視したりという任務をこなすうちに、まぁまぁ探知魔法の扱いに熟達したに過ぎない。
――つまり、標的兄妹の逃げ込んだと思しき「広間」に探知魔法とその他いくつかの探知手段を実行したが、そこに既に生物の気配は無く、また魔力の気配も無し。
更に兄妹を追い詰めるべく、超党派部隊は広間へ足早に侵入した。
中級貴族家の舞踏会場ほどの広さはあろう、大きな空洞に入り、それぞれが油断なく歩みを進め、部屋の中頃まで進んだ時のこと。
天井から微かな振動が――何かが転がるような音が、無数に響くのにモーズテスは気づいて頭上を見上げる。パラパラと細かな砂礫が、雨漏りのようにところどころ降り注いできていた。
「いかん、崩落するか!?」
皆に警告するや、それぞれが即座に対応する。
元来た通路に近い位置にいた者らはそちらへ全力で走り、離れていた者は運動能力を強化する補助魔法を、部屋の中央まで入っていた者達はそれぞれの習得魔法に応じて、防御魔法であったり補助魔法であったりを唱える。
いち早くモーズテスが異変に気づいたために、詠唱の時間が足りなかったということがなかったが、【紋章】家の数名は呪文詠唱の代わりに「紋章石」を使用するなどしている。
だが、落石に対して魔法による対処を選んだ者達こそが、この"罠"の餌食になることとなった。
――落石に混じって大量の爆酸マイマイの「殻」が落下してきたからである。
ある"殻"は地面へ叩きつけられた衝撃で、またある"殻"は落下の途中で破裂し、ジュワァッと空気を鋭く焼くような音と一気に立ち込める水蒸気のような白煙を周囲に撒き散らしながら、濃緑色の強酸を凄まじい密度で周囲にばら撒いた。
「う……!?」
「ぐぎゃあああああ!!」
「目が! 目ぎゃああ!」
静かな追跡に徹していた超党派部隊の者達であったが、この途端、阿鼻叫喚が巻き起こった。
落とされた爆裂マイマイの殻だが、その数実に20。
一つだけでも肥えた牛ほどのサイズがあり、中に充満した「強酸」は噴酸ウジの酸爆弾数回分もの量である。これらは、オーマが迷宮の中型罠【溶焙烙】の材料として、せっせと蓄えていたものであった。
それを天井側のエイリアン用通路から大量に転がして移動させ、元々用意していた崩落の仕掛けに混ぜて落下させたのである。
言うまでもなく、オーマの眷属達が非魔法的な手段によって生成した「強酸」に、防御魔法が効力を発揮するはずがない。いや、正確に言えば【瘴気耐性】や【酸耐性】を上昇させるような補助魔法であれば、話はまた違っただろう。
だが、【人界】において確かに"酸"を攻撃手段として持つ魔物はいるものの、それが落石に混じって爆弾のように飛来するとは、迷宮慣れしていないこの場の誰が思おうか。まして爆酸マイマイの殻は不定形な球体であり、外気に触れるや即座に蒸発を始める「強酸」を完全に密閉していたため、臭いで察知することも不可能であった。
空中で破裂した殻が酸の豪雨となり、地面に落下し破裂した殻が酸の噴水と化す。
上下から酸に焼かれた結果、モーズテスの部下が一人即死した。運悪く頭上で殻が破裂し、衣服や軽鎧で守られていない顔面に、強酸爆弾の直撃を受けたのである。
それ以外の者達も直撃を免れはしたが、部隊の約半数が露出していた肌を激しく焼かれ、運の悪い者は落石に足を取られて酸溜まりに転がる。防具や衣服が焦げ焼け、激痛に耐えかねて絶叫を上げる仲間の声に、有効な対策を即座に打てず恐慌状態となるもの等々。
ほぼ無傷で対処できたのは、かざした手のひらの前方の空間をわずかに歪めることによって飛来物を逸らす【歪みの盾】を使用したツェリマ。
そしてモーズテスの警告を聞くや、一目散に駆け出すと共に【光】魔法の発動の速さで以って、適当な魔法を足の裏からブースター代わりに噴射加速して難を逃れたグストルフら、隊長格のみである。
モーズテス自身は、"毒"を警戒して【毒耐性】の防御魔法を併せて張っていたことで強酸の影響を軽減できたものの、重傷を軽傷に留めることができたに過ぎない。だが、彼は隊長という責務から、痛みを精神力で押さえ込んだ。
「静まれ! くそ……何が起こった!?」
声を張り上げつつ、それが"酸"の雨を浴びせられたことによるものであると認識したモーズテスが、素早く【風】魔法の込められた紋章石を取り出して、部下達の周囲の酸溜まりを強引に吹き飛ばし、なんとか酸を払いのけようとし始める。
と同時に、グストルフが真昼の太陽を生み出したかのような、強烈な閃光を部屋中に解き放った。数名がそれを直視してしまい目を潰されるが――これはグストルフによるショック療法である。
恐慌からなんとか精神を立ち直らせ、数名が治療魔法を唱え始めたことで、混乱は急速に収束に向かい始めた。目を一瞬潰された者達も、それが【光】魔法による一時的な盲目であることさえ分かっていれば、対抗魔法や治療魔法によって状態を快復する方法はいくらでもあることを見越した上での荒療治である。
「貴様……礼は言わぬぞ?」
「寝ぼけてんじぇねぇよ、次が来るぞ」
底冷えのする無感動な視線を部屋の奥、崩落した天井とは別の方向の壁に鋭く向けるグストルフ。
ハッとモーズテスが振り返った瞬間、先程の崩落の影響か、壁に斜めに大きく割れた亀裂から、空気が詰まったような重く鈍い音と共に、灰のような真っ黒の霧がぶわっと噴き出してきた。
あれを吸ったらまずい――という直感が働き、モーズテスは部下達に下がるよう怒声を放つと同時に、使い切らないでおいた風魔法の紋章石を使い、噴き付けられる「黒い灰」の霧を押し戻す。
だが、それは悪手であり、閉所でいたずらに空気をかき乱したことにより、黒い灰の霧が部屋中に充満するのを急速に早めただけに終わる。そしてそれが何に繋がりうるか、真っ先に気づいたのはグストルフであった。
「ッ! このクソ阿呆が!」
この後に何が起きるのか最悪のケースを予感し、水魔法を発動して黒灰の"粉塵"を洗い押し流そうと考えていたグストルフだったが、即座に詠唱を中断。
亀裂の向こう側に向け、かき回された「黒灰」が新たな詠唱によって喉に入るのも厭わず、【光】魔法のうち光刃系に属する攻撃魔法である【疾き閃刃】と【引き裂く光刃】を立て続けに三連射した。
***
「若いのと、女と、ついでで隊長ぽいのが上手く対処したか」
範囲外からのゼータと隠身蛇達、そして【観視花】からの情報が、ウーヌス達のエイリアンネットワークを通して、俺の頭の中に入ってくる。
誘い込んだ「罠部屋」では【酸爆弾】と【粉塵爆発】によって魔法使い達を壊滅させるつもりだったが――後者の方は失敗したようである。
『ぴかぁ! ってなってて、その後にすぱぁ! って切られたきゅぴ!』
『なんで興奮してんだ、お前ら……』
侵入者のうちの「若いの」はどうやら光魔法の使い手のようだが、かなり攻撃的な性格をしているようであり、塵喰いウジのイプシロンが「噴塵」を行った際に、亀裂めがけてレーザーじみた狙撃を敢行してきたのである。
その先には点火役にしていた【火属性砲撃花】がいたわけだが……正確無比な狙いによってか、砲撃花の魔法能力の核たる結晶体が撃ち抜かれ、火魔法の発動がキャンセルされたのであった。
んむ……。
バレていたのか、それとも光魔法を使った奴が恐ろしく勘が良いのか、これだけの情報では判断に苦しむところではある。
そうだな、例えば【人界】の現在の文明レベルはどれぐらいだろうか、と考えることも大切だ。蒸気機関みたいなものがもし浸透していれば、燃料としての石炭を掘り出すための「炭鉱」があり、そこで経験的に「粉塵爆発」という現象が理解されていることもあるかもしれない。
だが、何も火種無しに俺みたいな素人でさえぼわっと火を生み出すことができてしまったように、「魔法」なんて便利なパワーが存在している以上、そういった技術の進歩は遅れている、という可能性もあるわけで。
他にはそうだな……小麦粉を製粉する風車で爆発事故が起きる、とかいうのがしょっちゅうあるとか?
微妙だな。
あるいは単なる偶然で、俺の考えすぎだろうか?
「粉塵爆発」など知らずとも、反撃の意味を込めて狙撃をしてきただけだ、と見ることもできるだろう。
あの光魔法を使う若いのは要注意だな……つまり可能であれば捕らえたい。
まぁ、欲を出して取り逃がしてもまずいわけだが。
『……主殿、俺が行こうか?』
『御方様、ここは私が』
「そうだな」
おっと、直接の発声ではウーヌス達はともかくル・ベリ達には伝わらないか。ここは【人界】ではなく【魔界】なのだ、リソース消費はほとんど気にしなくていい。
『次善だ、こうなりゃ連中の「魔法」がどれほど物事に対応できるか測ってやる。ル・ベリ達は引き続き【人界】側の道を固めていろ』
ル・ベリとソルファイド、そして"名付き"のエイリアン達は侵入者達の退路を断たせて、必要があればいつでも即座に襲撃できるように動き回らせている。
壊滅はできなかったが、半壊はさせることができた、と言って良いだろう。仮に撤退を選ばれたとしても、妨害することは不可能ではない。
俺は控えさせていた走狗蟲の部隊に罠部屋への急行と襲撃指示を下した。
規模の大きな「罠」で弱らされ、回復や立て直しを測っているタイミングで、今度は正面から数で襲撃する。
「魔法」の力が全能に等しきものであるのか、それとも使う者と使われる者と周囲の状況に左右される単なる技術の一つに過ぎないものであるのか、それを測るのも【人界】で勢力を拡大していく上では必要な情報であった。まぁ、こんなに早くリスクを負ってまでの「テスト」をする気は無かったのだが、世界が俺を中心に回っているわけではない以上、不可抗力というものもある。
災い転じて奇貨とするしかあるまいよ。
***
「隊長! 正体不明の"魔物"が、つ、次々と集まって……畜生、なんだこいつら、早すぎる!」
ケステアのうめき声と共に、連合部隊の回復しかけた士気が、再び動揺し始めた。
装備はどうにもならないが……強酸による傷はある程度治癒が終わり、現在はほぼ全員が吸ってしまった"黒い灰"への対応最中であった。
「ハハ! ゲホッ……やっばいなぁ、すごいなぁ、今回は!」
酷く咳き込みながらも、嘲笑的な表情を浮かべながらも、【活性】属性の状態回復の治癒魔法である【浄化の光】を切り上げ、戦闘準備を始めるグストルフ。
彼の手の甲には何度も拭った吐血の跡があるはずだが、その瞳にはおよそ恐怖だとか混乱だとかいった負の感情がこもらない。表情と裏腹の、どこまでも冷徹な眼差しがあった。
無論、彼の独り言に答える者はなく、モーズテスとツェリマの短いやり取りの後に、超党派部隊は急場しのぎの迎撃態勢を整えてゆく。
このような状況下においても撤退を選択しなかった所以は、【人界】側への退路は断たれている可能性が高いことに関するモーズテスの説得が通ったからである。
今このタイミングで迷宮から脱する紋章石を使用したとしても生還できる可能性が低いならば、せめて任務の達成を行わなければならない、というのがモーズテスの信念である。それに……撤退する際には、人数が少ない方が、むしろ迷宮の魔物達の見張りを掻い潜れる可能性が高まるはずだから。
超党派部隊、それぞれの思惑が水面下で交錯する中、静寂が訪れる。
だが、それは嵐の前の静けさであり、幾人かはそれを冷や汗と共に察知することとなる。ケステアを含めた数名の探知魔法には――次々と壁の向こう、天井の向こう側から「生命体」を表す薄紫色の光の輪郭が、彼らの知るどんな魔物とも異なる"輪郭"が、まるで津波のように周囲上下左右を埋め尽くしていくのが見えたからだ。
これは、オーマが知ればデメリットと見なす特質であろうが、それはまた後の話である。
「――来るぞ!」
ツェリマの短い言葉と共に、モーズテスを含む半数以上が崩落した天井から丸見えになったいくつもの"獣道"の一角に向け、初撃を叩き込む攻撃魔法を詠唱完了済。
その絶妙の発動タイミングを耐えて待っているところである。
あらかじめ、どれだけの数の敵がどこから来るか分かっていれば、奇襲の不利を待ち伏せの有利に切り替えることができるという点では、オーマに欠点を見破られたとはいえ、やはり探知魔法は有用にして偉大な技術ではあった。
ただし、急場しのぎの割には万全と思われた初撃の備えは――飛来する轟音とともに粉砕された。
恐るべき速度と暴威で以って攻城弩の如く突っ込んできた剛槍により、モーズテスのすぐ隣にいたケステアの胸に大穴が空く。
血飛沫が飛び散り、ケステアはそのまま剛槍によって後方10メートル以上は吹き飛ばされ、まるで標本の昆虫のように岩壁に打ち付けられ縫い付けられた。
即死であろう、何が起きたのか分からない、そんな困惑の表情のままわずかに目と口を動かし、大量の血を吐いてケステアが動かなくなる。
だが、モーズテス達には動揺すら許されなかった。
次の瞬間、周囲のあらゆる"獣道"から。
「「「グギィイヤアアゥルルルルォオオオオロロロォオウルルグ!!!」」」
まるで鳩尾をぶん殴られたような生理的な嫌悪感と吐き気と共に、聞いた者に恐怖と恐慌をもたらす【おぞましき咆哮】が幾重にも反響し、モーズテス達の鼓膜を激しく貫いて脳みそを揺さぶった。




