狂樹-0002 種子実りて狂樹は枯る
リッケルの五指から伸びた蔓や蔦がリーデロットの髑髏を包み込み、ぐいと引き寄せて彼の胸元まで運ぶ。
荒い息と見開かれた両の眼(花)で単語にすらならないうめき声で呟き、ぐるぐる巻きにした髑髏をそのままゆっくりと粉砕し――胸元の肋骨を構成する枝葉がピキピキとしなりながら開く。そのまま、いくつかの破片に砕かれた髑髏が、喰われるように胸元の開いた箇所に飲み込まれた。
「あぁ……これデ、一つになれル……!」
苦悶気ながらも恍惚の吐息。
その様子をジッと眺めるル・ベリは、怪しい動きあらば直ちにリッケルの残った手足を引き千切れるよう、油断なく触手を振り上げている。
だが、彼にとって本番はここからだった。
「では、木偶人形。我が母の裁きを受けるのだな」
短く告げられるや、リッケルは愛し人の息子の右目が――鈍い赤錆色の輝きを放つのを見た。
「魔眼……!?」
次の瞬間、髑髏を取り込んだ胸腔を中心に凄まじい"痛み"が沸き起こり、同時に、手足が痙攣するような"痺れ"が維管束を通して全身に伝染した。
「……ぐぅ……! そんな、君はマダ……さっきハ……ッ?」
オーマとの迷宮抗争の最初期、入江にてル・ベリへ【情報閲覧】をかけた時に、彼のスキルもリッケルは垣間見ていた。【魔眼】を表す"波動"は緑色に輝き、年の割には随分早い「芽吹き」を予期させたものだ。
だが、それが今では黄色に輝いており、この戦いの中で芽吹いたことが伺える。あるいは――。
「御方様より下賜された力だ。貴様には、我が母の受けた苦しみを味わってもらうぞ? "試練"好きの貴様にはもってこいだろう、木偶人形」
魔人族の種族技能【魔眼の芽】によってル・ベリに芽生えたるは【弔いの魔眼】。
戦いの中でオーマとリッケルで双方3桁近い眷属が斃れた。その結果、得られた経験点も多かったわけだが、点振りをすることは後回しにしていた。
しかしル・ベリについては、一度撤退した折に位階上昇に気付いたオーマより、MAXまで1足りない状態であった【魔眼の芽】に点振りされたのである。
魔人の種族技能において【魔眼】や【異形】系統の技能は10点振ってランクMAXにまでせねば、目に見えた形で特性が獲得できないという特徴がある。
そして――迷宮領主にそのような、眷属や配下の力を"成長"させる方法があることをリッケルは知識では知っていたが、具体的な"手順"については『侯爵』以上の上級貴族達に秘匿された技術のはずだ。それをなんとしても知りたい、と研究者肌の元の主が常々言っていたことを思い出すリッケル。
「本当に……何者なンダ、君の主人は……ククッ」
ル・ベリに芽生えたのは【弔いの魔眼】。
分類上は【苦痛の魔眼】の派生系統に属し、屍を媒介にすることで、その死因となった「苦痛」を触れたものに与えるのが"芽吹き"時の能力である。ただし、媒介となる屍は使用者が自らの手で死に至らしめた感情点の最大値が一定以上の高次知的生命体に限られる。
――すなわち今のリッケルは、衰弱死へ向かう母リーデロットへル・ベリが与えた「慈悲の一撃」としての"猛毒の蝕み"を追体験しているのである。
あくまで追体験という精神的作用にもるものであることから、【偽人】の肉体は関係が無く、そこに宿ったリッケルの精神と魂それ自体が【弔いの魔眼】に侵されているのである。
従って、魂の一時抜けていたリッケルの「本体」においても、異変が起きていた。
***
【魔界】ハルラーシ地方の港湾都市を崖より見下ろす迷宮【枝垂れる傷の巣】。
リッケル子爵の本拠地にて、肉体の守護と留守居を任された魔人の配下達は、絶望的な防衛戦を強いられていた。
和解の条件の一つである「最果て島への出兵」が成されることを確実に確認すべき、テルミト伯の督戦隊が、そのまま迷宮の攻略部隊と化したのである。
10年にも及ぶ両者の抗争において、守勢と撹乱、そしてグエスベェレ大公を後ろ盾とした外交戦に重きを置いたリッケルは、テルミト伯に本領を発揮させずに消耗させることに成功していた。だが、それもまたテルミト伯のやり口をよく学んでいたリッケル自身の采配によるところが大きく、籠城と【領域戦】によって攻囲軍を撃退する手腕あってのもの。
ろくな戦力の残らない【枝垂れる傷の巣】は、それまでの抗戦が嘘のように呆気なく陥落し、テルミト伯の差し向けた配下エネムとゼイレ率いる眷属軍によって蹂躙された。
リッケルの「配下」は流刑となった犯罪者等が目こぼしを受けて取り立てられた、数合わせのような連中であり――皮肉ながら、リッケルの巧みな防衛戦のお陰で、自らが矢面に立つような本格的な迷宮抗争への経験が圧倒的に不足していた。
ある者は【踊り狂う五指】に握り潰され、またある者は【舌切道化】の魔法で屠られ、【骨食む肉人】に襲われた者はおぞましい最期を遂げる。だが、最も悲惨なのは【魔女髪の化物】に宿とされ、生ける人形と化して緩慢なる苦痛とともに絶叫死させられた者だろう。
斯くしてリッケルの配下はあっさりと壊滅した。
エネムとゼイレが【傷の巣】の深部へ踏み込み、リッケルの本体を覆う根や枝葉を引き剥がし――発見したのは、彼らが手を下すまでもなく事切れたリッケル子爵その人だった。
「死んでるね、エネム」
「死んでるね、ゼイレ」
性別が異なることが信じられないほど、二人は瓜二つの美少年と美少女だった。
軽く目配せをし合い、近くに【這い寄る片耳】がまだやってきていないことを確認してから、小声で会話を続ける。
「彼は、リッケル子爵は"完全な存在"になれたと思う?」
「わからない。でも、伯爵様や、僕達と違って"植物"を取り入れたんだ。"何か違う存在"にはなっていてもおかしくないね」
「おかしくない……けど、でもおかしいよ。肉と脂じゃなくて、枝と葉でできた"人間"なんて、拡大解釈もいいところだ。前から思っていたけれど、彼は異端だ」
顎に手を当て眉間にしわを寄せる少女ゼイレに、肩をすくめる少年エネム。
「リッケル子爵の"満足"は、僕らにはわかりっこない。でも、それは幸せなことかもしれない、彼にとっては……じゃあ、僕らは? 伯爵様は僕らを創って"満足"されているけれど、じゃあ、僕らの"満足"ってなんだと思う?」
「また始まった。ねぇ、そんなこと伯爵様に聞かれたら、私達もリッケル子爵みたいな目に遭うよ?」
たしなめる少女ゼイレに対し、興奮してきたのか声を徐々に荒げる少年エネム。
「だって、そうじゃないか。伯爵様は僕らを"最高傑作"だと言ってくださる。何が、どう"最高"なのさ? どこが、どうして"傑作"なのさ? ……何が言いたいかというと、ゼイレ、正直に言うと僕はリッケル子爵が――」
しゅッと空を切る音。
ゼイレが腕を軽く振るように動かして、自らの口に人差し指を当てたところ――エネムの同じ腕が全く同じように動き、しかし勢い余って自分で自分の口の中に拳を突っ込んでいた。それによって口が塞がれ、続けようとした言葉が途切れる。
つまり、二人の動作は完全にシンクロしていた。
いきなり何をする、と抗議するように目を怒らせるエネムに対し、目だけで通路の端の方を示すゼイレ。
かさかさと、まるでどこにでも現れる地虫のような【這いよる片耳】が部屋へ入り込もうとしているところだった。片割れとも比翼の頼む相方の意を理解し、エネムはそのまま黙りこんで、一切の動きを止めた。
そして慎重に、音を立てないように口の中から手を離し、【片耳】の後からついてくるであろう【飛来する目玉】がやってくる前に、居住まいを取り繕う。
(この話の続きは、また今後だね)
(そうだね。気をつけないとダメだよ?)
美少年と美少女は悪巧みを心に秘め、満開の笑顔を浮かべながらテルミト伯の偵察用眷属へ近づいていった。
***
「息子くん、君に託スのも……一興だねェ」
仮初ではなくなった【偽人】の肉体にリッケルの意識と霊は真の意味で根付いた。
だが皮肉なことに、それは"一つ"となるための崇高な行為を、本体がテルミト伯に害されて中断されないために決断したことの結果である。
そして、植物と樹木のパーツから「人体」を模した【偽人】の肉体もまた、オーマとの戦いでボロボロになっている。
テルミト伯に本拠を奪われ、迷宮核との繋がりが断たれたことを感じ、リッケルは己の最期がすぐ目の前にあることを悟っていた。
「……母よ」
珍しい【魔眼】の力を使って拷問をかけているのは自分のくせに――まるで拷問でも受けているかのような、苦渋の表情で歯噛みしているル・ベリをリッケルは愉しそうに、されど力無く嘲笑う。
反応から、なんとなくの予想はできた。
リーデロットの髑髏に何らかを仕込んだのだろう。それで以って彼女に自分を「裁かせる」と。
だが、リッケルはそれに耐え切ってしまっていた。
それが愛だと疑わなかったのもあるが、彼女の味わったかもしれない苦痛を自らもまた追体験することで、初めて対等の立場に立てたような気がしたからだ。あぁ、自分は独り善がりだったのだと、反省することさえできた。
"苦痛"は、リッケルの体内でリーデロットの髑髏が消化されると共に、媒介を失ったのか、消え失せてしまっていた。
苦しむ様子が無くなったからこそ、彼女の息子は斯くも憮然としているのだろう。
当てが外れたということか? だが――。
「安心してヨイよ、僕は、モウ死ぬ。"迷宮核"を奪わレたんだから」
告げるや、リッケルは迷宮領主だった己に残された、最期の魔素と命素を操作して、【種子の創成】の技能を発動した。
植物使いとしては、その"種"に何らかの眷属か、施設か、はたまた天然の植物を「装填」しなければならないわけだが――何が装填されるかは、最初から決まっていたと言える。
手のひらから伸びた枝から小さな黄色い花が咲く。
花は数秒もしないうちに花弁を散らせ、実が膨れ上がり、その実もまた数秒もせずに熟して腐り落ちる。
そしてル・ベリに差し出すかのように、豆のような小さな"種子"が転がされたのであった。
「……どういうつもりだ? 何だこれは」
「さぁ。君ノ『弟』か『妹』ジャないかな?」
「はぁッ!?」
素っ頓狂な声を上げ、今度こそ、ル・ベリは驚愕にその目を見開いた。
黒い樹皮に覆われた、小指ほどのサイズの小さな小さな"種子"を恐る恐る手に取ったままの姿勢で、表情まで硬直してしまったようだ。
「く……くっくっク……ははハハ、あっはハハハハ、はは、はははハ……ッ」
疲れたような笑い声だが、リッケルは止まらなかった。
まるで消えゆく炎が最後に輝くと言わんばかりに、妙な活力がそこにはあった。
「ついニ……つイニ……僕は、成し遂げタ……! 見たカ、若様、いや、テルミト伯よ! そしテ、先代様よ! 【人体使い】の楔ヲ越えて、僕ハ、僕らハ"子"を成しタんだ!」
父親役と母親役が逆だけどね、と内心で冷静に呟くリッケル。
初めはリーデロットの遺骸を吸収して自らの血肉(枝葉)とすることしか考えていなかった。
だが、【偽人】は仮初の肉体とはいえ、元は一個の生命ある「眷属」であり、【偽獣】系統に属する魔物である。
そして、テルミト伯と彼の先代と、二代続いた【人体使い】による「試作品」達の運命として、生殖機能を奪われるというものがあったが――なんのことはない、【人体】として"魔人"しか見えていなかった【人体使い】達は、異系統との交わりによって、そうした制約が乗り越えられることなど想像すらしていなかったのだ。
愛し人の息子ル・ベリを観察する中で、その事実にリッケルは至っていた。
ならば、自分にだって同じことができるはず。
(リーデロットも、同じことに"気付いた"んだろうね……だから、息子クンが生まれた。あぁ、なんだ、リーデロット……僕なんていなくても、君は「子」を持つという報酬を、自分で掴み取っていたんだね……)
この時、彼の中でリーデロットと"一つ"になることの意味が、大きく、根底から変容した。
どうせ助からない己の命ならば、一つ実験してみてやろうと考えたのである。
精を与える父と卵を与える母が逆であるが、自らの"種子"にリーデロットの骨灰を注ぎ、新たな独立した意思を持って生まれるであろう、仮初の肉体とは別個の個体としての【偽人】を仕込んだのである。
……本来であれば、リッケル自身が「それ」を己の新たな肉体(植物)とするはずだったのであるが――。
何が生まれてくるのか。
それを見れないことだけが残念だし――男女の営みという観点からは、大した拡大解釈だと自嘲したが、リッケルは奇妙な満足感に満たされていた。
ひとしきり笑い、自らの呵々大笑する振動によって枯死した胴がヒビ割れ、盛大な咳をしてから、ル・ベリをニヤリと一瞥。
その表情のまま、リッケルは死んだ。
様々な樹木を束ねて人型に保つ圧力が解け、枯れて茶色になった枝や、葉や、蔦や蔓、根などがボロボロ崩れ粉となった塵の山だけがそこに残された。




