本編-0048 対リッケル子爵戦~坑道の戦い④
こいつ、模倣の精度が上がってやがるのか!
入江の襲撃後のヒュドラと偽ヒュドラの戦いで受けた報告では、偽ヒュドラはまだ――林がそのままヒュドラの首に変化したような感じだったはずだ。
それがどうだ、今目の前でヒュドラの頭と首を模した【樹塊】としか表現できない存在は、動く度にめきめきばきばきばっさばっさと雑多な「森の雑音」を不協に奏で、少なくない量の小枝やら葉の欠片をばら撒いている……運動時の植物っぽさが大分薄れ、竜つまりデカい蛇のような「とぐろ」が加わっている。
舌打ちをしたい気持ちを押さえつけ、俺は槍を構えつつ周囲の眷属達に連携の指示を飛ばす。ちなみにル・ベリはとっくに仕掛けている。
戦線獣が3体がかりで腕を交差させ、横振りの一撃を受け止めようとするが、支えきれずに吹き飛ばされる。その衝撃たるや余波が酷く、アルファがとっさに俺を抱えて飛び退かなければ、巻き込まれていただろう。
だが、一撃の重さと大ぶりの隙はトレードオフの関係にあるようだ。
戦線獣3体が生み出した隙を最大限生かしてル・ベリが8本触手で飛び込み、首の央の辺りに取り付く。
そのまま表面の枝だとか根だとか、比較的剥がしやすい部分を掴み、別の触手は幹のような支点となりうる部分を掴み、虚獣と同じ要領で引きちぎろうとする。
――いや、ヒュドラの特性を模倣したとすれば、それは逆効果なんじゃないのか?
気づいて警告しようとした時には、ル・ベリがこじ開けたヒュドラの首筋から、三回りほど小さな「ヒュドラの首」が一本追加されていた。
やっぱりな。畜生、誰だ偽ヒュドラはデカいから洞窟には入ってこれないとか言っていた能天気は。俺だよ。
ワンテンポ遅れて走狗蟲達が群がるようにヒュドラに跳びかかり、あるいはよじ登り始めるが、薔薇のような棘が至る所から突き出し、あるいは蔦がむっくりと起き上がってランナー達の行動を阻害する。
そして、自らの激しい運動によって自らを構成する「木の身体」が崩壊することを一切厭わない、リミッター最初から解除みたいな大暴れによって、取り付いたランナー達をそれこそ木っ端のように吹き飛ばす。
ばらばら、ばさばさとばら撒かれた大量の木材は――リッケル子爵が何事かを呟くと、ヒュドラの身体の構成物として再回収されてしまう。
「環境に優しい環境破壊兵器だな」
「面白イことを言うネ」
戯れ言を吐いたのはリッケル子爵の意識を少しでも逸らすため。
奴隷蟲の【凝固液】と噴酸ウジの【強酸】を組み合わせることで、迷路内のルート構造を定期的に変化させてしまうことこそが、俺の迷宮を不思議のダンジョン的にさせている大規模罠【石兵八陣】の本質であるが――そのための「掘削班」は、レベリングをして技能【凝固液】に点振りをした特化型スレイブ数体が核となる。
偽ヒュドラが現れる前のゼータ隊の側面攻撃は、これによって「根」で覆われたとリッケル子爵が思い込んでいたであろう箇所に横穴ぶち開けて雪崩込ませたものである。
そして今また、小部屋の天井リッケル子爵側の入口の岩がドロリと溶け――螺旋獣のデルタと切裂き蛇のゼータを先頭に、先ほど退却させた挟撃部隊が再登場する。果たして間抜けに突っ立っていたリッケル自身を直接頭上から屠らんとしたわけだが。
くるりと偽ヒュドラが首を振り向けるのが速い。
そして次の瞬間、俺は驚愕した。
ほんの刹那の「溜め」の後、偽ヒュドラが大口を顎が外れんばかりに開くや、凄まじい衝撃波と共に大量の木材を吐き出したのである。
それは動く度に奴の全身からバラバラと落ちる小枝なんかとは異なる。
投げて動物に直撃させれば普通に怪我させられそうな「流木」や「折れた枝」やらで構成された嵐であり、挟撃部隊を直撃したのであった。
――台風や、津波に巻き込まれた人間の死亡率を高める要素って知ってるか?
一緒に巻きこまれた、瓦礫だとか、看板だとか、それこそ木の枝のような質量物ともみくちゃにされるんだ、考えても見ろ。
重さがあるということはそれだけで脅威であり、偽ヒュドラは……体内で生成したのか元からの身体の一部をそうしているのかは知らんが、まるで【竜の息吹】をも模倣したようだ。
空中で発生した土石流とでも言うべき衝撃に吹き飛ばされ、一手で挟撃部隊を無力化させられる。
……いや、デルタとゼータは無事か。
だが、吐き出された木材に向けてまたリッケルが妙な魔素操作を行うと、それらが偽獣よりも少し小さな眷属――【絡めとる偽蜘蛛】へと変貌していき、樹の蔦をまるで投網のように編みながら動きを封じようとしてくる。
「それガここのカラクリの正体だったカ!」
呟くやリッケルが偽ヒュドラへ何か指令を下すが、阻止するには間に合わない。
デルタ達が突入した「道」に、先ほど生えた小柄な首が殺到するように到達し、本体から自身を分離させつつ、周囲の岩壁ごと覆うように取り付く。
次の瞬間にはそいつは「根」の塊と化した。
まずいな、「掘削班」用の隠し通路に侵入された。
急いで奴隷蟲と噴酸ウジ達を逃がそうとも考えたが――開通完了の連絡と共に、奴隷蟲十数体の命がまとめて散った連絡が入った。
ならば、お前らも隠し通路を死守しろ。
だが、ようやくか。
『ソルファイド、準備は済んでいるか? そんなら次の作戦位置へ向かえ!』
『――承知』
『ベータ、ガンマ、所定の位置へは着いたな?』
ウーヌスを通して間接的に連絡を取る手間すら惜しいので、【眷属心話】で直接伝える。1秒にも満たない間に"名付き"の2体から肯定の意味を表す「エイリアン語」の波長が帰ってくる。
準備の完了を確信し、俺はMP消費も気にしないで、生き残った全エイリアン向けに一斉に指示を出す。
『夜逃げの始まりだ、全員避難しろ!』
***
戦いの最中ではあるが、リッケルには、花で構成された"眼"を通して、対手である新人迷宮領主へ【情報閲覧】をかける余裕すらあった。
幾つか驚いたことがあるが、中でも【■■■使い】などという、リッケル自身には理解できない"概念"が垣間見えたことは彼の疑念を大いに深めている。
数多の魔人のパーツを元に後天的に改造され生み出されたリッケルであったが、テルミト伯の助手として仕えている間は、魔人貴族としての常識や帝王学を、元主人を補佐するのに必要な範囲で叩きこまれた。
そこには当然、他の迷宮領主達が一般的にどのようなタイプに分かれているのか、という知識もあったわけだが――まさか「リッケル自身の知る言葉」としてすら表現されなかったとは。
「オーマ」という名の新人の眷属は、見た目それ自体が異様でリッケルの知るどんな【魔獣】とも合致しないため、"魔獣"使い系の【稀種】型と当たりをつけていたわけだが、それですらない。
研究者肌であった元主人の影響を受けているリッケルにとって、それは興味を引くに十分過ぎる情報である――さもなくば忌避感を覚えるような衝撃であったろう。
抵抗こそ強かであるが、やはりテルミト伯と10年にも及ぶ迷宮抗争を繰り広げ、位階においても蓄えられた魔素・命素においても格上である自分に叶うわけは無かったのだ、と内心愉悦すらし始めていた。
確かに多少の小細工は弄されて、想像以上の被害を蒙りはしたが、それだけのことである。
見たことも聞いたこともない系統の眷属を使役していたとしても、【眷属戦】で決定的に相性勝ちされているわけではない。これが例えば【焔使い】や【疫病使い】のような迷宮領主が相手であれば、リッケルの【樹木使い】では歯が立たない可能性が高い――まぁ、自分がよほど格上で損耗度外視であれば押しきれる場合もあるのだが、そういう事情から、上級の爵位を得て「敵」が増えるにつれて、【魔界】の迷宮領主達はそういった部分を補う『従属爵』を求めるようになる。
無論、下手に知識と力を与えすぎた結果、手を噛まれる危険性と秤にかけた上での、難しい政治的判断を伴う場合も多いのだが。
ともかく、相性勝ちされていないならば、格上の自分が力押しで押し潰してしまうだけのこと。
消耗戦ならば、大公の支援有りとはいえ少なくともテルミト伯にすら競り勝ちつつあったのがリッケル子爵である。
そしてその結果が、目の前の光景だ。
【欺竜】へ抗しきれず一部の眷属を生け贄に、"新人"は撤退しているではないか。
同時に迷路内の各所で膠着していた戦線が動き出したことを【木の葉のざわめき】を通して確認し、後は詰みの一手だとリッケルは判断し――自らの足から「根」を伸ばして、【欺竜】一部から【根枝一体】によって【根ノ城】へ戻した箇所と接続させる。
【根ノ森】には到底足りないが、少なくとも【根ノ網】を構成するには十分な面積を確保できた。
【木の葉のざわめき】という間接的な手段によってではなく、接続した『根』を通して、各所を進む部隊へリッケル自身の意思を直接送り込むのである。
接続中は立ち木のように自分自身が動けなくなることや、【根ノ城】が受けた傷が痛みとしてリッケル自身にフィードバックされてしまうなど、いくつか無視できない制約はあるため、ここぞという使い所を見極めていた。
そしてそれは、敵の戦線が崩壊した今この瞬間に他ならない。
この"迷路"を逆に【偽獣】を揺藍する巣に作り変えるべく、地下坑道全域を這い侵す【根ノ城】達に対して、再度の一斉侵食を命じたのである。
が。
次の瞬間、リッケル子爵を凄絶なる激痛が襲った。
いや、それは「激痛」にも等しい「熱さ」であり、まるで全身にマグマの如き煮立つ熱湯を浴びせられたような衝撃であった。
「ギ、がはぁぁあああああああッッ!!??」
反射で身体をくの字型に折り曲げながらもんどり打つ。
身体を内側と外側から灼熱で炙られ焼き焦がされるような、経験もしたことのない"痛み"。
この戦いが終わるまでは――と完全に「感覚」を【偽人】の身体へ移しきっていなかったリッケルにとっては、それは本来感じ得ない"痛み"であった。
咄嗟に「木の刃」で両足から伸ばした根を滅多切りにして、リッケルは荒い息を吐きながら両肘両膝をつく。
この【偽人】の肉体は、まだ、先述したように、接続した『根』に対する攻撃があった場合ぐらいにしか"痛み"を感じないはずである。それだって、例えば今オーマを追い払ったこの部屋程度の面積が焼き討ちされたぐらいは、全身が衝撃で動けなくなるほどの痛みには至らないはずだ。
――とすれば、リッケルをして全身の激痛で昏倒するほどの「大規模」な攻撃があったということになる。
その時、【木の葉のざわめき】を通して、不気味な音が地鳴りのように響いていることにリッケルは気づいた。
「何が……起こっテ……?」
天井が砂礫のようにひび割れて崩落、爆発的な勢いで広がる熱した大量の白煙が、
また、オーマが去った側の通路から、怒涛のように蒸気と飛沫を巻き上げる熱湯が津波となって迫ってきたのは、その次の瞬間だった。
***
植物を焼き殺すのに、別に「火」に拘る必要なんて無い。
植物は「水」でも焼き殺せるのである。
まぁ、他には氷属性の魔法でも使えれば良かったのだが、それは今後の探索や情報収集にかかっているから、少なくとも今即効性のあるものじゃない。
散々意識を警戒していた「火」に引きつけられておいて、いきなり「水」で処理されるなんて思わなかったんじゃないだろうか。
奴隷蟲達の特別部隊に命じた新坑道は、海中へ通じる坑道の掘削である。
開通までの時間を稼いだのは、このためだった。
水圧を考えてそこそこ深い箇所で「海中」と開通作業をさせたわけだが、一気に侵入してくる海水に溺れて奴隷蟲達はほぼ助からないだろうが、決死隊なのだから仕方ない。
――無論、海水の塩気で根を枯れさせる、とかそんなショボい策じゃあない。
水圧で吹き飛ばすとかいうものでもない。
確かに『環状迷路』の海抜が低いため水没させるということは既定路線だったが、動物と異なり肺呼吸しているか疑わしい【偽獣】達が相手では、大した移動阻害にはならない。
だが……そこに大量の「水」があり、その上から赤熱のあまり溶融された、もはやマグマ一歩手前のどろりとした「火」と化した岩の塊が落ちて混ざったら、どうなるかな?
上は洪水、下は大火事、これなんだ? の答えは「風呂」だが、上下が逆の場合は「水蒸気爆発」である。
無論、生半可な温度では単に熱湯を生み出すだけに終わるので、厳密には「火」ではないかもしれないが――偽ヒュドラ戦でソルファイドを合流させなかったのは、『火竜骨の剣』を通した【火竜の息吹:微】による、マグマ生成作業に従事させていたためだった。
無論、ソルファイドだけじゃない。移動が遅いからほぼ使い捨てになってしまうが、【火属性砲撃花】達にも"熱した岩"の作成は各所でやらせ、噴酸ウジ達の酸によって周囲の岩盤を溶かして下の海水部屋へ落とす。
まぁ、タイミングを合わせるのといい、ウーヌスらと共同した俺でないとできない作業ではあるだろうが。
海底火山が噴火して新しい島ができるとかする時に、ものすごい蒸気が吹き上がる映像を見たことがあるだろうか。数百度の火ですら水を弾けさせる可能性があるのに、1000度を越えた"融けた岩"を直接水中にぶち込んだら、どうなる?
結果は、ご覧のとおりの阿鼻叫喚の地獄絵図というわけだ。
ウーヌス達からいやに臨場感たっぷりに知らされてくる状況からの推測もそうだが、今俺がいる岩丘――最初にアルファとベータを連れて出て最果て島を一望した箇所――からの眺めからも、いくらか傍証が見える。
『環状迷路』への各入り口を塞いでた「根」が焼き枯れ死に、水蒸気がモクモクと数カ所から吹き上がっているのだ。
俺自身の化学の知識なんてうろ覚えだから、まぁ、本当は「水蒸気爆発」まで行かなくても良かったんだがな。大量の熱湯を生み出して、それによってリッケルの野郎の「根」どもをまとめて枯れ死にさせる。
その過程で熱された水蒸気が爆発的に膨張して"焼けつく風"となって熱湯の津波よりも速く『環状迷路』内に充満したのは、オマケでしかなかったが、まぁ物事は良し悪しだ。
だが、被害も大きい。
いくらでも補充できるランナーやスレイブはともかく、移動能力が貧弱だが進化まで時間がかかる【噴酸ウジ】や【火属性砲撃花】などは、ほぼ巻き添えだ。
可能な限り「夜逃げ」させる努力は行ったがな。
――それでも、どうせ「火」によって焼き払う手だって、諸刃の刃として犠牲を伴うのだ。犠牲が前提という点で同じ条件ならば、よりリッケルに致命打を与える策の方が良いに決まってる。
「……さすがに、これはテルミト伯にも見られちまってるだろうな」
表面的にはテルミト伯がリッケル子爵を支援しているというならば、木材に混じって小さな「目玉」も一緒に入り込んできている可能性は否めない。
地下坑道へ入り込んだ軍勢にくっついていたであろう目玉達は、急激に熱された熱湯海水によって即死したと考えて良いだろうが、さすがに島の周囲で離れたところから「視」ている目玉だっているだろう。俺ならそうするし。
「まぁ、先のことより目の前の問題を片付けないとな」
俺の呟きに、両脇に控えた螺旋獣のアルファと炎舞ホタルのベータが【おぞましき咆哮】で応える。
そしてそれは、合図でもあった。
「これで死んでるってのは虫が良すぎだ。徹底的に潰せ、ベータ、ガンマ」
ガンマ、ソルファイド、ル・ベリは既に次の作戦地点へ先行済み。
俺の指示と共に、普段可燃性の酸と小火魔法をばら撒く翼を伸ばしたベータが、大きく一羽ばたき。
「酸」と「火」が反応した小爆発の衝撃が幾重にも重なり、半ば無理矢理な上昇気流もどきを生み出して宙に浮き、不格好に身体を揺らしながら上手く風に乗り、岩丘からフワっと飛び立った。




