本編-0041 対リッケル子爵戦~入江の戦い①
【62日目】
「おー、今日は良いタイミングで来れた。派手にやってんな」
"入江"はヒュドラのお気に入りポイントの一つであり、日に数度は巡遊してくる。
そして、ちょうど入江は大陸のある方角を向いているため――流刑船が真っ直ぐ進んでくる場合、ちょうど沖の方でヒュドラに襲われる結果となるわけである。
このところは連日で、日に2度3度とリッケル子爵の眷属達が"合体"したと思われる「流刑船」が現れ、ヒュドラにちょっかいをかけていた。
人間の形に見えなくもない大小の"植物"達が、最初のうちは互いに枝や根を絡み合わせて、まるで一隻の大きな「船」を象り、航海に出る。
そして最果ての島の近海まで辿り着くとヒュドラが現れ、9つの首を振りかざして船を破壊し――ばらばらと数十~百体近い「植物人間」へと分かれ、即死しなかった植物達が、ヒュドラへ襲いかかるのである。
……植物だけに痛覚を持たないことと、動物のような感情つまり恐怖心を抱かないことが強みなのか、仲間の死骸や欠片を足場にしながら、枝や根で絡みつき、あるいは叩きつけるように、果敢にヒュドラへ攻めかかっている。
しかし、海上から海中にかけて地の利はヒュドラのものであり――時に海中に引きずり込まれて深海で放り出されたり、時に竜の【息吹】によって文字通り木っ端微塵にさせられたりと、全くと言って良いほど相手にはなっていない。
そもそも、ヒュドラの鱗に傷一つつけることができていないのである。
斯様な"闘争"の結果として様々な漂着物がそのままになっているのは前にも述べた通りだが――流刑船に化けた植物魔獣共の残骸たる"木片"が、一番多い。
ま、俺としては毎度同じ時間帯に例の「船」が現れてヒュドラに無謀な戦いを挑んでいることは、既に【精密計測】を通して確認済み――いつもの時間に合わせたところ、うまく巡りあわせたというわけだ。
入江を臨む森の入り口に潜み、俺は沖で暴れるヒュドラの様子を注視していた。
ル・ベリとソルファイドを左右に控えさせ、護衛役の螺旋獣アルファとデルタ、それに走狗蟲の一個中隊20体を散開させ小隊ごとに四方を警戒させ、オマケで切り裂き蛇ゼータと隠身蛇の一個小隊5体を後方の樹上に配置している。
ただの偵察に、過剰な戦力だと思うか?
今は実質的な「戦時下」だ。
それに、俺はリッケル子爵の狙いを――ヒュドラをスルーして主力を強襲揚陸させてくることである、と踏んでいた。
ざっと見たところ流刑船を構成する「木」の魔物は、1隻あたり数十体ほど。
仮にリッケル子爵がテルミト伯への防衛戦力を残しつつ、最果て島に力を注いでくるとして……それでも俺と同じ程度の戦力は突っ込んでくる想定はした方が良い。
ちなみに今の俺の迷宮戦力は、下記のとおりだ。先日割り出した「目標数」に向けて、漸増している。
<エイリアン種>
・走狗蟲 …… 378体
・戦線獣 …… 27体
・螺旋獣 …… 2体
・城壁獣 …… 1体
・噴酸ウジ …… 43体
・炎舞ホタル …… 1体
・爆裂マイマイ …… 6体
・隠身蛇 …… 16体
・切裂き蛇 …… 1体
・韋駄天鹿 …… 8体
<ファンガル種>
・触肢花 …… 12株
・火属性砲撃花 …… 15株
・風属性砲撃花 …… 5株
・肉塊花 …… 32株
本当はもう少し「兵力」の増加を押さえながら、魔石と命石の生産に余裕を持たせたいんだがな。しわ寄せとして、思うようなペースで奴隷蟲を増やせていない。
正直言って、運搬役一つとっても現在は過労状態――そのため、島内の各地にランナー達の維持用命石・魔石の小集積所を設置したり、ゴブリンを酷使したり、運搬作業の苦手なランナーをも一時的に働かせることで、なんとか現在の"戦力"として回している状況だ。
もはや完全な戦時体制なわけだが――そろそろ仕掛けてくる、そんな予感がしていた。毎日【精密計測】で「流刑船」1隻でヒュドラを何秒、何分食い止めていられるかを計測した。
十分に食い止めている時間が稼げるようになった時点で、「大船団」を組んで一気に抜き、最果て島へ強襲上陸を仕掛ける――俺ならばそうするだろう。
その時に的確に対応するべく、こうして護衛込みでの「偵察」を連日行っていた。
上手いこと「上陸」してきたリッケル子爵の眷属を【情報閲覧】できれば、それだけでも儲けものである。
それに敵はリッケル子爵だけではない。
万万が一にヒュドラが入江へ遊びに来た時のことも考えないといけない。
――殺しきろうと思うと、この戦力では足りないだろうからな。
仮に予想外にヒュドラが俺達に襲いかかる場合は、一当てし、敵わないようならランナー達を捨て駒にして撤退。いけそうなら隠身蛇達も投入して時間を稼ぎつつ、後詰を待ってさらにたたみかける。
その意味では、適度に弱ってくれていると助かるのだが――。
この時、俺はふと違和感に気づいた。
船が現れ、"群れ"にばらけながらヒュドラへ襲いかかり、ろくな傷をつけることもできずに振り払われ、粉々に砕かれ――木片となり流木となって、入江の砂浜に流れ着いてきている……。
そう、ただの木片。
ここしばらく、ずっとそれを単なる「ゴミ」としてしか認識していなかった。
……いや、怪しいと思って【情報閲覧】をかけたことも何度かはあったのだが――おそらく無意識に、迷宮領主の【情報閲覧】能力を信じきっていたのだろう。
それが俺だけの特別な能力で――リッケル子爵みたいな、他の迷宮領主達にとって、お互いがそういう能力を持っていることなど当然の前提として、その上でどう裏をかくのか、そういったことを十分に考えていなかった。
リッケル子爵が行っている「実験」が、ヒュドラを食い止めるのにどれぐらいの戦力を当てれば効率的か、という完全に俺だったらどうするかという発想でしかものを考えていなかったのである。
兵は詭道。
たとえば【情報閲覧】能力を持った相手に対して、奇襲を仕掛けるとしたら、どうするのが効率良いと思う?
コンピューターウイルスは"隠されて"いるものである。
最初からそれがウイルスであると分かるような形で送られてくるわけがない。
それがウイルスであると気づかず、いつの間にか招き入れ、軽く表面をチェックして満足している――そんないい加減なセキュリティ意識では、侵入のされ放題。
では、俺が「死んだ魔物」と捨て置いていた、この、今や砂浜を埋め尽くす勢いで不法投棄されたかの如き"木片"どもは?
――妙な魔素の流れを感じて、やっと自分の勘違いに気づいた。
迷宮抗争における【情報戦】の本質を、俺は全く理解していなかったのだ。
確か――【情報閲覧】は対象との間に遮蔽物がある場合、効力を発揮しなかった。
『ル・ベリ、ゴブリン奴隷達を入江に突撃。ゴミ拾いだ、木片全部焼かせろ!』
『ウーヌス、第一級の警戒警報を出せ! 既に上陸されている!』
【並列思考】をフル回転させながら、MP消費も厭わずに俺自ら【眷属心話】によって矢継ぎ早に指示を繰り出す。
『ソルファイド、アルファ、撤退するぞ。一度地下まで戻る、周囲を全力で警戒しろ!』
これは――まずい。
"木片"が流れ着いた時から、と考えるならば、リッケル子爵に時を与えすぎた可能性がある。
そしてそれが確信に変わったのは、次の瞬間だった。
『バレタミタイダネ』
ぞわりと魔界の薄紫の空から、大気中から、そして周囲の木々から――魔素・命素の流れが変わる気配がした。後知恵だが、この時「気づいた」素振りを見せずに、いつもの調子で元の道を戻っていれば逆襲ももう少し容易だったかもしれない。
敵は【樹木使い】だ。どうして、その可能性を十分に検討していなかったのか。
これもまた油断だ。
木の葉がこすり合う音が「声」となって周囲から響くのと、ソルファイドとデルタが飛び出し、アルファが俺を乱暴にかついで走り出すのは、ほぼ同時だった。
入江を望む「森」の入り口部分で、何本もの「木」がみしみしと軋みながら、樹人の魔物へ変貌していく。
ソルファイドとデルタがそれぞれ一体ずつ相手取り、先制の一撃を加えるが――ざっと見て周囲には後10体はトレントが出現し、俺達を包囲しようとしていた。
俺をかついだアルファが全身の螺旋筋肉をバネのように爆発させた突進により、進路を塞いだトレント一体をへし折り、踏みつけながら突破する。
俺は【高速思考】を発動してから――「エイリアンネットワーク」を通した戦況把握に頭を切り替えた。
『クソが! ウーヌス、島内各ポイントの状況を全速で取りまとめろ! どこまで入り込まれている!?』
『きゅぴぃぃいい!?』
撤退の間際、アルファの肩の上で強引に身体をひねって「入江」に目を凝らす。
散乱していた「木片」どもが砕け――表皮が剥がれ、中から「種子」が次々に這い出していた。
と同時に、島内各地の状況が"機動偵察分隊"からブレイン達を経由して送られてくる――不幸中の幸いなるかな、トレントへ変貌した「木」が確認されたのは、北西入江のみ。
だが、リッケル子爵にそういう力があるというならば、他所への「侵食」は時間の問題でしかない。
「畜生、やられた! 俺はなんて迂闊だったんだ!」
瞳に焼き付いた数秒の、悪夢じみた光景を反芻する。
「種子」達の成長速度が異常だったのである。
まるで何百倍もの早送りでビデオ再生しているかのように、俺がアルファに担がれて入江を離れる数秒の間に、砂浜に根を張る若木の林が形成されるに至っていた。
それは、エイリアン達の「遅い」進化速度に慣れた俺にとっては、悪夢のような速さだった。
それが何故なのか、俺が特別なのかリッケル子爵の能力が特別なのかを考える暇は、今は無い。
『ウーヌス、全眷属に伝達! 地上部は一旦放棄、偵察分隊以外は全員迷宮に撤退しろ!』
きゅぴぴ! とウーヌス達が敬礼の念を伝えてくる。
そこへ、追加の情報がソルファイドとル・ベリから【心話】で届いた。
なんと、種子から成長した数十本もの「若木」達が、膨張するような歪んだ急成長をしつつ、みしみしと軋みながら――まるで枝が生えるように、枝に果実が生るように、次々に魔物を生み出した、と。
そしてそれに加えて、俺が予想していた通りの「大船団」が到来し、数隻がヒュドラを足止めしつつ、残りが強襲揚陸をかけてくる構えを見せているとのこと。
その報告に俺は歯を噛みしめる。
これがリッケル子爵の「強襲」策であったわけだ。
単にヒュドラを抜いて強襲揚陸をかけてくるだけであったならば、いくらでも迎え撃ちようはあった。
しかし、こちら側に橋頭堡を作らせてしまっては、話は全く変わってくる。
本来なら入江に戦力を集中させるのも一つの手だったわけだが――例の"トレント"の出現だ。最悪最果て島の「森」そのものが敵に回った可能性を捨てられない。
地上部で主力を釘付けにされ、その間にトレントどもに「森」を内側から侵食されれば、下手をすれば内外から挟撃され「地下」への撤退すら封じられかねない。
考えろ、迷宮領主における闘争の本質は何だ?
それは相手の【迷宮核】を破壊するか、迷宮領主を殺して支配権を奪うことだ。
それに、こうなった時のために「地上部」の開発は最低限に留めていたのではなかったか?
むしろ「森」はリッケル子爵に取らせてやろうじゃないか。
――最悪、炎舞ホタルのベータを投入する。
『副脳蟲どもに伝達、迎撃パターンを洞窟内迎撃に切り替えろ! 次に今いるラルヴァの半分を走狗蟲に進化、急げ! 後は奴隷蟲20体を【火属性砲撃花】へ追加で胞化させろ! 「石兵八陣」の起動準備も忘れるんじゃないぞ』
『きゅ、きゅぴぃ~! 一度に言われてもぉ~』×6
何言ってんだこいつら! 何のために6体もいるんだコラ、3人寄れば文殊の知恵のところ6体だぞお前ら。
統率できるエイリアン数で考えたら、お前らの戦力は「3足す3で6」なんてもんじゃねぇ、300はいけるだろうが! 10倍だぞ10倍!
キリキリ働かせて、とっととリカバリーし、反撃しなければならない。
必ず駆逐してやる――そう決意を固めつつ、ソルファイド達に適当なタイミングで退くように厳命し、俺はアルファと共に地下への撤退を急いだ。




