本編-0012 歴史の小さな転換点/反骨の半ゴブリン③
「情報閲覧:対象あそこのゴブリン? ぽいやつ」
ベータに導かれた獣道の先で、俺は珍しい生物を発見した。
何が珍しいかって?
そうだな、まず見た目はゴブリンのようにも見える。ずんぐりと筋肉質で浅黒く……前に見た数体よりもだいぶ貧弱な印象はあるが、典型的なゴブリンの姿だ。
が、しかし。
魔人族が本能的に感じるゴブリンへの嫌悪感だとか、そういうのがそいつからは一切感じられなかったのだ。
ゴブリンの亜種かとも思ったが、それとは少し様子が違う。
だから、スキルランクが壱しか無くて『種族』しか見れない【情報閲覧:弱】であっても、使いようによっては便利なもんさ。
【基本情報】
種族:半ゴブリン/半魔人
結果はビンゴ。
ゴブリンと魔人族の"ハーフ"と来たか。
おいおい、好き好んでゴブリンなんかと交じる魔人がいるとは思えないが――何か悲劇的な、あるいは陰惨な"背景"がありそうだな?
言い知れ様の無い嫌悪感に似た同情心じみた興味が、その半ゴブリンに対して湧き上がってくる。
ただ、そういう"愉しそう"的な思考はちょっと切り離しておいて、冷静な部分でも考えてみようか?
少し目の前の本題からそれるが、この「魔人族がゴブリンに対して感じる本能的な蔑みと嫌悪感」の由来は、迷宮核の知識には無かった。
この2日で俺もいろいろな「知識」に押し流されそうになってきたが、なんとなく傾向が分かってきたところがある。
魔法についてもそうだが、基本的には【魔界】や【迷宮】に関連する知識に偏っており、それ以外のものについては噛じる程度のものしか無い。
例えば魔界の勢力図とか情勢について基本的な社会体制――爵位制だとかいうことに関する最低限の常識レベルの知識はあるが、人界側に関しては、半分は伝説か神話じみた『魔界の創造』以前の話ぐらいしか無く、後は根拠もよくわからない伝聞調のメモ書きみたいなものばかりだ。
――酷く「人間くさい」んだよね、この知識の偏りよう。
最初は【黒き神】が、新たなる迷宮領主のために、魔人以外がなってしまっても大丈夫なように「お得な知識・常識・認識の三点セット」的な感じで、迷宮核に入れていたのかとも思ったが……どうもそうじゃあない。
なんだろうな、これ。
まるで「途中までは丁寧に作っていたのに、時間が急に足りなくなって後は書き殴った引き継ぎ書類」みたいな――まぁいいか、後回しだな。
で、話をゴブリンの方に戻すと、この本能的な嫌悪感は、少なくとも【魔界】とは別の由来によるものなんだろうな、というところだ。ちょうど出立前に考察していた魔法と同じだよ、あるいはもっと、深いところに根が張った因縁の現れとして――この本能的な劣等生物嫌悪が、存在しているのかもしれない。
いずれ必要があれば調べるべきだろうな。
情報は身を守る。少なくとも知らなかった時よりはマシである。大抵はな。
まぁ【強靭なる精神】があるわけだから、知らない方が良かった、なんて嘆くことは人間時代と比べりゃほとんど無いんじゃないかな。
というわけで、樹上から件の「半ゴブリン」を観察し続けていたわけである。
森の発達した樹冠は、伸びに伸びた木々の枝が、縦横どころか上下ナナメに曲がりくねりつつ、しかも相互に絡み合っている。それは広大な樹上の「枝の道」とでも言うべきものを作り出しており、天然の摩天楼の如き様相を呈しているが――要するに制空権の確保に非常に便利なのである。
俺の傍らには爪で器用に枝に引っかかっているアルファ、ベータ。
ガンマ以下3体は、周囲を警戒させるため少し離れた位置に散らばらせている。
そんで、かれこれ1時間。
半ゴブリン君を観察を続けていて分かったことだが、行く場所行く場所で、何か粉末のようなものを振りまいていたのだ。
森を歩き慣れているのか、結構な速度で移動しながら、犬のマーキング……っていうと下品な表現だが、そんな感じで木の幹だとか、根の裏だとか、大岩の影だとかにこすりつけているのだ。
それで少し驚いたのが、時折小鳥だとか小さな鼠のような生物が彼の下へやって来るのだ。
え? そんなのが驚くほどのことかって?
まぁ聞いてくれ。
そいつが懐から木の実みたいな物を出して、小鳥や鼠に餌付けする。
その瞬間、確かに魔素の流れを感じるんだよ。半ゴブリン君の周囲で。
魔法……ではなさそうである。となれば、魔法以外で"魔素"を扱うような「技能」の効果によるものか? 俺の中で彼への興味がどんどん増していく。
小鳥や鼠がヤツの指差した方向へ行って、しばらくしたら戻ってくる。
半ゴブリンが餌をやりながら、何事か思案しつつ、方向を転換する。
そんなことを繰り返しているのだ。
魔法か技能の類で、小さな鳥獣を手懐けているように見える。
俺の知るゴブリンの例は、昨日不意討ちした6体しかいないが、それらとも異なる明確に知的な行動を取っているように見えた。
何らかの目的をもって、あの行動を取っているのだと思う。
バレないように後をつけるのもなかなか大変なことだったが、そこはランナー同士の連携で何とかなった。ガンマ・デルタ・イプシロンは、半ゴブリンがどの方向へ転換しても追跡し続けられるように、随時お互いの位置取りを工夫しながら監視していたのだ。
それを、アルファとベータが樹上から位置関係を注意しつつ、俺を先導してくれる。俺には分からないランナー同士限定の連絡手段とかがあるのかもしれない。
俺自身は魔人族としての身体能力を生かして、猿みたいに枝から枝へ移動する。
まぁ、枝同士が「空の根」みたいに網目状に互いに結びついていることもあって、実際は跳びはねることはほとんど無いんだがな。
……そういえば、森での荒い動きもあって、初日から着ていたウィンドブレーカーが少しずつボロくなりつつある。サンダルは――ダメかもしれんね、次からは裸足を覚悟すべきか。
正直、衣服の問題は後回しにしていたが、裁縫の材料があるわけでも無し。どうしろとも自分には言えない。
夜で洞窟の中はさすがに冷えるが、ランナー達に囲まれてれば、こいつら基礎体温もかなり高いからむしろ暑苦しいぐらいだから、なんとかなると楽観的に思っているところも大きいが……やっぱり【人界】行く? ぶれぶれだな、俺の方針は。
そういえば、と俺は半ゴブリンの衣服に目をやる。
少なくとも、先日のゴブリン達だって、ゴブィザードを除けばボロ布をまとうという程度のことすらしていない――にも関わらず、粗末な獣の皮を、なんとか縫ったかしたような、不格好ながらも"文明"を忘れないようにしている彼の格好は、やはりその魂が「ゴブリン」ではなく「魔人」の側にあることを思わせるのだ。
ふむ。
あの"半魔人"には、結構な利用価値があるかもしれない。少なくとも、劣等生物よりはいろいろと知っているはずだろう。
彼の父親か母親は確実に【魔人】であったことが【情報閲覧】から判明しているわけで、最低でも、片親が辿ったかもしれない数奇な運命について断片的にでも知っているだろう。それはそのまま、この島の"外"に関する知識である可能性だって高いのだから。
あるいは島の"内"に関しても、素人目に見ても彼はこの森について詳しく、特に動植物にも通じていると見えるしな。
【情報閲覧】のスキルランクを上げてヤツの『スキルテーブル』だとかもじっくり見てみたいから、生かして、可能なら懐柔した方が良いんじゃなかろうか。
俺は獲物の隙をうかがう肉食獣のような気分で、その半魔人を追跡し続けた。
***
(おかしイ……)
ル・ベリは普段とは異なる森の気配に頭をひねっていた。
慎重を重ねて森を踏破していても、地面を移動する者にとって、最果ての島の森が産み出す広大な樹冠はそのまま死角となる。
どこに葉隠れ狼が潜んでいるかわかったものではなく、襲撃を避けるために、小さな鳥獣を使って周囲の警戒を怠らないようにしている、のだが。
(リーフルフの気配が、無イ)
その原因はル・ベリの知識では一つしか思い浮かばない。
リーフルフは彼我の強弱に非常に敏感な獣で、たとえば根喰い熊なんかの近くには絶対に寄り付かない。
ボアファントを狩ることも稀で、その場合は群れが精強か、獲物が弱っているかだ。大抵は「森ウサギ」や「笑い猿」、時に「跳ね山羊」の群れ、そして――ゴブリンを狙う。
(だが近くにルートイーターなんかモ、いないゾ?)
鳥獣の気配に敏感なル・ベリは、樹上から自分を追う存在に気づいていた。
最初は好奇心の強い「笑い猿」か何かだと思っていたが、どうも様子が違う。
わずかに本能的な警告があって、"見られている"気持ち悪さが続いていたのだ。
リーフルフの襲撃を危うく逃れたことも幾度もあったが、それとも違う。リーフルフは襲撃の直前、仲間への合図として枝を揺らし葉をかき鳴らして、襲撃の方向を誤魔化そうとする習性がある。
つまり逆に言えば、枝や葉を揺らす音が聞こえてくる範囲が散らばりすぎていれば、それは予兆なのである。
(何ダ? 何に追われていル? まさカ……)
その答えの中でも最悪のものをル・ベリは想像し、考えないようにしていた。
ボアファントとゴブリンを食らう謎の襲撃者。
一応、知性ある存在に率いられた獣の群れという可能性も考えてはいたが、情け容赦の無い凶悪獰猛な未知の生物であることが否定されたわけではないのだ。
今自分が一人でいる以上は、狙われない方がおかしいだろう。
だが、ル・ベリは心の何処かでこの展開を望んでいた自分に気づく。
そうだ、どうせ襲われるならもっと早く襲われているはずなのだ。
今自分は「観察」されているのだとル・ベリは気づく。
レレー氏族を滅ぼすためには、強力な戦力が必要だ。
ボアファントをムウド氏に突っ込ませる策は既に考えてある。
ル・ベリは鳥獣を調教することができるが、別に生物に対して博愛心があるわけではない。むしろ彼の【後援神】たる【嘲笑と調教の女王】が好む"玩具"とすることに寄っている。つまり利用することに罪悪感は一切無い。
策はこうだ。
母象の嗅覚を狂わせている間に、子象を餌などで釣っておびき寄せ、ムウド氏の集落側まで誘引するのだ。
その際、母象からある程度離れたところで子象を傷つけて血を流させておけば、母象が嗅覚を取り戻した直後に怒り狂ってくれるだろう。
今はその下準備として、この付近に点在するボアファントの縄張りを巡り、子象を少しずつ餌付けして自分に慣れさせる作業を行っていたのだ。
だが、このタイミングで例の襲撃者が自分に興味を持って追跡しているならば。
ル・ベリは思案し、老衰して余命いくばくも無いため、策で動かすことからは除外していた老ボアファントの縄張りへ向かった。
***
こちらを向いて恭しく頭を垂れた半魔人。
その所作は魔人族の貴人――つまり迷宮領主の知識からも満点をつけることのできるものであり、俺は彼への評価を数段階引き上げた。
こいつ、俺が観察してたのに気づいていたのか。
隠れる意味は無くなったな。
そう感じて俺は枝を伝い、地面へ飛び降りる。
よし、かっこよく着地できたかな?
アルファとベータが続いて飛び降り、俺の左右に控える。
2体とも牙を剥き出しにし、強烈に威嚇するように半魔人と相対していた。
「これハ……これは、これハ」
何が出てくるのかはわからなかった、というところだろうか。
半魔人が驚愕し、絶句している。
まぁ驚くよね、こんなエイリアンみたいな化物従えて現れたら。
だが驚愕の表情は、徐々に驚喜の表情へ変化していた。
「くくク、ククッ! ……これハ失礼しましタ。まさカこれほどの御方が、こんな『最果ての島』に隠れていタ、とは」
俺は彼の意図を考える。
半魔人の後方には、朽ちた大木があった。比較的最近倒れた大木だろうか、倒れる際に巻き込まれたと思しき樹冠の枝葉が、土に混じりつつある。
だが幹はある程度しっかりしていて、天然の屋根付きの小屋のようになっていた。
その中に、見るからに年老いたボアファントが一匹、ぼんやりと力無い目でこちらを見ていた。
「母に、母に聞いた通りダッ! こ、これガ『爵位』持つ御方ノ、御力なのカ?」
何やら興奮を抑えきれなくなっている半魔人に視線を戻す。
とりあえず話が進まないから、元の世界に戻してやるかな。
「アルファ、傷つけず死なない程度に取り押さえろ」
命ずるや、矢のように飛び出すアルファ。
半魔人は呆けた顔であっけなく制圧され、地面に引きずり倒される。
アルファが片脚で背中から踏みつけ、動けないようにさせた。
敵意の無い相手に非道なことじゃないかって?
こういうのは最初が肝心なんだよ。恐怖はいつの時代のどんな相手でも通じる、万能なコミュニケーション手段だもの。
ずかずか歩いて半魔人の目の前まで行き、俺は彼を見下ろす。
「おい、"半魔人"。お前の名前は?」
威圧感を出しながら話しかけたつもりだったが。
「オ、おぉぉオオ! お、わ、私を"魔人"と、認めテくれるのですカ――ッ!?」
なんか変なツボでも刺激してしまったのか、感激されているように見える。
あるぇー?
さっさと答えろとばかりにアルファが蹴りを入れ、半魔人が変な声で呻く。
だが、すぐに喜色を浮かべた笑顔で、名を『ル・ベリ』と名乗った。
「それでル・ベリ。お前は何をしていたんだ?」
「……ボアファントどもの餌付ヲ行っていましタ。途中、御方様に気づキ、あの老個体を献上しようト考えタのです」
いろいろと聞き出したところ、ル・ベリはレレー氏族というゴブリンの集団に属しているという。
昨日俺が抹殺したゴブリン6体はレレー氏族に属していて、ル・ベリの仇のような連中だったとのこと。
俺は思わず本能的な同情心を感じてしまった。
「ゴブリン如きにへつらわなきゃいけなかったとは、とんだ災難だなぁ」
魔人族の本能的なゴブリンへの嫌悪感は、既に俺の一部となっている。
俺自身これが俺の本心からの気持ちとも思えるのだが――昨日今日植え付けられた感覚、という違和感もまだちょっとあったりはする。
俺の言葉がいかなる過去の苦悩を刺激したのか、ル・ベリが笑いながら男泣きを始めてしまった。
なんだこいつ、器用だな。
まぁ予定と違ったが、打ち解けた? のは良いことだ。
武力も俺の方が上だし、迷宮核さんがル・ベリの発言を「敬語」に訳す頻度が増えてきている。
向こうが自分から勝手に上下関係を設定して、俺の下に入るつもりマンマンってのは、それはそれで楽だし結果オーライってところか。
あぁ、そうそう。
例の老ボアファントは会話の間にベータ以下4体でおいしくいただかせてもらいました。多分、老衰死する直前だったんだろうね。
ろくな抵抗をする体力も無かったようで、たまたまものすごく良い隠れ場所にいたから他の獣に今日まで襲われずに生きながらえてきたってところ。
因子【伸縮筋】の解析率が28%まで上昇したのを確認し――あ。
食わせる前に直接【因子の解析】やるの忘れてた……12%が無駄に……。
まぁ、仕方ないか。
頭を切り替えて、俺はアルファにル・ベリを解放するように指示する。
ル・ベリは片膝をつき頭を垂れた姿勢になって、俺に恭順の意を示していた。
「ボアファント、確かにいただいた。で、お前は何か俺から褒美が欲しいのか?」
信賞必罰。
良い言葉だ。俺が求め続けて、人間だった頃の人生では、ほとんど得られなかったものだ。
そして、ついぞ与えてやることができなかったものであった。
だから、真の意味で自分が「それ」を握れる場では、そうありたいと思っている。
ここまで忠誠心を示されるのは正直想定の範囲外だったが、それならそれで、馬車馬の如く働いてもらうことにしよう――何せ"母"とやらから魔人の教養を多少は教育されているのが見受けられるわけだし。
さぁ、何が欲しい?
金か、女か、それとも世界の半分か? ぐわはははは。
「恐れ多くモ、御方様にお仕エするお許しヲ。そして、御方様のゴ尊名を教えテいただきたく」
は?
……あ。
***
この日、最果ての島の小さな歴史が一つ変化した。
あるいは「彼」が現れなければ、半ゴブリンル・ベリは島の統一者としてゴブリン諸氏族に記憶され、そして時の流れに風化されていくに終わったかもしれない。
反骨なる半ゴブリンとしてのル・ベリの物語はここで終わり、「彼」の最初の配下としての【半魔人ル・ベリ】は、今ここの場より「彼」の物語に合流することとなる。




