22. 夜這いする王子様と破滅に向かう者たち
そして、その日の夜。
「よし、ばっちり! あとはアレクの元に行くだけ!」
寝支度までバッチリ整えた私は鏡の前で気合いを入れる。
「それにしても……あの勘違いはなんだったのかしら?」
私は先程までこの部屋にいた王宮での私の世話係となってくれた侍女のことを思い出す。
アレクが私の王宮滞在の間に付けてくれた侍女は何かを大きく勘違いしていた。
その侍女はなぜか、私の顔を見るなり……
『あなたが、アレクサンドル殿下が昔からよく口にされていた恩人だという令嬢ですのね!』
そう興奮した様子で詰め寄られた。
アレクが昔からよく口にしていた恩人?
何の話か分からなくて聞き直そうとしたけれど、その侍女とは終始会話があまり噛み合わなかった。
今の私は、ドロレスという名の公爵令嬢の婚約者がいる身のアレクが、連れて来た身元不明の女!
そんな目で見られると思っていたのに。
その侍女が私を見る時はなぜなのか謎の温かさがあった。
更に……
『今夜は殿下の事ですから、お嬢様の元を訪ねて来るのでしょう?』
と笑顔で言われたので、
『いえ、私が夜這いする予定なのです』
と答えたら───
『それは! ……では、がっつり押しかけちゃいましょう! 殿下も喜びます。可愛らしく仕上げますね!』
そう言われて手早く支度を整えてくれた。
───……
(何で……? クォン様も侍女もおおらかすぎない?)
「しかも、アレクをメロメロにする為にって、全身ピカピカに磨かれてしまったわ」
どう考えても今の私は婚約者のいる王子に接近しようとしている謎の女のはずなのに。
お肌はスベスベ。身体からもほのかにいい香りがする……
(アレクが元気になれるみたいだし、とにかく側にいられればアレクの病気の謎も分かるかもしれないって思っただけなのに)
メロメロにしましょう! などと言われている辺りが、何だか別の意味に捉えられている気がしてならない。
「……まだ、結婚前だもの。そういう事はまだ早いわよ。無い無い」
なんて独り言を呟いていたら、部屋の扉がノックされる。
「え……? こんな時間に? はっ! これは前にもあった……まさか、またアレクが倒れたんじゃ……!」
私が慌てて扉に向かうと、
「ローラ、僕だよ」
「……アレク!?」
何故か扉の向こうから聞こえたのは、私がこれから夜這いに行く予定のアレクの声だった。
「……ローラ! 夜這いに来たよ!」
扉を開けると同時に満面の笑顔で部屋に入ってきたアレクに抱きしめられる。
「アレク? どうしてですか? 私から夜這いすると言ったのに……」
「いやいや、可愛いローラを王宮で一人で歩かせるわけにはいかないよ」
「え……?」
それはやはり私の素性が───……
「あまりのローラの可愛さに目が眩んだ不届き者に連れ去られちゃうかもしれないだろう? だから、僕の方から来た」
「ええ!? つ、連れ去り!?」
そんな事あるはずないでしょう!?
と言いたかったけれど、そう語るアレクの顔は至極真面目だった。
(この人、本気で言っているじゃ……)
「そういう理由で、今の僕は婚約者がいるのに女性を城に連れ込んだ挙句、夜這いを仕掛けている不貞王子……になったみたいだ」
「それ……そんないい笑顔で言う話ではないと思います!」
間違いなく不貞王子が出来上がってしまっている!
「あはは! これは後々、ローラの正体を知ったら凄い騒ぎになりそうだ。だから、その時が楽しみだよね」
「!」
アレクは笑いながら当然のようにそう言った。
(これは……アレクは暗に必ずあの人達から全てを取り戻そう! と言ってくれている?)
何て心強いのかしら。
アレクに出会えて良かった、と心から思う。
「さて、僕の可愛いローラ」
「?」
アレクはとても爽やかな笑顔で私の名前を呼ぶと、さっと私を抱き上げてベッドまで運ぶと中央にそっと降ろした。
「アレク!?」
「可愛い可愛い未来の妻からのお願いだから、叶えないとね。一緒に寝るんだろう?」
「っ!」
「ローラ、いい匂いがするし……それに肌もスベスベでもちもち……」
「!?」
何だかアレクの手が不埒に動き出した?
(アレク……元気だわ。全然具合悪そうな所なんてないじゃないの)
「それはそうだよ。今はローラをこうして強く感じているからね。すごく身体が軽い」
「あ……」
口には出していないはずの私の心を読んだアレクは私の唇に素早くチュッとキスをする。
そして、そのままお互いの顔を見つめ合い、もう一度唇を重ねる。
「ローラ……」
「ん……アレク」
アレクとたくさんたくさんキスをしながら思った。
こうする事で一時的に元気になるだけではなく、私の“力”というものがアレクの中に伝わっていって症状が根本から改善されるといいのに、と。
「ねえ、ローラ……毎晩、夜這いに来てもいいかな?」
「え!?」
(毎晩!?)
私は真剣にアレクの身体の事を考えていたのに、なんとアレクは欲望ダダ漏れの発言をしていた。
こうして、私は“ドロレス・サスビリティ公爵令嬢”の社交界デビューの日まで、アレクの愛にドロドロに甘やかされながら過ごす事になる。
とは言え、王宮内でも公に顔を出すと後々面倒になりそうな為、私はアレクの側に居ながらもひっそりと大人しく過ごす事になったのだけれど。
唯一、諸々の事情を知るクォン様は、あまりの甘さに早々に胸焼けを起こしたらしく、
「主のおかげでコーヒーをブラックで飲む美味しさを知りました」としみじみ語っていたという。
◆◆◆◆◆
「お父様! もう耐えられない! こんな生活は嫌です!!」
「そう言うな……お前の社交界デビューまでの我慢だ……!」
一方のサスビリティ公爵家では、使用人の退職がどんどん相次ぎ、邸内は深刻な人手不足に陥っていた。
「侍女はもう、侍女頭のスザンナしか残っていないのよ!? 料理人もあのへっぽこの何時までたっても上達しない見習いだけ! 庭も草が生え放題! 掃除だって全然よ! 見てあの埃!!」
お金は、お金だけはあるのに! 生活がままならない。
どんなに豪華なドレスを買っても着飾ってくれる人がいない。
「社交界デビューさえ済ませて、お前が完全にドロレスとして世間に顔が知られればきっと大丈夫だ!」
「うぅ、お父様」
「デビューを済ませたら、王家に結婚を早めるようにと進言しようではないか!」
「未だに手紙一つくれない王子様なのに?」
「う……それは……」
公爵代理は、そっと娘から目を逸らす。
(娘にあの話は言えないな……)
何故なら今、王宮では“とある噂”が流れている。
それは、アレクサンドル殿下が女性を囲っているらしい、という噂だった。
よほど、その女性に惚れ込んでいるのか、殿下は毎晩欠かさずその女性の元を訪れていると言う。
(だが、どんな女なのか情報がさっぱりなのだ……)
貴族令嬢なのか、どこぞの平民なのか……容姿の噂さえも聞こえて来ない。しっかり周囲の目からは隠してしまっているらしい。
(まさか、王家との間で結ばれた婚約者をここまで蔑ろにした挙句、他の女に溺れるとは!)
兄さんは“王家からの強い希望でアレクサンドル殿下との縁組をする事になったんだ”と確かに言っていたのに。それならば“ドロレス”を大事にすべきだろう!?
「大丈夫だ。アレクサンドル殿下の婚約者は“ドロレス・サスビリティ公爵令嬢”だ。つまり正妃の座はお前の物だよ」
「お父様……」
(まぁ、側妃や愛妾は置くかもしれんが……)
毎晩、殿下が通いつめる程の寵愛っぷりだからな。すでに謎の女との間に子が出来てるかもしれんが……今更、文句も言えん。
だとしても身分はこっちが上なのは間違いない。
だから、正妃の座は揺らがない。子もドリー……ドロレスが産んだ子の方が位は高くなる。
(それに、最悪、母子共々始末する事だって……)
未だに見つからない“本物”の行方は気になるが……ここまで探しても出て来ないのならどこかで野垂れ死んだに違いない。
あんな無力な何も持たない小娘が一人で生きていけるはずがない!
(あの宝石のダミーも何とか用意した……大丈夫だ。きっと上手くいく)
──全てはドロレスの社交界デビューの日だ!
ドリーがドロレスに完全に成り代わるこの日、ずっと欲しかった公爵家は自分のものとなるのだ!!
そうして月日は流れ、“サスビリティ公爵令嬢”の社交界デビューの日が近付いてきたある日、王宮から公爵家に手紙が届く。
「え? 殿下から連絡が来たの!? 本当に?」
「あぁ、ようやく、だぞ。それに喜べ、エスコートもしてくれるそうだ!」
「まぁぁぁ!」
「それに、何とそのパーティーで正式に“ドロレス・サスビリティ公爵令嬢”を婚約者として披露してくれるそうだ! やったな!」
「良かったじゃないの! ようやく……ようやくなのね!」
「お父様、お母様……!」
長年無視され続けて来たアレクサンドル殿下からの手紙に三人は心から安堵した。
そこに、どんな事が待ち受けているのかも知らずに────




