13. 新しい生活
「ローラ! そっちじゃないよ! それはあっちのテーブルだよ!」
「は、はい!」
(いけない……また、やってしまった!)
私は慌てて言われた正しいテーブルの方に料理を持って向かう。
そして、お客様の前に料理を並べながら笑顔で言う。
「お、お待たせしました! 本日のオススメです!」
テーブルに料理を並べ終えてると同時にまた、後ろから声がかかる。
「ローラ、次はこれをそちらのテーブルに持っていって」
「はい!」
お昼時の食堂は多くのお客様で大変賑わっている。
その中を私は慣れないながらも必死に動き回っていた。
(……働くって大変だわ!)
───アレク様に助けられて、今後の生活のための提案……誘いを受けてそのお言葉に甘える事にした私。
アレク様が呈示した条件は私にとって勿体ないくらい良いものだった。
(アレク様のお世話? という謎の使命もあるけれど)
それでも、正直、自力で見つけるのが困難だと思われた仕事にもつける。
それも住み込み。
そして、アレク様の用事とやらが終わるまでの期間限定……
長い間、同じ場所にじっとしているのが危険な私にとってはうってつけの条件だった。
こんな好条件、頷かない理由がない。
そうして、私はアレク様のご厚意に甘えて一階の食堂の方で働き始めた。
「お疲れ、ローラ。休憩に入っていいよ」
「ありがとうございます、では休憩を頂きます」
食堂の責任者でもあるリュリュさんのその言葉を受けて、私は従業員用の休憩室に入り一息つく。
「はー、足がパンパン!」
このお店はアレク様のお店だと言っていた。
店舗の最高経営責任者であるアレク様の部下である、ゴットンさんとその妻のリュリュさんが切り盛りしている。
宿をゴットンさん、食堂をリュリュさんが担当しているらしい。
そうして、私はリュリュさんの元で慣れないながらもあれから毎日こうして働いている。
「んー……疲れたぁー……でも、楽しい。それに、生きているって感じがするわ!」
私は腕をうーんと伸ばしながら大きな独り言を呟く。
叔父たちに乗っ取られるまでは、貴族のお嬢様だった私。
乗っ取られてからはドリーの使用人になったけれど、八つ当たりされるか蔑まれるかだけで仕事らしい事は何一つしていなかった。
そんなこれまでまともに働いたことの無い私にとって、“仕事”は未知の世界でしかなく、失敗ばかりの私をリュリュさんは見捨てることなく色々教えてくれている。
(行き当たりばったりで逃げ出したのに、本当に運が良かったわ)
「そして……改めて違う未来を歩いているのだと思えるわね」
今、私はドロレス・サスビリティでもなく、名前を奪われた名無しの女でもなく、ただのローラとして生きている。
“ドロレス”が社交界デビュー前だからあまり顔を知られていないのも良かった。
だから私の顔を見ても誰も何も言わない。
本当に良かったと思う。
「……ローラ」
「!」
そんな事を考えていたら突然私の名前を呼ぶ声がして、そっと後ろから抱きしめられた。
こんな事をする人は一人しかいない!
「ア、アレク様?」
「正解! よく分かったね」
「だ、だって……!」
顔は見えないけれど、アレク様がフッと笑った気配がする。
「だって?」
「こんな……抱きしめる、なんて事をするのはアレク様しかいません……」
「……」
ギュッ
(な、何で、そこで更に力が入るの!?)
「あはは! それもそうだね……他にも君にそんなことをしてくる男がいたら…………だな」
「? アレク様?」
最後がよく聞き取れなかった。
「何でもないよ、それより仕事はどう?」
「……失敗ばかりだけど楽しいです。勉強にもなりますし。紹介して頂き本当にありがとうございます」
私が後ろを振り返りながら、お礼を伝えるとアレク様と至近距離で目が合う。
ドッキンと胸が大きく跳ねた。
私は慌てて顔を戻す。
(今日も綺麗なお顔……ではなくて近いわ!)
「……ローラ。何で前を向いちゃうの?」
「だだだだだって!」
あまりの恥ずかしさにどもってしまう。
顔も赤いけどこれはもう耳まで真っ赤だと思う。
「僕はローラの可愛い顔がもっと見たいのに」
「かかかか可愛くなんて無……」
「可愛い! ローラは誰よりも可愛い!」
「!?」
(な、何てこと、を口にするの!?)
謎の力説をするアレク様。
どうしてそんな恥ずかしい事を堂々と口に出来るのか私には分からない。
……ギュッ
アレク様は少し緩んでいた腕に力を入れたのか、再び後ろから抱きしめてくる。
「実はこっそりローラが働いている所を見ていたんだ」
「え!? は、恥ずかしいです……」
見られていた、と知ってますます私の顔が赤くなる。
「恥ずかしい? 何で?」
「だって失敗ばかりで……たくさん怒られて……います」
私が少し落ち込んだ声を出すとアレク様の腕にますます力が入る。
「そんなの誰だって通る道だよ? それに、そんな事を言ったら僕なんて毎日怒られているよ」
「え? アレク様が?」
「そうだよ?」
アレク様ったら、
毎日、お小言が凄いんだよね~あはは!
とか言って笑ってるけれど、これって一緒に笑っていいもの??
「……」
「ローラ」
「……はい」
「僕は慣れないながらも、キラキラした笑顔で一生懸命働いているローラがとても綺麗で美しいと思ったよ?」
「え?」
アレク様は先程までとは違い真面目な口調になってそう言った。
(この人はこういう所がずるい!)
ふざけたりからかったりしているのかと思えば、急に真面目な顔でそういう事を言うの。
その度に私はアレク様に翻弄される。
でもね、そんな時間が嫌じゃない。
むしろ、心地よいなんて思ってしまう──……
「だからね? ローラ。君は自信を持っていいんだ」
「……ア」
そう言ったアレク様が一旦、身体を離して私の前に回り込んだので、ばっちり目が合ってしまい、またしても胸がドキッとする。
そんなアレク様は優しく微笑むとそっと私の頬に触れながら言った。
「だから、もしもこんなに一生懸命なローラをバカにする奴がいたらそいつは目が腐っているか曇っているかだよ」
「くっ……!?」
「そう。誰がなんて言おうと、ローラは綺麗で美しくてかっこよくて……可愛くて最高の女性だ」
(な、なんてことを……)
「それは、さすがにほ、褒めすぎです……」
「本当の事だよ。ローラの価値が分からない奴の戯言なんか聞く必要も無いし、忘れていい」
(アレク様……)
「僕はそのままのローラが好きだよ」
「!」
私の頬を優しく撫でながら言われたその言葉に心臓が飛び出すかと思った。
(アレク様は“人として”という意味で言っているのに!)
ついつい別の意味に捉えそうになってしまう。
そして、そんな事を考えてしまった私はますます、顔が赤くなる。
「……ローラの顔が赤い」
「…………アレク様のせいです」
「僕の?」
「か、可愛いとか、好き……とか……言うから……で、す」
私が照れながらそう言うと、アレク様は笑った。
その笑顔も眩しくてキュンっとする。
(あぁ、もう! 私の心臓はどうしてしまったの?)
「……後悔したくないんだ」
「後悔、ですか?」
そう口にしたアレク様の表情が翳る。
「大事なことを言えないまま喪うのは……もう嫌なんだ。だから言いたい事は言える時に言わないと……ね」
「!!」
アレク様のその言葉は、まるでお父様とお母様を亡くした時の私の気持ちを口にしているようで。
(そっか、アレク様も誰か大事な人を亡くしているのかも)
そう思ったら私は無意識のうちに私からアレク様をぎゅっと抱きしめていた。
「ローラ?」
「……なんででしょう? 無性にこうしたくなりました。ダメでしたか?」
アレク様が顔を赤くしながらちょっと大きな声で言う。
「まさか! 駄目なもんか! むしろ大歓迎だ! おかわりを所望する!!」
「おか……わり!?」
「ローラ!!」
アレク様に勢いよく謎のおかわりを要求されたかと思えば、そのまま力強く抱きしめ返された。
アレク様のそんな温もりを感じながら私は密かに思う。
(……アレク様、すごく元気そうだわ)
初めて会ったあの日は顔色も悪くて辛そうだったアレク様だけど、あの日以来は一度もあんな苦しそうな様子を見せない。
(まさか、頼まれた毎日の抱きつく行為のせい? …………なんてね!)
アレク様は本当に欠かさない。
何なら一日に何度も何度も私に触れようとする。
その度に私の心臓は暴れるのだけど……
──でも、そんなアレク様と過ごしながら私は願ってしまう。
まだ今は……もう少し、このままでいたいな……と。




